2
月に一度程度の頻度で、ハイジは街へ毛皮を売りにやってくる。
休憩中だったあたしは、おせっかいな客からの密告で、ハイジの来訪を知った。
「え、来てるの? 今? ギルドに?」
「ああ。えれぇでっけぇ熊の毛皮を売りに来てたぞ。ありゃあ売買にも時間がかかると思うぜ」
(あんにゃろう)
「……ペトラ、あたしちょっと行ってきていいかな」
「あいよ」
あたしの様子を見たペトラはすべてを察したらしく、二つ返事だ。
「あたしも!」
一緒に休憩中だったニコも手を上げて参加を表明した。
いつも休憩中はニコがまとわりついて離れないのはわかっている。どうせ付いてくるなと言っても無駄なのだ。仕方なくそのまま連れて行くことにする。
(ニコってば、たぶんあたしがハイジに会いたがってると思ってるんだろうな)
(残念でした。そんな甘ったるい用じゃないんだよ)
ニコを連れ立って、ギルドへ向かう。
石段を登り、ドアをくぐると、いきなりハイジと鉢合わせした。
ちょうど商談が終わって帰るところだったらしい。あたしを認識したハイジは立ち止まり、あたしとニコをいつもの顔で睨んでいる。
「……はわぁ……」
真正面からハイジを見たことがなかったニコは、想像よりも巨大だったハイジを見て固まっている。
(無理もない)
(だから、人と接するときは睨むんじゃなく、もう少し穏やかな顔をしろっての、バカハイジ)
あたしは腰に手を当てて、ハイジに言った。
「久しぶり、ハイジ。毛皮の買い取り?」
「ああ」
「ふぅん。先月も来てたみたいだけど、何で顔を見せないの?」
思いっきりじっとりと睨んでやる。
「あんたのことだから、どうせ今日も娼館に泊まるつもりでしょ?」
「ああ」
「しょ、娼館!?」
飛び出した衝撃ワードにニコがあたふたとしている。可愛いがとりあえずそれは後で愛でることにして、あたしはハイジの襟首を掴んで引き寄せた。
といっても、あたしとハイジの体格差では実際に引き寄せられるのはあたしである。身長差もあって、まるで襟首にぶら下がってるみたいだが、構いはしない。
「娼館に寄る時間があるならペトラの店に顔くらい出せ! あんたあたしの師匠でしょうが!」
あたしの啖呵に、ハイジはそれなりに驚いてくれたらしい。
珍しいことに、目が見開かれている。
ハイジがうむ、と頷いたので、あたしもうむ、と頷いた。
「わかった」
「わかればいいのよ、わかれば」
あたしは満足して、ハイジを解放する。
ハイジはあたしとニコを交互に見て、軽く頷いた。
「……? 何?」
「楽しくやっているようだな」
「お陰様で」
「……街へ来た時には、帰る前にペトラの店に顔を出す。それでいいか?」
「ええ、いいわ」
あたしがニッと笑ってそう言うと、ハイジは何も言わずにそのまま立ち去ろうとする。
あたしは「ガーッ」と威嚇して、ハイジを呼び止める。
「バカハイジ! そういう時は『またな』でいいから、一言くらい何か言ってから行くもんよ!」
「……そうか。またな」
ハイジが振り向くと目が少し笑っている。軽く手を上げて、いつもの特徴的な歩き方で去っていく。
その途端、パチパチパチパチ……!!! とギルド中から拍手が湧き上がった。
ヤンヤヤンヤと囃し立てられ、ピューイと口笛まで鳴らされている。
(な、何なの?!)
「いい啖呵だったぜ!」
「ハイジに命令するなんて、嬢ちゃんすげえな!」
「なかなかできることじゃねぇ。いやあ、立派なもんだ」
「気風がいいな! あんた、ペトラの店の娘っ子だろ?」
「贔屓にさせてもらうぜ!」
(……何だこれ……)
「し、失礼しましたっ!」
恥ずかしくなったあたしはニコを連れてギルドから逃げ出した。
何か言いたげなニコだったが、ハイジとの関係の誤解は晴れたのだろうか?
