15

 報奨金はそれなりの金額だった。

 街でなら一年くらいはゆうに生活できるくらいの大金だが、ハイジは迷わずギルドに預けた。

 森に帰るのは明日だ。朝にギルドで落ち合うことを約束し、ハイジは娼館へ、あたしはペトラの酒場へと別れた。


 ペトラの店に着くや否や、ニコが悲鳴を上げた。


「リンちゃん!!! どうしたのその髪ーー!!!」

「……イメチェンかな」

「イメチェンじゃないよぅ! 何があったの!?」

「ちょっとね」

「あああ、リンちゃんのきれいな髪がぁ……」


(そんな風に思ってくれてたのか)


 この世界では、黒髪は『はぐれ』の色だ。下手をすれば不気味がられてもおかしくないのだが、ニコはあたしの髪が短くなったことを惜しんでくれた。

 よほどあたしの髪が短くなったことがショックだったらしい。ニコは涙目になりながら頭を抱えてぎゃあぎゃあ言っている。あるいはナイフで切っただけのざんばらな髪型があまりに女性らしくないからかもしれない。


 ペトラもあたしの耳を見て驚いたようだ。

 

「リン、その耳」

「ちょっと失敗しまして」


 ちょっと恥ずかしくて、自分で耳をピロピロと弾いた。

 ペトラは心配を滲まして、あたしの目を見つめた。


「何があった?」

「あー、話すと長くなるんですが」


 まさか「盗賊に襲われて、返り討ちにして一人殺しました」なんて言うわけにもいかない。何しろ荒ごとに全く免疫のない女の子がそこにいるのだから。

 ちらりとニコを見ると、それだけでペトラはあたしの言いたいことを察したようだ。


「……わかった。とりあえず話はあとだ。ふむ、疲れた顔をしてるね。今日のところはゆっくり休みな」

「ありがとう、ペトラ」

「あ、あたしもリンちゃんについてる!」

「あんたは仕事だよ、ニコ!」

「ええ〜〜」


 久しぶりだと言うのに何も変わらない光景を見て、クスリと笑いが漏れた。

 昔、どこかで「一度でも人を殺してしまうと、それっきり世界が変わって見えるようになる」と読んだことがあるが––––実際にはそんなこともないようだ。


 あたしは二人に礼を言って、屋根裏部屋で休ませてもらうことにする。

 久しぶりの屋根裏部屋は、前来たときとほとんど変わりがなかった。


(疲れた顔をしてる、って言ってたっけ)


 鏡を覗く。そして自分の顔を見て驚いた。


(あたし……こんな顔だっけ?)


 森で鏡を覗いたときは何とも思わなかったが、この部屋で自分の顔を見るのは半年ぶりくらいだ。だから、少し前の自分と今の自分の違いがよくわかった。


(––––こんなに目付きが鋭かったっけ?)

(これじゃ、本当に黒山羊みたいだ––––)


 どこか人間味を失ったように見える自分を見て、あたしは可笑しくなった。

 バフンとベッドころがって、クスクス笑った。


(それだけハイジに近づいてるってことかしらね)


 もしそうだとしたら嬉しい。

 そして、これからのことを考えを巡らせた。

 どうやら、あたしは狙われているらしい。


 ––––ハーゲンベック。あたしの敵。サーヤが言っていた、この街のろくでなしの前領主。


(ライヒ領やオルヴィネリ領にちょっかいをかけて、そのたびに撃退されていたようだが、リヒテンベルクとやらと手を組んだのか)


 リヒテンベルクについては知識がなかったが、ヴィーゴの表情からして、舐めてかかっていい相手ではないのだろう。


 そのハーゲンベックが、あたしを狙う理由は? 『はぐれ』とはいえ、あたしにそんな値打ちがあるとは思えない。


(サーヤを手に入れようとして失敗してるから、『はぐれ』に対する執着があるのかな)

(いや……きっと違う。ハーゲンベックの狙いはあたし自身ではなくて……)


 あくまで勘だが、ハーゲンベックの目的は、ハイジに対する牽制なのではないだろうか。

 十五年前、ハイジが当時弱小領だったライヒに勝利をもたらしたことは英雄譚として有名だ。それがオルヴィネリ皇太子妃……『はぐれ』の少女サーヤを守るためであったことも。

 今またハイジが『はぐれ』と暮らしていることも、きっと調べがついているに違いない。


 もしあたしが人質になったとしたらどうなるだろう。

 ハイジがその程度で止まるとは到底思えないが、ハーゲンベックにしてみれば、ハイジに対する牽制になると勘違いしても不思議はない。


(つまり、ハイジを押さえつけておきたかったってことか)

(ハイジさえ居なくなれば、ライヒの士気は落ちるし、勝てる確率もぐっと上がる、ってわけね。卑怯者め)


