11
その翌日からどうなったかと言うと––––何も変わらなかった。
昨晩の甘苦い時間が嘘だったかのように、ハイジの態度には何の変化もなかった。
一切合切。
拍子抜けするくらい。
つまり––––あたしも何も変わらずにいるのが正解なのだろう。
なぜだかあたしはホッとして、いつもどおりにハイジに接することにした。
* * *
ハイジとエイヒムのギルドに顔を出すと、顔を青くしたミッラがすっ飛んできた。
その手には一枚のビラ。
「……なに、これ?」
「だから、リンちゃんの指名手配書よ!」
「へぇ……」
「どうするの、リンちゃん、あなた、いくつもの領で賞金がかけられてるわよ!」
「それって、もしかして大ごとだったりする?」
「何言ってるのよ! 当たり前でしょう?!」
ミッラは泡を食っているが、ピンとこなかった。
ちらりとハイジを見ると、ハイジは興味深そうにビラを見つめている。
「……あまり似ていないな」
「どれどれ? ……うわっ、なんじゃこりゃ」
そこには、まるであたしに似ても似つかない、下手くそな人相書きが添えられていた。
(あたしはこんな凶悪じゃないぞ)
モンスターみたいに目がつり上がってはいないし、眉毛だってこんなに太くはない。
身長も二メートル近いことになっているけれど、あたしは百七十センチ弱しかない。
筋肉だってこんなゴリラみたいにゴツくないし、肩幅だってこの世界じゃ狭い部類のはずだ。
似ているところを探すとすれば、耳に入った切れ込みと、ブワッと広がった黒髪くらいか。それだって、耳の切れ込みはこんなに深くないし、髪だってこんな
「うーん、見れば見るほど味のある顔ね」
「敵にはこう見えていたのだろうな」
「……あんまりだわ……」
「まぁ、人相書きは見た人間が書くわけじゃないからな。伝聞だとこうなるのだろう」
「ハイジも指名手配されてるの?」
「ああ。ただ、おれの場合、人相書きは驚くほど似ているぞ」
「何それ、ちょっと欲しいかも」
二人で手配書を見ながらあーだこーだと言っていると、ミッラが爆発した。
「リンちゃん! 何をバカなことを言ってるの! それにハイジさんまで……! 手配書が出回るということは、命を狙われるってことなんですよ!?」
「……? 別にいいじゃない」
「なっ……!」
ミッラは知らないようだが、そもそもあたしは今でも狙われている。
ハイジに対する牽制として、これまで襲ってきた敵は一人や二人ではない。
さらに、先の戦争ではそれなりに活躍できたし、そのおかげで『黒山羊』の名前は敵方に知れ渡っている。
ついでにその二つ名が敵に知られているということは、こちら側に敵の
そこに、この似ても似つかない人相書きが追加された程度で、一体何が変わるというのか。
それに––––
「問題ない」
そう、ハイジがいる。
何せ、手配書をばらまいた敵は解っているのだ。
(––––ハーゲンベック)
ライヒとオルヴィネリ、さらにはリヒテンベルクにまで賠償金を毟り取られているハーゲンベックはすでに死に体だ。
そうなった一因には、間違いなくあたしとハイジの存在がある。
終戦条約の締結で、ハーゲンベックはライヒに宣戦を布告できない。ならば、せめてライヒの英雄を落として溜飲を下げたいとでもいうのか。
(来るなら来い)
(考えてみれば、ハイジの不幸の元凶は、全部ハーゲンベックじゃないの)
ハーゲンベックがあたしを狩りにくるのであれば、むしろ望むところだ。
––––徹底的に潰してやる––––!
