COLLAPSE外伝
不死浪
私がまだ私だったころ①
薬箱を手の内で転がす。
リタリンを一錠。
◆◆◆
アレンという青年がいた。
自身に迫る危機を赤色の線として知覚するセンスの異能を武器に、ランク七百台へと登り詰めた仕事のできる男だ。趣味は日曜大工。好物はポトフで特に玉ねぎが好き。数年前に亡くした妹の墓へ毎週末花を生けている。格好つけたがりで、照れると鼻の頭を引っ掻く癖があった。
彼は14時間22分前に作戦から帰還した。
赤褐色の肉片がこびりついた腕章だけになって。
曇天の中、造花と腕章だけが入った軽い棺を沈痛な面もちの少女らが囲む。通夜の参列者は女ばかりだった。若い男は戦場へと送り込まれ、さほど残っていない。
彼の犠牲は必然だった。
平均ランク千台のスリーマンセルで、カテゴリー3の超獣との突発戦は全滅を覚悟してもおかしくなかった。
私が専属オペレーターからの緊急連絡を受けオペレーションを受け持ったときには、既に事態は致命的な局面を迎えていた。装備も体力も限界まで消耗した三人組では、格上の超獣に太刀打ちできるはずもない。撤退すら覚束ない有り様だった。
だから私は犠牲者を最小限に抑えるための作戦を提示し、アレンはそれを承諾した。
彼は撤退の殿を請け負い、呆気なく死んだ。
ただそれだけの話だ。
彼は最期の通信で「勝ってくださいよ」と震えた声で言った。恨み言のひとつもなかった。
葬儀所の上空をハシブトガラスが飛んでいく。圧し殺した嗚咽とやるせない慰めの声、降りだした雨の音が耳を打つ。
棺の前でくずおれて泣く夫婦がいた。
野戦病棟で治療を受ける彼の仲間がいた。
彼のオペレーターがいた。
彼にまつわる多くの人がいた。
その全てに告白した。
私がアレンに死地へ赴くよう命じたと。
私が彼を殺したのだと。
誰もが私の求める回答を用意できなかった。
「仕方ない」
違う。
「貴女のせいではない」
そうではない。
「アイツも本望だよ」
私が命じた。私が殺した。
だから、私が責められるべきなのに。
どうして。
どうして罰さない。
だれもかれも私に責任はないと言う。仕方なかった。よい判断だった。そんな言葉聞きたくない。
お前のせいだ。どうして見殺しにした。そうやって怒ってくれたらどれだけ楽だったろうか。
非難はない。
罵倒もない。
感謝と労いだけがある。
こんなことあってはいけない。
赦されてはいけない。
なのに。
それなのに。
仕方ない。
しょうがない。
ちがう、これは。
あなたのせいではない。幻聴が聞こえる。君のせいじゃない。今この場にない誰かの声が脳内で。自分を責めないで。refrainする。飽和する。ごめん君のせいじゃないって分かってたのに。うるさい。耳鳴りが。耳鳴りが。頭痛と耳鳴りが木霊して。こだまして。こだまして。薬箱。薬箱を。
薬箱を手の内で転がす。
リタリンを一錠。
◆◆◆
お前は昏い廊下を歩いている。軍靴が死人の如く蝋めいた色合いの床を規則的に叩いている。お前の肌と同じ青褪めた死人の色の床。お前は死人ではない。まだ死んではいない。いつか死ぬ。まだ死んではいない。また死なずに死なせる。誰を。誰を死なせる。次は。お前は誰を死なせる?
お前は壁に手をかけている。指紋認証を兼ねた突起を指で押し込む。脱色されたような白く何もかも取りこぼした指が軋む。指が軋んで痛みが。痛みはない。お前は痛みを感じてなどいない。お前は何も取りこぼしていない。お前は選択した。何も取りこぼしていない。赤く、紅く、泥濘と油の混濁したような何も映さない瞳を網膜認証に晒す。
扉は開いた。
管制室は淀んだ空気が立ち込めており黒いコールタールめいた大気に混じり手が。死者の手が。声が。お前のコートの裾を。首を。掴んでいる。掴んでいる。お前が死なせた誰かが。お前を呼んでいる。お前に叫んでいる。罪には罰を!罪には罰を!
「参謀閣下、ご帰還されましたか。」
「…あぁすまない、一報いれるべきだったな。今しがた帰ったところだ。」
思考にノイズが多い。
管制室の空気は清涼で適度な湿度が確保されており死者は語らない。死者は騙れない。
副官の顔を見る。薬剤の影響か焦点がなかなか合わない。眉間を抑え瞬きを数度。焦点が合わない。焦点が合わない。眉間を揉む。
「…体調が優れないので?」
「いや問題ない」
身体の不調は最早どうしようもない。解決の余地はない。そして解決不能であるならそれは問題ではない。問題として取り上げるには遅きに失した。
絶え間ない頭痛と悪心、倦怠感、そして著しい空間把握能力の低下。その原因は頚椎から侵襲し大脳へとインプラントされた有機的モジュールの影響にほかならない。ニューの持つ
「ですが」
「私の体調などどうでもいい。報告を優先してくれ」
「…承知しました」
この地平に余力などない。戦線は常に死闘にして安息あらず。ならばどうして参謀本部が休息にかかずらっていられるだろうか。
そんなものを聞いている余裕など、どこにもない。
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