#5
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あたしがギルドで傭兵として登録すると、街ではちょっとした噂になった。
* * *
ハイジがようやくあたしを一人の戦士として認めたことで、あたしはますます生き急いだ。兎にも角にもまずは登録である。ハイジの気が変わる前にとっとと世間に認めさせてやろう––––といっても、本気でハイジの気が変わるとまでは思っていない。
ハイジが認めたということは、あたしが戦えるということの証左であるし、その自覚もある。少なくとも、何もできずに死ぬようなことにはならないだろう。
戦いたいわけではないのだ。ただ、守りたいだけなのだ。
(守りたいって、何を?)
自分でもよくわからなかった。
たとえ敵であっても誰かを傷つけたいとか、殺したいとは思わない。できれば荒ごとなどなく、穏やかに、平和に過ごしていたい。
学生時代、あたしは自分を追い込むようなトレーニングを苦に思わないタイプで、技術的には都内でも上位に位置していたが、闘争心が希薄なため、本番に弱かった。コーチからも「技術よりもメンタルを鍛えろ」とよく言われた。
所変われば……とはいうものの、変われば変わるものだ。
いまのあたしは「守りたい」という焦燥感にも似た強い感情に身も心も支配されている。
守りたいものが何なのか。エイヒムの人々か、街か、あるいは寂しの森か。
わからない。わからないが、自分のいるこの場所と、それを支えてくれる全てが愛しく思う。
しかし、それを壊そうとする勢力が存在する。
ならば戦う。人を傷つけたり、あるいは殺すことに対する抵抗感は、まだ確かにある。敵であっても同じ人間なのだ。大切なものや守りたいものもあるはずだ。つまり、自分の行動は正義感に基づくものではない。正義がどうとかはどうだっていい。正義などという立場が変わればコロコロひっくり返るようなものに、価値なんてない。
第一、エイヒムだって元はハーゲンベック領だったのだ。大義名分があろうと、それを簒奪したのがライヒ伯爵だ。敵方からすれば侵略者に違いなく、悪であり、敵である。
でも、あたしはもう躊躇はしないだろう。あたしが守りたいものが大きすぎて漠然としていても、そのために人を殺し、大きな罪を負うとしても、その程度のことで何かが守れるのであれば、迷う必要はない。
それに本当の理由は他にある。
ハイジが戦うからだ。
もしかするとあたしは酷いエゴイストなのかもしれない。
街のためだの、人のためだのと色々と綺麗事を並べているが、本心ではただハイジの横に立っていたいだけなのだから。
* * *
もはやあたしのことを「リン」と呼んでくれるのは、ニコとペトラや弟子たち、あとはミッラたちくらいのもので、ほとんどの人たちはあたしのことを『黒山羊』という二つ名で呼んだ。
正直、この二つ名はあまり好きではないのだ。
何なのだ一体。縁起が悪いし、陸上競技に青春を捧げた者としては山羊よりはカモシカあたりに喩えてほしかったところでもある。
あまりに皆がそう呼ぶものだから、名付け親が誰なのか調べてみたら、まさかのヘルマンニだった。
あたふたと言い訳していたが、言っていることを要約すると、誰が言い出したかは問題ではなく、周りが納得することで定着するものなので、自分の責任ではなく、また変更は不可能なのだそうだ。
つまり、ヘルマンニだけでなく、ヨキアムたちやギルドの面々、街の人達までが、あたしのことを「黒山羊っぽい」と感じているということだった。
(冗談じゃないぞ、おい)
まぁ、名前なんてどうでもいいことではある。
不快ではあるが、ハイジも『番犬』と呼ばれるのが好きではないらしいし、ペトラも『重騎兵』と呼ばれると怒り出す。
つまり、二つ名というのは
ちなみに、ヘルマンニにも『
(っていうか「可愛らしさ」って何なんだ……ヘルマンニのどこに可愛さがあるっての)
とりあえず『黒山羊』なんて二つ名を付けてくれた腹いせに、ギルドや店で『ラクーン』と呼びまくってやったら「頼むからやめてくれ」と泣きが入った。
その様子を見たハイジは肩をすくめるだけだったが、他の連中も面白がって『ラクーン』と呼び始めた。しかし同じく自分の二つ名を嫌悪するペトラが「さすがに可愛そうだからやめてやってくれ」と頼んできたので、仕方なくやめてあげることにした。
* * *
ハーゲンベックからライヒに対し、正式な宣戦布告があった。
どうやらリヒテンベルクとは無事に同盟を結んだらしい。ピエタリからの情報に嘘はなかったようだ。
ルール無用に見えるこの世界でも、宣戦布告なしでの戦争は許されないらしい。一応は大義名分も必要であり、ハーゲンベックとしては『ライヒ伯爵はオルヴィネリ家と手を結び、汚い手段でハーゲンベック領エイヒムを奪い取った。ゆえにハーゲンベックにはそれを取り戻す正当な権利がある』と言い分である。
そもそも二十年近くも昔のことではあるが、ライヒが『苛烈な政治で苦しむ民衆を助ける』という大義名分で宣戦しているので、まさに真っ向から対抗してきているというわけだ。「我らはそれを決して認めていない」というメッセージである。
サーヤの結婚により、すでにライヒ家はオルヴィネリ家は今や同盟関係というだけでなく、すでに家族である。当然ながらこの戦争にはオルヴィネリも参戦することになる。
(つまり『姫さま』の国も戦争に巻き込まれるってわけね)
