とりあえず、こうなってしまえばハイジに言うことを聞かせることはあたしにも無理だ。

 あたしに無理だということは、おそらくこの世界の誰も言うことをきかせられないということである。

 あたしは諦めた。

 

 翌日、ギルドに行くと、立派な服を着たギルド長が待っていた。

 ギルド長はいつもの爬虫類みたいな覚めた表情––––ハイジとは別の意味で冷たい印象を受ける。あたしは少しだけギルド長が苦手だ。


「ヴィーゴさんも行くんですか?」

「ああ。お前のエスコート役だ」

「……ああ、ハイジに頼まれましたか」

「いや、俺は元々が傭兵ギルドの長だからな。今回のハーゲンベック戦の功績を認められて、俺も受勲される」

「あら、おそろいですね」


 あたしが答えると、ヴィーゴは訝しげにあたしをじっと見た。


「……なんです?」

「もうちょっとマシな服はなかったのか」

「ペトラの店の制服のほうがよかったですか?」


 自分の服を見ながらあたしが言うと、ヴィーゴは頭痛を押さえるように額に手をやった。



 * * *


 

 城までは、ギルドの馬車で送迎してくれるらしい。

 ヴィーゴはハイジとは違い、会話が成立するタイプのようでありがたい。

 たとえその内容の殆どが説教だったとしても。

 

「まぁ、逃げずに招聘に応じただけでもよしとしよう」

「そんな、ハイジじゃあるまいし」

「……そう言えば、先日ハイジとやらかしたらしいな」


 ヴィーゴがギロリとあたしを睨んだ。

 お説教モードのようだ。


「ちょっと睨み合っただけです」

「五人も気絶させておいて何て言い草だ!」

「五人?! ……知りませんでした……てっきりミッラだけかと」

「酒場の連中が口を揃えて言ってたぞ。いっぺんに酔いが覚めたとな。いつ剣を抜くかヒヤヒヤしたそうだ」

「そんな、抜いたってハイジには当たりませんよ」

「そういう話じゃない!」


 叱られた。

 

「それに、喧嘩の原因も聞いたぞ。それについては完全にお前が悪い」

「えぇー、そうですかぁ?」

「……あまりサヤの話をしてやるな。あいつにとってはデリケートな話題だ」

「それって、未だに好きってことですよね? だからって何も逃げなくてもいいじゃないですか。サーヤ、傷ついてますよ」

「……好きか嫌いかで言えば、まぁ間違いなく好きではあるんだろうが––––多分お前、誤解してるぞ」

「……ヴィーゴさんまでそんな風に言うんですね」


 あたしが膨れると、ヴィーゴは少しだけ目を細めて笑った。


「誰に聞いたか知らんが、お前、ハイジに色恋の感情なんてあると思うか?」

「……あるんじゃないですか? あんな朴念仁でも男ですし、恋くらいしてもおかしくないでしょう」

「……クッ」


 ヴィーゴが可笑しそうに喉の奥で笑った。

 

「なんです?」

「お前も結構ロマンチストだな」

「どういう意味です?!」

「英雄譚を真に受けてるあたり、多少腕に覚えがあってもだな、と言っている」

「はぃ?!」


 なんか強烈な女性蔑視をストレートに食らった。

 

「……バカにしてます?」

「ああ、大いにしてるとも。何せ俺はあいつが傭兵になるずっと前からの仲だからな。あいつのことは、お前よりもよく知ってるつもりだ。サヤのことも」

「……だからなんです?」

「事情を何も知らずに噂話を真に受けてギャーギャー騒いでるお前さんは滑稽だと言っている」


 うわっ、ムカっとした!


「……ギルド長、性格悪いって言われません?」

「よく言われるな」


 ヴィーゴはクツクツと笑うが、何がおかしいのか。


「……じゃあ、ハイジとサヤの関係は何だっていうんです」

「俺にもわからん」

「わからない?」

「上手い表現が見つからんのでな。ただ、あいつ自身はそうは思っていなかったようだが、傍から見た印象としては父娘おやこというのが一番しっくりくる。恋愛に近い感情は––––もしかするとあったかもしれんが、少なくともあいつに自覚はなかったはずだ」 

「ますますわかんないじゃないですか」

「そのとおりだ。わからん。第一、感情なんてものは曖昧なものだ。ここからは友情、ここからはが恋などと割り切れるようなものじゃないだろう」

「……そうですね」

「だから、あいつがサヤの気持ちを知った時の狼狽ぶりは酷かった––––当時のアイツがサヤを大切にしていたことは知ってるだろう?」

「はい、サーヤ本人から聞かされました」


 そういえば、お前はサーヤと密会していたんだったな、とヴィーゴは頷いた。

 そして眉根を寄せて吐き捨てるように言った。


「告白などと……サヤも残酷なことをしたものだ。ハイジにとっては青天の霹靂だったろう。どう返事をすればいいというんだ? 断ればサヤが傷つくことくらいはあいつにだってわかる。かといって無視するわけにも、想いを受け入れるわけにもいかん。どうしていいかわからなくなって––––あいつは逃げ出した」

「ああー……」


 わかる。ハイジってそういうところがある。


「お前にわかるか? あいつが用意したサヤの居場所は、あいつなりにサヤの幸せを願い、死にものぐるいでライヒ卿に取り入り、命がけでようやく勝ち取った結末だったんだ。なのに、たった一言であらゆることの意味がひっくり返されたんだ。まさか自分の存在がサヤの幸せを壊すことになるとは夢にも思わなかったろうな。当時、あいつにとってサヤは一番大切な存在だった。なのに、自分がサヤを傷つける未来しかないんだぞ、逃げ出したくもなる」

「……そうですね」

「だから、当時を知る者としては……英雄譚やら何やらで、まるで美談のように『番犬』は今でもサヤのことを想い続けている––––などとまことしやかに語られているのを見ると……なんとも言えない気分にさせられるんだよ」


 ヴィーゴが「どいつもこいつも無神経なヤツばかりだ」と呟くのを聞いて、あたしはギクリとした。間違いなく、その無神経なヤツのなかには、あたしも含まれているのだろう––––おそらくその筆頭として。

 ヴィーゴは不快そうに外に目を向ける。

 

(あたし、馬鹿だ……!)

