13

 泣きじゃくるあたしを、男たちは遠巻きにして「こんなに愛されるなんて、あいつも幸せ者だな」とか、「あいつこそ本物の英雄だ」などと話している。


 違う。そんなんじゃない。

 断じて、あたしはあの男のことを愛してなんていない。

 死んで英雄扱いされるなんて風習は間違えてる。


 あたしはよたよたとカウンター向かい、突っ伏して、もう一度泣いた。


 ハイジのことを思い出す。

 無視された記憶がほとんどだが、今思い浮かべるのは、優しくされたことばかりだった。

 狼から救ってくれたときのこと、食事を与えてくれたときのこと、せがんだものを用意してくれたときのこと……。


 守ってくれた。

 助けてくれた。

 親切にしてくれた。

 気を配ってくれた。

 料理を教えてくれた。


 考えてみれば、あの男がやったことは、徹頭徹尾あたしのためだった。

 そんな彼に、あたしは文句ばかり言って、生意気を言って、感謝の言葉すらまともに言えていない。


(あたし、最低だ!!)


 突っ伏したあたしに、カウンター越しにギルドの店員が話しかける。


「何か……飲むかい?」

「……お酒頂戴。うんと強いの」

「出せるわけないだろ」


 どこかで聞いたようなセリフだなーと思ったら、ヤーコブ少年だった。

 ハイジに懐いていた、痩せっぽちの野生児のことを思い出す。


(ヤーコブ君、ハイジが戦に向かう時、随分心配してたな)

(あの子も、ハイジが死んだと知ったら、どんなに悲しむだろう)


 伝えてやろう。

 きっと泣かれてしまうだろうけど……あたしも一緒に泣いてやろう。

 彼とはほとんど面識はないけれど、ハイジに世話になった子供同士、彼を弔って、彼のために泣こう。


 めそめそと泣き続けていると、そっと背中に手が添えられた。

 ミッラだった。


「リンちゃん……」


 ミッラは泣きはらした目であたしの背中をさすってくれる。


「大丈夫?」

「……はい……」

「ショックだったわね……」

「はい……」

「あの人のために泣いてくれるのね」

「当たり前じゃ……ないですか……」

「そう……そうよね」


 そう言って、ミッラは悲しそうに微笑えむ。


「もう、会えないんですね」

「えっ? ……ええ、ええ、そうね。……もう……彼には会えないです」

「お礼も何も、まだちゃんと言えてないのに」

「お礼……、ですか?」

「ええ、あれだけ世話になったのに……あたし……あたしは……!」


 あたしは耐えられなくなって、ミッラに抱きつく。


「あたし……最低です……! ハイジのこと……あんなに悪く言ったりして……! ずっとあたしのことを気にかけてくれていたのに!」


 すると、ミッラはギュッとあたしを抱き返してくれる。


「リンちゃん……やっぱりハイジさんのこと……?」

「……いいえ! いいえ! 違うんです! そういうんじゃないんです!……でも、あたし気づいたんです……!」

「……どんなことを?」


 よかったら聞かせて? とミッラはあたしの背中を優しく撫でる。

 優しくされると、また涙がこみ上げてくる。


「……ハイジは……今から考えてみれば、初めて会ったときから優しかったんです。でも、あたし、初めてハイジを見たときに悲鳴を上げてしまって」

「それは……うん、無理もないわね」


 彼って、体が大きいし、顔も怖いからね、とミッラは言う。


「恥ずかしいんですけれど……あたし、彼に襲われるんじゃないかって……勝手にそんなことを思ってしまって……怖くて……だって、あたし、男の人って家族くらいしか知らなかったし……」

「わかるわ」

「そうしたら、ハイジは、あたしを怖がらせないように、何も言わずにそこを立ち去っってくれたんです……」

「彼らしいわね」

「きっと……きっと彼は、誤解されて、怖がられて、悲しかったと思うんです。でも、彼は何も言わなかった。説得も弁解もなく、ただ距離を置いて、そっとしておいてくれた……!」

「うん、うん」

「でも、そのあと、バカなあたしはそこから逃げ出して……そしたら、狼に襲われて……っ!」

「……彼に、救われた?」

「…‥はい。でも……あたしはそんな、狼をあっという間に倒してしまうハイジのことを、野蛮だ、恐ろしいって……感じてました」

「それは仕方ないことわ。女の子なんですもの、自分を責めないで」

「でも!」


 話し始めると、もう止めることができなかった。

 優しくあたしを撫でてくれるミッラにすがりつきながら、あたしは心の中にある何もかもを吐き出していた。


「その後も! 彼は一言も、何も言わずに! それでもあたしが快適に過ごせるよう、いつも気遣ってくれた! 寒くないように温かい部屋を与えてくれた! 美味しい食事を用意してくれた! 危険が及べば黙ってそれを退けてくれた! あたしが危ない目にあったら叱ってくれた! 自由にさせてくれた! あたしを尊重してくれた! それなのに!」


 最後の方は、悲鳴になっていた。


「あたしは最後まで彼に対して、ちゃんと感謝することができていなかった! あたしは、バカだ! 最低だ!!」

「まだ……間に合うわよ、リンちゃん」

「……駄目です、もう……たとえ、お墓の前でどれだけ謝っても、お礼を言っても、彼に伝わらない。そんな気がするんです」


 そう言って、あたしはまたミッラに抱きついて涙を流す。

 ミッラも感極まったのか、ブルリと震えて、あたしを抱く力を強くした。


「リンちゃん……実は、あなたに伝えておかなくてはならない、大事な話があるの」

「……なんですか」

「これを伝えることが……あなたにとって本当にいいことなのか、あたしにはわからないのだけれど……」

「……言ってください」

「……あのね、とても言いづらいことなのだけれど」


 そう言ってあたしを抱きしめるミッラは、小刻みに震えていた。


「……ハイジのことですか」

「ええ、ハイジさんの話。リンちゃん、辛いだろうけど聞いてちょうだい」

「はい」

「彼ね……生きてるわよ」

「はぇ?」


 あたしは素っ頓狂な声を上げた。

 今、なんつった?


 恐る恐るミッラから離れる。

 ミッラは、ブルブル震えながら、笑いを堪えていた。


「……ミッラ……?」

「ふぐっ……くくっ、うくくく……」


 つまり、ミッラから伝わってくる、すすり泣くような体の震えは。

 堪えていたのは、涙ではなく……。


「よ、よく聞いて頂戴、リンちゃん……亡くなったのは」

「な、亡くなったのは?」

「ハイジさんとは全然別の男の人よ」

「はぃいいいい?!」


 ミッラは笑いを堪えすぎて辛くなったのか、涙をボロボロ流しながら、静かに爆笑した。

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