サーヤ。––––ハイジ取って一番大切な女性。
あたしにとっては業腹ではあるわけだが、今では一番ハイジの近くに立てているという自負もある。ハイジが守りたいと思うなら、あたしも彼女を守るために全力で戦うことに
(サーヤのことは、あたしも嫌いじゃないしね)
そういうわけで、あたしはギルドでライヒ領からの徴募を受けた。
* * *
徴募を受けたことで、これまで良くしてくれていた街の人々は衝撃を受けたようだ。
これまでは魔獣相手の危険な生活から、何とかしてか弱き少女(もう二十歳を過ぎているのに、相変わらずの子供扱いである)を守ってやろうという認識だったらしいが、好き好んで戦場へ向かう女となれば話は変わってくる。
もはや、あたしは守るべき子供ではなく、街を守る戦士であり、あるいは忌避される人殺しだと見做されるだろう。
ハイジは「人を殺したと知れると人の目が変わり、街で生きづらくなる」と言っていたが、今まさにそれを体感している。
むしろ望むところだ。これでもう引き返せない。
しかし、一番困ったのはニコだった。
ニコは泣いた。それはもう盛大に「うわーん」と声を上げて泣いた。
ちゃんと生きて帰ってくると約束したが、そういうことではないらしい。何を言っても聞き分けなくワンワンと泣くニコを見て、あたしは困ると同時に「絶対にこの子を守ってみせる」と心に誓った。
手柄を立てようとか、評価されようとか、そうした気持ちは微塵もない。
思うのはただ、ハイジが守ろうとしているものを、あたしも一緒に守るということ––––そして、あたしにも守りたいものができた。
死ぬつもりはない。しかし、一対一で戦うのと、戦場は違う。特に矢がヤバい。気配察知が難しいので、雨のように降り注ぐ矢を避ける術があたしにはないのだ。
混戦となれば
つまり、要するに死ぬ気はなくとも、死ぬときには死ぬということだ。
あたしは世話になった人たちに、これまでのお礼と、お別れを言って回ることにした。
* * *
あたしはまずいの一番にペトラに頭を下げた。
本当はずっと、ペトラの店の子供でいたい。しかし優先したいことができたと告げた。
死ぬ気はないが、生きて帰ってこれる保証はないし、それに一度戦争に行ってしまえば、街の人の目も変わり、店員としては不適任な存在に成り果てるだろう。
だから––––これでおしまい。
この店の店員をやめて、あたしはハイジとともに、エイヒムと、姫さまを守る盾となる。
しかし、返ってきたのはゲンコツだった。
「
「バカなこと言ってんじゃないよ!! このヒヨッコが!」
「ちょ、ちょっと待って、痛い、本当に痛い、アレっ、何だこれ、ヤバい、なんか今まで経験したことないタイプの痛みが」
怪我や痛みがあたりまえの生活を送ってきたあたしですら悶絶する強烈な痛みに、あたしはのたうち回った。
どういう殴り方をすればこんなことになるのか。
「それ見たことかね! あたしが引退して何年経つと思ってんだい! そのあたしがちょっと小突いただけで動けなくなるような小娘が、何を偉っそうに!」
「だ、だって、ペトラに迷惑を掛けるかと思って」
「そうかいそうかい、もう一発いくかい?」
「ごめんなさいっ!?」
あたしは思わず頭を押さえたが、ペトラは構わずあたしを抱きしめた。
「バカな子だよ、本当に」
「……ごめん」
「でも、わかるさ。あたしにはあんたの気持ちがわかる」
「ペトラ?」
「あたしの青春も戦場にあった。リンとは動機は違うけれどね。でも、あたしなりに戦う理由はあったし、その理由から逃げるわけにもいかなかったよ」
「あたし……そんな立派な理由があるわけじゃないんだけど」
「一緒さね。あたしの理由だって立派なんかじゃなかった。それどころか、アンタなんかよりよっぽどくだらない理由だったよ。それでも、女には逃げちゃいけない瞬間があるんだ」
ようやく痛みが引いてきた頭を、ペトラは撫でた。
「あたしのげんこつは痛かったろう?」
「うん……ハイジに腕の肉持ってかれた時より痛かった」
「あんたすごい経験してるね?!」
ペトラが驚愕の顔であたしを見た。
「まぁ、すぐ治るし」
「ああ、ヴィヒタか……。懐かしいね」
「でも、ペトラのげんこつのほうが痛かったよ、何なの? あれ……」
「コツがあるんだよ、よくヘルマンニを殴る時に使った」
「ペトラ、何やってんの……」
「でもさ、リン、さっきのゲンコツの痛みを覚えておきな」
「……なぜ?」
「あんたとニコは、あたしの娘みたいなもんなんだよ。一生手放すつもりはないし、娘を辞めるなんて言い出したなら、母親としてはゲンコツを落とさないわけにはいかないね」
あたしはペトラの言い方に思わず笑ってしまった。
「だから、リン。ちゃんと帰っておいで。アンタにとって一番はきっと『寂しの森』なんだろうけど、この店だってあんたの家だ。あたしとニコが待ってるんだから、必ず生きて帰っておいで」
「うん、わかった」
あたしはペトラの気持ちが嬉しくて、素直に頷くことにした。
決してゲンコツが怖かったわけではない。
「ペトラ、大好き」
「あたしに似て馬鹿な子だよ、まったく」
ペトラはもう一度そう繰り返して、あたしを強く抱きしめた。
あたしもつよく抱き返しながら、必ずここに戻ってくることをペトラと心に固く誓った。
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