 

 あたしは我慢できずに俯いた。

 昨日、あたしになじられたハイジはどんな気分だったのだろうか。

 ハイジの気持ちを想像するとたまらなかった。

 酷い罪悪感に耐えられず、自然と涙がにじみ出た。


「俺は今でもサヤを許していない。あいつの恋愛感情など、俺に言わせれば軽薄な感情だ。ハイジは恋愛などよりももっと強い感情に突き動かされていた。あいつの献身を知ればお前だって同じように感じるに決まっている。だというのに……黙っていればいいものを、一時の感情で全部ひっくり返しやがって、馬鹿が」


 だから女は嫌いなんだ、とヴィーゴは吐き捨てるように言った。

 不機嫌さを隠しもせずに言葉を続ける。


「俺の言葉を辛辣だと思うか? だが俺にだって思うところくらいはある。あと、サヤに一番腹を立てていたのが、お前の雇い主だ」

「雇い主? ……あ、ペトラ?」

「ああそうだ。それはもう怒り狂っていた。手もつけられないほどにな。当時のハイジがサヤのためにやらかした様々な無茶については知っているか? あいつはいつ死んでもおかしくなかったし、何もかも犠牲にしていた––––そんなハイジに対して、一番気をもんでいたのがペトラだからな。怒るのも無理もない。店にだってサヤは出入り禁止だったんだぞ。二度とその汚いツラを見せるな、だったかな––––それはすごい剣幕だった。ペトラとサヤの和解など––––、永遠にありえなかったろう」

 

 それを聞いてあたしは愕然とした。

 あたしの存在を、サヤとペトラは、どんなふうに感じたのだろう?

 サヤがペトラの店に訪れた時、ベールをかぶっていたことの裏には、そうした出来事があったのだ。


 二度と顔を見せるなと言ったペトラ。

 たった一言お礼を言うためだけに、顔を隠して城を抜け出してきたサヤ。


 あたしは、何もわかっていなかったのだ。


「だが、俺とペトラを諌めた奴がいた」

「……ハイジ」

「そうだ、ハイジ––––たった一言で、何もかもを台無しにされたあの不器用な男だ! だがあいつはサヤを責めなかった。それどころか、どうして気付いてやれなかったのかと、自分を責めていたな。そして––––どうか怒らないでやってくれと、俺たちに頭を下げた。悪いのは人の心がわからない自分で、サヤは何も悪くないと。ああ、俺とペトラにしてみたら、ハイジに対しても同じくらい腹が立ったな。本物の馬鹿だと思ったぞ」


 そう言ってヴィーゴはため息をついた。


「それで結局、俺たちとハイジの関係も、ギクシャクするようになった。どこかよそよそしくなって––––もう昔のように笑い合うのは無理だと諦めていた。はな」

「…………」

「あのときのハイジの感情が一体何だったのか、正確なところは、俺にもわからん。ただ、間違いなく言えることは、英雄譚で語られているほど、の関係は美しくもなければ、ロマンチックでもなかったということくらいか」

「……ヴィーゴさんとハイジってどういう関係だったんですか?」

「兄弟弟子だよ。俺とハイジとヘルマンニ、後からペトラが合流したが、皆同じ師匠に育てられたんだ」

「へぇ……」


 全然知らなかった……。


「そもそも、その恋だのなんだのというのは誰から聞いたんだ? ハイジか? ヘルマンニか? ペトラか? 違うだろう? 少なくとも、古くからの仲間にそんなことを言う奴はいない。絶対に」


 それにハイジが恋をしたなんて言い出したら、全員が腹を抱えて笑い死にしかねんしな、とヴィーゴは言った。

 しかし、あたしは到底笑う気分はなれなかった。

 言われてみれば、酒場でハイジと姫さまの悲恋物語を聞かされたときも、ヘルマンニだけはそれについて何も言っていなかった。あえて否定もしなかったが、きっとヘルマンニにも思うところがあったに違いない。


 あたしは我慢できずにぐずぐずと泣き続けた。

 ヴィーゴはそんなあたしを小馬鹿にするように、嫌味な目を細めてクツクツと笑う。


「だが……まぁ、それもいいじゃないか。英雄譚というのは多少色っぽい方が受けがいいからな。お前もなんだろう? 。まぁ、俺ならあいつが恋をした、なんて聞いたらひっくり返って笑い死にしかねんが」


 ヴィーゴの辛辣な言葉は止まらない。

 だけど、あたしは罰が欲しくてたまらない気分だった。


「そら、もう着くぞ。今日はサヤ––––いや『サーヤ姫』もいらっしゃるぞ。お前はハイジのなんだろう? なら、そんなしょぼくれた顔をしててどうする」

 

 だから、ヴィーゴが辛辣であればあるほど、あたしは心が休まる思いがした。

 きっと、ヴィーゴもそれをわかっていて、嫌われ役をやっている。


「戦争は終わった。もう荒ごとは沢山だ。なぁ、リン。

 

 ハイジ、ヴィーゴ、ヘルマンニ、ペトラ。

 この街の英雄たちは皆、残酷なほど優しく、その優しさは、

 ––––––––––––––––酷く分かりづらい。

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