戦地は、だだっ広い平地だった。

 ちょうど、この世界に来た日にあたしを絶望させた、『寂しの森』の魔物の領域とそれ以外を隔てるあの雪原と似ている。

 軍用荷馬車が到着し、荷物を下ろす。

 そこら中にテントが張られていて、煙突から煙が上がっている。炊き出しが行われているらしい。

 歩き回る男たちがむさ苦しいことを除けば、ちょっとしたフードイベントみたいで、あたしは肩透かしを食らった。

 

「ハイジ、戦争ってこんなものなの?」

「こんなものとは?」

「もっと、こう……戦略的に相手を囲んで、不意打ちとか、そういうのをイメージしてた」

「……それはもっと後だ。宣戦布告があれば、まずは儀礼戦だ。日時を示し合わせて戦う。そこで決着が付けばいいが、大抵は付かないな。その後はお前の言うように、何でもありだ」

「そうなのね。なんだかゲームみたいだと思っちゃった」

「ゲームではないな。殺し合いだ」

「いやまぁ、そうなんだろうけど」

「今回は長引くだろう。下手をすると一月くらいは続く」


(長引いて一月……そんなもんなのか。殺し合いなのに不謹慎かもしれないけど、短く感じるね)

(元の世界の戦争なら、年単位が当たり前だった、って言ったら驚くかな?)


 まぁ、大体において、戦いの質が違うのだ。

 元の世界の戦争では、重火器や遠距離攻撃が当たり前で、陸だけでなく、空から海まで全ての場所が戦場になる。

 しかしこの世界では、兵同志が剣をぶつけ合うことがすなわち戦争なのだ。


 元の戦争なら、どんなに優れた兵士でも、それ単体では大して戦局を左右しないだろう。しかしこの世界では、たった一人の英雄の存在が戦局を分けることになる。

 だからこそ、例えばハイジのような存在が英雄譚として愛されることになる。

 

(本人は間違いなく嫌がってるけどね)


 目立つのが嫌いで、変に自己評価が低い英雄様ハイジをちらりと見ると、何も気負っていない、いつもどおりの表情である。

 

(緊張感なんてないんだろうな)

(というか、逆か。日常全てが戦いなんだから、寝ても覚めても緊張感を持ってるって感じね)


 疲れそうな生き方だこと、と思うが、よく考えてみればあたしも似たようなものだった。


「明日の正午には開戦だ。開戦前に手出しをするのは重大なルール違反だ。ちょっかいを掛けてくることはまずないはずだ。今のうちにしっかり休んでおけ」

「ん? ハイジはどうするの?」

「おれは司令室に呼ばれてる」

「……まさか、ハイジが司令官ってわけじゃないよね?」


 あたしが驚くと、ハイジは「そんなわけがないだろう」と肩をすくめた。

 

「おれの役割は、何と言えばいいか……まぁ、兵士たちを鼓舞する神輿みたいなものだ」

「神輿?」

「ヴォリネッリの歴史上で、おれより多くの戦争に参加した戦士はいない。だがこの通りピンピンしているだろう?」

「そうね」

「だから、戦争を勝利に導く加護があると言われている」

「へぇ……でも、そんなもの持ってないわよね?」

「当たり前だ。おれは何と言うか……死神に嫌われてるだけだ」


 偽悪的な表現に、あたしは思わずクスリと笑った。

 

「だが、おれがいれば戦争に勝利できる––––そう信じられることには意味がある」


 戦争に勝つために必要なことなら、神輿にでも何でもなろう、とハイジは言った。

 

 

 * * *

 

 

 ハイジが居なくなって気付いたが、よく考えれば女はあたし一人だ。

 他にも女兵士はいるのかもしれないが、少なくとも見渡す限りは全員男である。

 面倒事になるのが嫌だったので、あたしは気配遮断し、魔力探知を ON にしておいた。

 

 気配を完全に消したおかげで、誰にも気づかれずに戦地を見て回ることができた。

 とりあえず、地形、敵や味方の兵の数や練度、武装の質も観察しておく。

 

敵方ハーゲンベックは……思ったよりも練度が高いな。それに武器も良いものを揃えている)


 荷馬車で聞かされた情報は確かなようだ。リヒテンベルクは軍資金と武器の提供を主として、派兵はほとんど行っていないようだ。

 

(つまり、リヒテンベルクにしてみれば、どちらが勝とうが得をする図式ってわけか。戦争屋の異名は伊達じゃないってわけね)


 だが、士気はこちらのほうが高い。

 それも当然だ。リヒテンベルクはともかく、ハーゲンベックの戦士たちは日々圧政に苦しんでいる。帰属意識や郷土愛など望むべくもない。士気も高まるはずもない。

 しかしライヒ方はそうはいかない。ハーゲンベックの治世に戻ることは何としても避けたい。家族は当然として、故郷を守るために命がけの連中が揃っている。

 