「ちょ……ちょっと……! リ、ンちゃ……ん……! お、おさ、抑えて……!」
見ると、ミッラがピンとつま先立ちで固まったまま、プルプルと苦しげに息を詰まらせていた。
「あわわわわわ!?」
どうやら未意識に威圧を展開してしまっていたらしい。慌てて威圧を解いたが、
「
ハイジにゲンコツを落とされてしまった。
* * *
「殴らなくてもいいじゃない……」
ギルドから出て、街道を歩きながら頭を擦りながら文句を言うと、ハイジはギロリとあたしを睨んだ。
「未熟者め、無意識に殺気を振りまいてどうする」
「そんなこと言ったって、……この前はハイジだって威圧してたくせに」
あの時は五人の気絶者を出した大惨事だったと聞く。
半分はハイジのせいだ。あたしだけが悪いみたいに言われるのは心外である。
だが。
「あれは全部お前の威圧だ」
「……なに? 責任転嫁するつもり?」
「おれは対象以外に影響を出さずに威圧している。お前みたいに全方向に垂れ流したりはしない」
「そんなことができるの?!」
「だから未熟だと言っている」
ひぇぇ……。
「お前だって、訓練中には無意識にやってるぞ」
「そうなの?」
「殺気を目くらましにばらまいたり、引っ込めたりしているだろう」
「してるわね」
ハイジ攻略には必須の技能だ。
「あれは、おれでも見失いそうになる。気付いてるか? あの時お前はおれにしか殺気をぶつけてないぞ」
「ええ……」
「気付いてなかったのか。お前の技能なら当たり前にできるはずだ」
だからこれ以上ミッラに迷惑を掛けるな、とハイジに叱られる。
確かに、なぜかミッラばかりがあたしの被害に遭っている。
これからは気をつけよう。特に……
(今から会いに行く相手に殺気なんてぶつけたら、死んじゃいそうだわ)
向かっているのは、ペトラの店である。
先日、受勲式を終えたあたしはそのまま森に帰ってしまったが、本来はあの日、ミッラの店に泊まる予定だったのだ。
ミッラから「大丈夫」と伝言が行っているはずだが、間違いなく心配しているはずだ。
ペトラはもちろんだが––––主にニコが。
(気乗りしないなぁ)
なんとなく気まずい。
しかし鉄壁の「空気を読まない」スキル持ちであるハイジは、平然とした顔だ。
ギルドからペトラの店はほとんど離れていない。
躊躇なく店に向かうハイジと並んで、気後れしながらペトラの店に顔を出した。
* * *
「馬鹿が二人揃ってお出ましかい」
ペトラの第一声はそれだった。
ムッツリと不機嫌そうな顔を隠す気もないようだ。
「すみません、ご迷惑を」
「謝るならニコに謝んな! あの子、リンが心配で毎日寝られなかったんだよ」
「えぇ……あのニコが?」
「昼間もぼーっとしてるし、なのに朝早く起きて、一人で木剣を振ったりして、情緒不安定っていうのかね」
「心配かけちゃったね……ニコは?」
「教会だよ」
ああ、ヤーコブたちのところか。
孤児たちに食事を持っていっているらしい。
「……ニコ、一人でも訓練を続けてたんだ……」
「一人、ではないけどね」
ペトラがうんざりした顔で言った。
「今は、あたしが稽古を付けてる」
「そうなんですか?!」
「仕方ないだろう、あんなのほっとけるもんかい。それに、リンあんた、これからもずっと子どもたちの面倒を見るつもりかい?」
「……それは……」
あたしは言い淀んだ。
ニコを含む、子どもたちの稽古については、今回店に顔を出した理由の一つでもある。
「そんなこったろうと思ったよ。ニコも薄々感じてるだろう」
「ヤーコブたちは?」
「アイツラは、「俺たちは『黒山羊』の弟子だ」なんて言ってイキってたから、あたしがぶちのめしておいた」
「えぇぇ、なにそれ」
「正確には、アンタに落としたのと同じゲンコツを落としておいた」
(うわぁ)
あたしが思わず頭を押さえると、ハイジがクツクツと笑った。
「何笑ってんだい」
「ヘルマンニを思い出してな。お前に殴られそうになると、ちょうど今のリンのように頭を押さえていた」
「そういや似てるね。……そのヘルマンニだが、今日来るはずだよ」
「そうか。ヨーコは?」
「一応声はかけておいた。あたしが呼んでも来ないかもしれないけどね」
ハイジとペトラの会話を聞きながら、あたしはヴィーゴから聞いた話を思い出す。
『––––そんなハイジに対して、一番気をもんでいたのがペトラだからな』
と、ヴィーゴはそう言っていた。
はっきりそうとは言われていないが、ペトラは昔、ハイジのことが好きだったんじゃないだろうか。
少なくともヴィーゴの昔話からはそういう印象を受けた。
そして、それがペトラとサーヤの関係を壊してしまった理由にもなっている。
(サーヤが来た晩は、なんだかんだ言って一緒に騒いでたけど、もうペトラはサーヤのことを許したのかな)
ちらりとペトラを見る。
実は、あたしにはサーヤに悪気があったとは思えないのだ。
なにせ、あたしとサーヤの境遇はかなり近いところがあるし、気持ちは痛いほどわかる。
もし「もう会えなくなるかもしれない」とか「伝える最後のチャンスかもしれない」などという状況になれば、耐えきれずに気持ちを伝えたいと思うのは当然だと思うのだ。
でも、ずっとその気持を胸にしまったままだったペトラ(ヴィーゴには丸わかりだったようだが)にしてみれば、ハイジの苦労を一時の感情で台無しにしたようにしか見えなかっただろう。
(どちらの気持ちもわかる。でも、サーヤはもうハイジやペトラとも自由には会えないんだよね。辛いだろうな……)
(それに、それを言ったらあたしだって昨日の晩……)
––––ハイジ、大好きよ。
昨晩、雰囲気に飲まれてやらかしたことを思い出し、ボン、と顔が赤くなる。
言ってしまった……絶対に言うまいと決めていたのに。ハイジ拒否されずに済んだけれど、少なくともあたしにサーヤを責める権利はない。
あわてて頭から振り払う。いつもの冷静なあたしよ、戻ってこい。
「……リン、あんた何踊ってるんだい」
「……あたしの生まれた国の踊りです……」
無意識に手を振り回していたらしい。
ハイジが「何をやってるんだ」と言うように、呆れた顔であたしを見ていた。
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