まぁ、ニコやギルドの連中が驚くのも分からなくもない。
でも、ああ見えてハイジは言われれば意外と素直なのだ。
* * *
その日の晩、ハイジがペトラの店にやってきた。
平均的な客と比べて二回りも巨大な熊男がやってきたことで、店は一瞬ザワリとしたが、客の一人の「おい、こいつ『番犬』のハイジじゃねぇのか」というつぶやきで、店はワッと盛り上がった。
「知ってるぜ! あんた『番犬』のハイジだろ!」
「英雄サマじゃねぇか! よく来たな!」
「へぇ、あんたもギルド以外に寄ることなんてあるんだな」
「知らねぇのか? そこの看板娘が店に顔を出せ、つってよ、啖呵切ったんだぜ」
「なんだそりゃ?」
噂の的にされているハイジを見て、ちょっと申し訳ないことをしたかな、とも思ったが、顔を見る限り、全く気にしている様子はない。
いろいろ話しかけられる度に「ああ」とか「そうだ」とか、ポツポツと返事をしている。
酔っ払い共は喋りたいだけで、返事なんて聞いていないのだから、そんな拙い返事でも何ら問題はない。
飲め飲めとエールやらワインを押し付けられている。
すっかり酒の肴である。
(そろそろ助けてやるか)
「いらっしゃい。奥にどうぞ」
「ああ」
酔っぱらいが盛り上がっているテラス席では、ゆっくり食事もできなかろう。
奥へ引っ張っていく。
「おや、珍しいのが来たね」
カウンターに座らせると、ペトラがにやりと笑ってみせた。
「ここに顔を出すなんて、久しぶりじゃないか。どういう風の吹き回しだい?」
「……コイツに顔を出せと言われただけだ」
「へぇ?」
ペトラはちらりとあたしを見てから、ハイジに向き直った。
「まぁ、いいさね。もうあの頃とは違うんだ。ゆっくりしてくといいさ」
「ああ」
「何か飲むかい? 飯はまだなんだろ?」
「ペトラの薦めでいい」
「あいよ」
(あの頃?)
(昔、この店で何かあったんだろうか?)
二人の意味深な会話は気になったが、
「おーい、リンちゃん、水割りくれ、水割り!」
「エールおかわり!」
客たちが放っておいてくれなかったため、あたしは二人を置いて、店中を駆け回った。
ハイジはポトフと腸詰めをワインと一緒に流し込んで、娼館へ戻っていった。
* * *
「えっ、娼館にも?」
「そうよ。知らなかったでしょう」
先日のギルドでの騒動の後、あたしはミッラから、ハイジが定宿にしている娼館に『はぐれ』が一人いることを知った。
(こんなに身近に『はぐれ』が居たんだ……)
「じゃ、ハイジがいつも娼館に泊まってるのは、その子を、その……抱きに通ってるってことですか?」
「それはないわね」
ミッラがそれを否定する。
「だって、その子、娼婦じゃないもの」
「あ、違うんですか」
「……こう言ったら失礼だけど、『はぐれ』が優秀っていうのは、主に頭が良かったりするそういう方面だから……その子は、その……」
(あー、察した)
「チンチクリンなんですね」
あたしと同じで、と言うと、ミッラは慌てて
「そ、そういうわけじゃないけど、せっかく優秀な頭脳を持った『はぐれ』を、娼婦にする意味はないでしょ?」
「……言い方はマイルドになりましたけど、要するにその子もあたしと同じで、女性的魅力に乏しいから娼婦としては失格ってことですよね」
「んもぅ! そんな言い方!」
ちょっといじけてチクチクいじめていたら、ミッラに叱られてしまった。
「でも、それならハイジが娼館を定宿にする意味ってないですよね」
「それがそうでもないのよね」
「ふぅん?」
「あの人、娼館から『はぐれ』を拾ったと知らせをもらって……環境改善っていうのかしら? かなり多額の寄付をしたらしいのよね」
「はぁ……」
「そのおかげで、不衛生な下級宿だったその店も新しく建て直されたのよ」
「で、VIP 待遇になったと」
「というか、その時に個室を用意されたみたいよ。宿屋に泊まるとお金もかかるから、それを利用してるだけじゃないかな」
「へー」
と、いうか。
なぜミッラがそんな言い訳じみた話をあたしに聞かせるのか。
そんな話をしていると、そばに居た酔っぱらいたちが話に割って入ってくる。
「いや、あいつだって男なんだぜ? そんなこと言ってても、ヤることはヤってんじゃねぇか?」
「英雄色を好む、っていうじゃねぇか」
「ちょ、ちょっと、ケテルさん、エイノーさんも、そんな確証もないことを口にしないでください! リンちゃん、気にしないで、ハイジさんはそんな事する人じゃないわ!」
「いや、別にどうでもいいです」
なるほど、ミッラは、先日あたしがハイジ相手に啖呵を切ったのを見ていたわけか。それでハイジの娼館通いが原因だと思い込んだというわけだ。
(さすがハイジの専属、プライベートのサポートも完璧ね)
(というか、別にどこの女と遊ぼうが好きにすりゃいいわ)
結局、ハイジは『はぐれ』を放っておけないのだ。
つまり、それだけ『姫さま』が大事で、今でも忘れられないということで。
ここで間違えても「あたしよりも大事なの?」などと考えたりはしない。
なぜって、あたしはもうハイジの「相棒」だからだ。
守られるだけの恋人よりは、たとえ女扱いされなくとも、あたしは相棒として認めてもらえるほうがずっと嬉しい。
それに、どうにもハイジみたいなマッチョな男はあたしの好みではないのだ。
おっさんだし。
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