 見るべきところをあらたか見て回り、あたしは明日に備えて休むことにする。

 ハイジとは落ち合う約束も何もしていないが、あたしも傭兵として行きていくと決めたのだ。一人だからと心細がっている場合ではないし、戦いは常に孤独なものだ。だから今この時にそばにいる必要はないし、一人でも戦う。

 

 炊き出しでやけに贅沢なスープとパンを振る舞われた後、あたしは皆と離れたところでマントにくるまって眠った。

 

 

 * * *

 

 

 翌日、早朝に目を覚ましたあたしは、いよいよ始まる戦争に緊張を隠せなかった。

 すでにこれまでに三人もの人間を殺した自分ではあるが、あれは向こうが勝手に襲ってきたのだ。

 しかし、今回は敵と味方に分かれはいるものの、兵自体には罪はない。

 ハーゲンベックの兵の全てが領主のような悪意に満ちていればやりやすいのだが、実際はそうではない。

 中には戦いたくもないのに駆り出されたものも多いだろうし、家族が待っているものも多いだろう。

 

(迷っちゃダメだ)


 そう、しかしそれはこちらも同じこと。

 あたしたちが戦わなければ、ライヒ領が占領される。ライヒ伯爵の治世でようやく繁栄の道を歩み始めたエイヒムの街も、元の地獄に逆戻りだ。

 エイヒムにはニコやペトラ、ミッラやヤーコブ達もいる。

 敵方ハーゲンベックにとっては我々のほうが侵略者だという認識なのだろうが、それでも街を守るために戦わざるを得ない。

 

 戦うならば、勝つ。

 それだけだ。

 

 正午になれば開戦ということだが、その数時間前には準備を済ませておかなければならない。戦いの直前に食事は取れないので、あたしは早めの朝食をもらって、戦いに備える。

 あたしがもぐもぐとパンを食べていると、突然辺りに大きな声が鳴り響いた。

 

『聴け! 勇ましきライヒとオルヴィネリのつわものどもよ! 時は来た!』

 

 戦意高揚プロパガンダ

 見ればかなり遠くで立派な身なりの兵が壇上で声を上げている。

 どういう理屈なのか、その声はここまではっきりと聞こえてくる。があるのかもしれない。

 

 その声に反応して、周りの兵達が色めき立つ。

 

『覚えているか! ハーゲンベックの治世を! 誰もが飢え、明日が見えなかった、あの地獄のような光景を!』


 兵たちが拳を上げてそれに応えた。

 

「おおっ! 覚えているぞ!」「忘れるものか!」「おれは子を失った!」


『覚えているか! ハーゲンベックの支配が終わった日のことを! ライヒ伯爵が勝利を治めた日のことを!』

「「「覚えているぞ! 覚えているぞ!!」」」

『はじめは不安だった! 支配者が変わっただけで、我々の生活が良くなるものかと……だがッ! ライヒ伯爵は我々の期待に応えてくれた!!』

「「「応えてくれた! 応えてくれた!!」」」

『覚えているか! 食うに困らなくなり、税に喘ぐこともなく、妻や子供を守れる様になったことを!』

「「「忘れるものか! 忘れるものか!」」」

『守りたくはないか?! 我々の平和を! 人々の安寧を!』

「「「守ってみせるとも! 守ってみせるとも!!」」」

 『正義は我らに! 勝利は我らに!!」

「「「正義は我らに! 勝利は我らに!!」」」


 兵たちの興奮のボルテージが上がっていくのがわかる。


『ライヒ領の兵は強い! その上リヒテンベルクの参戦だ! 不安を感じている者も多いだろう!』

「「「不安などないぞ! 不安などないぞ!!」」」

『そうとも! 案ずることはない!! 我らには英雄が付いている!! 我々の勝利は揺るがないッ!!』


 その言葉に、兵たちがザワザワし始める。

 

「英雄?」「誰だ?」


『その英雄の名はッ! お前たちもよく知るところだろう! 彼のいる限り、我々に敗北の二文字はないッ!!』

「「「その名を言え! その名を言え!!」」」

『その名は『番犬!』!!! 魔物の森のハイジだ!!!』

「「「うぉぉぉおおおおおおーーーーーーーーッ!」」」


 男たちの咆哮。


(うわ)


 その声は大地すら揺るがすようで、あたしは思わず耳をふさいでしゃがみこんだ。

 見れば、舞台にハイジが登場していた。

 

(ハイジってば、こんな風に思われてたのね)

(ハイジがいるだけで戦争が有利になるってのは、こういうことかぁ)


 あたしは居心地が悪そうにむっつりとしているハイジを見て、思わず吹き出した。

 戦闘開始の法螺貝が鳴り響いた。

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