 ––––悔しい。

 ––––ハイジの障害になっている自分が。


 でも。

 それでもあたしは。

 自分勝手だと言われようが、あたしはハイジと離れるつもりはない。



 あたしは、これまでの甘えた自分と決別することを決心した。



 * * *



 翌日、まだ暗いうちに目を覚ました。

 昨晩は、いつの間にか眠ってしまっていたようで、隣を見るとニコがスースー寝息を立てていた。

 あたしはニコを起こさないようにそっと起き上がり、階下へ降りる。


 階下では、まだ早いというのにペトラがもう起きて仕込みをしていた。


「ペトラ、おはよう」

「おはよう、リン。朝飯はいるかい?」

「ううん、いい。そろそろ行くわ」

「そうかい。……何かあったらあたしを頼るんだよ」


 ペトラは真剣な顔だった。

 昨日は結局何があったか何も話せていないのだが、勘の良いペトラはある程度事情を察してくれているのかもしれない。


「……ありがとう。何かあったらそうする」

「ああ」


 あたしはペトラに頭を下げた。


「あたし、ペトラには本当に感謝してるよ」

「……つまんないこと言うんじゃないよ。アンタもニコも、あたしにとっちゃ娘みたいなもんだ」

「ありがとう。あたしもペトラのことは母親みたいに思ってるよ」

「そうかい? 光栄だね」


 ペトラは笑った。

 私も笑った。


「じゃ、行くわ」

「はいよ、行ってらっしゃい」


 ペトラを別れて、ギルドへ向かった。

 ザクザクザクと雪を踏みしめながら歩く。

 考えてみれば、冬の街を一人で歩くのは初めてだった。

 冬の朝は暗い。通りに面する建物も静まり返っているが、ぽつりぽつりと暖かい明かりが漏れている。街道にもそれなりの人通りがあり、労働者たちが忙しそうに開店準備などに勤しんでいる。


 いつだったか、エイヒムとは『故郷』という意味だとギャレコから聞かされたことを思い出す。

 美しいエイヒム。

 あたしはこの街が好きだ。


 この人通りの中で誘拐騒ぎは起こしづらかろう。

 森でいるよりは、街にいたほうが安全なのは間違いない。しかしそれは、同時に街に危険を呼び込みかねないことを意味する。

 聞けば、ハーゲンベックはもう後がない状況にあるので、なりふり構わずあたしを攫いに来ないとも限らない。

 手段を選ばなければ不可能とも言い切れないし、いっそ攫わずに殺すだけなら、街中でも可能だと考えるだろう。


(だが、あたしには気配察知がある)

(害意のある相手はすぐに探知できることを、敵は知らない)


 ならば、ビクビクと怯える必要などない。

 街を盾にして危険を呼び込むリスクを犯すよりも、自分の身は自分で守るほうが性に合っている。


 ギルドにつくと、珍しくハイジはまだ到着していなかった。


「おはよう、ミッラ」

「リンちゃん」


 ミッラは食事中だった。

 挨拶すると、ミッラはニコリと笑って立ち上がった。


「おはよう。早いのね」

「ハイジを待たせると悪いので」

「そう……じゃあ、ハイジさんが来るまで、朝食でもいかが?」

「いらないわ」

「あら、振られちゃったわ。じゃあせめてお茶だけでも付き合ってくれない? 一人の食事はつまらないのよ」


(随分熱心に薦めるなぁ)

(そういえばさっきはペトラにも朝食を勧められたっけ)


 ––––と、そこで違和感に気付いた。


「……ミッラ、ハイジは?」

「……まだ来てないわ」

「嘘」


 あたしが睨むと、ミッラは気まずげな顔をそらした。

 確定だ。あたしは全てを察した。


?」

「……もう間に合わないわよ」

「……


 あたしは魔力を込めて威嚇した。

 髪が逆立つのがわかる。

 ミッラは気圧されたように後ずさるとグッと呼吸をつまらせ、そのまま動けなくなった。

 そのまま黙って威嚇し続けていると、諦めたように苦しげに答えた。


「……こ、小一時間ほど前……かしら。貴方を……引き止めるように頼まれたわ」

「そう……」


 あたしが威嚇を止めると、ミッラはぷはっと息を吸い、ゼイゼイと呼吸を荒くした。額には汗の玉が浮き出ている。


(しまった……感情に任せてなんて酷いことを……!)


 ミッラは何も悪くない。悪いのはハイジと、ハイジに執着するあたし自身だ。

 あたしはミッラに頭を下げた。

 

「酷いことをしてしまってごめんなさい。あと、正直に話してくれてありがとう、ミッラ」


 そう言ってあたしはミッらに背を向け、ギルドを飛び出した。


「待って! リンちゃん! もう間に合わないわよ!」


 後ろからミッラの声が聞こえる。

 あんな酷いことをされたばかりだと言うのに、ミッラが本当にあたしのことを心配してくれているのがわかる。

 ごめんね、ミッラ。ありがとう。


 それでも、あたしはもう引き返すつもりはないのだ。

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