12

 戦が終わったと聞いたのは、ペトラの店で働き始めて半月後のことだった。

 客の一人がおせっかいにも「ハイジのことを心配してたろ?」と教えてくれたのだ。

 聞けば、戦争は二日ほど前には終わっているという。

 この世界では情報の速度が遅いため、伝わるのに数日かかるのだ。


 すでに敵はほうほうの体で逃げていったとのことで、これでしばらくは平和になるらしい。


 ギルドで詳しい話を聞きたいと思ったが、時間はもう夜。

 お店はそれなりに忙しく、今のあたしには与えられた役目がある。


(ハイジは無事だろうか)


 いや、あの男が簡単に死ぬわけがないとはわかっているのだ。

 ついでにいうと、そもそもあたしがあの男を心配する必要はないのだ。

 恩はあれど、迷惑をかけただけの相手だし、そもそもあの関係をコミュニケーションと呼んで良いものか。


(それでも心配なものは心配だ)


 そんな気持ちを気取られないように、あたしは頭から戦争のことを振り払って、仕事に没入した。


 仕事が終わり、自室に戻ると、明日に備えてニコと交代で沐浴する。


(お風呂に入りたいなぁ)


 森の最後の夜を思い出す。

 お風呂に浸かりながら眺めたオーロラと、ドーナツみたいな天の川は、神秘的で本当に美しかった。

 この街からでも空はきれいに見えるが、街明かりのせいもあって、森とは比べるべくもない。

 もう一度、森でお風呂に入りながらあの星空を見たい、などとバカなことを考える。


 明日はギルドに行こう。

 あの日、最後に別れたあの時に、きちんと伝えられなかった感謝を、今度こそきちんと伝えよう。


「リンちゃん、どうかしたの? ちょっと元気ないよ」


 ニコが心配そうに声をかけてくれたが、うまく説明できなかった。

 ミッラみたいに変な誤解をしてほしくなかったあたしは、「ちょっと疲れただけ」と苦しい言い訳をした。


 * * *


 翌日、あたしはペトラに一言断って、ギルドへ足を運んだ。


 店からギルドはそう遠くない。

 ギルドに着くと、いつもよりもずっとたくさんの人が集まっていて、戦勝を祝い合っている。

 五十人くらいはいるだろうか? みな薄汚れていて、しかし楽しそうに談笑している。


(……まさか、ハイジが戦死したなんてことはないよね?)

(みんな笑ってるけど、戦死者が出たこと、みんな気にならないのかな)


 この街から参加した傭兵は、ほぼ全員が集まっているらしい。

 男たちはみな酒の入ったグラスを持っている。

 どうやら、今日一日はギルドから酒を振る舞われるようだ。ささやかながら、戦勝祝というわけだ。


(なら、ハイジもいるよね)


 そう思ってハイジを探すが、いくら探してもどこにも見当たらない。

 しかたなく、事情を聞こうとミッラをを探すと、ミッラは受付の向こうでハンカチで目を押さえていた。


(えっ!? ミッラ、泣いてる?!)


 じわりと胸に不安が広がった。


 その時、「英雄の凱旋だぞ!」という勇ましい声が聞こえてきた。


 途端、ギルドの緩んだ空気がピンと引き締まった。

 男たちが一斉に扉に注目する。

 皆、背筋を伸ばし、口をつぐむ。


(何? 誰が帰ってくるの?)

(英雄って、もしかしてハイジ……?)


 そうだ、ハイジだ。

 酒場の男たちは、ハイジがこの街の英雄だと言っていた。

 きっと、皆が英雄であるハイジを出迎えようとしているのだ。


 あの無愛想で無口な男が、戦に勝つとこんなにちやほやされるのだと知って、はちょっと可笑しかった。

 一体どんな顔をして現れるのだろうと、あたしは内心ニヤニヤしながら扉を眺める。


 しかし、どうも様子がおかしかった。

 やってきたのは、ハイジではなく、数人の男たち。

 男たちが、数人がかりで大きな箱を運び込んでくる。


 それは––––どう見てもひつぎだった。


(えっ?!)


 ギルドの男たちが見守る中、棺を担いだ男達が大声で叫んだ。


「凱旋だ! 凱旋だ! 英雄の帰還だ! 皆! 勝鬨を上げろ!」

「「「「「うおおおおおおおーーーー!!!!」」」」」


 男たちが一斉に雄叫びを上げ、足を踏み鳴らす。

 あまりの音圧に、思わず耳をふさいだ。

 ドンドン、ドンドン、と踏み鳴らされる足音が揃い始める。


 棺を担ぐ男たちの口上が続く。


「英雄の帰還に涙はいらぬ! 我々を勝利に導いた真の男のために、皆! 勝利を祝え!」

「「「「おおっ!!!」」」」

「凱旋だっ!!」

「「「「おおっ!!!」」」」

「勝鬨を上げろっ!!」

「「「「「うおおおおおおおーーーー!!!!」」」」」


 ギルドが雄叫びで満たされる。

 しゃがみ込みたくなるくらいうるさい。


 ギルドの中央に無骨な木の台が用意される。

 職員によって、台にサッと布がかけられる。


 運ばれる棺に、男たちはみな道をゆずる。

 棺は台の上に移動させられ、ゆっくりと降ろされる。

 ごとり、と音がして、棺が安置される。

 女性職員が歩み寄り、棺の上に花束を置いた。

 

 ザッ、と男たちが一斉に棺を囲む。

 帽子を被っていたものは、帽子をはずして胸に当てている。


 口上を述べていた男が、ひときわ大きな声で叫んだ。


「今日、ここエイヒムに、英雄は帰ってきたっ!!」

「「「「おおっ!!!」」」」

「皆、英雄を讃えよ!!」

「「「「おおっ!!!」」」」

「おかえり、英雄!!」

「「「「「おかえり、英雄!!」」」」」


 男たち全員の声が揃う。

 全員が、手に持った酒を掲げ、そしてグイと飲み干した。

 同時に、受付の奥で「うぅぅううーー!」と呻くようなミッラの泣き声が聞こえてきた。


 隣の職員が、ミッラの背中をさすりながら、慰めている。

 見れば、男たちは一様に貼り付けたような笑顔で涙を堪えていた。

 はじめは普通の笑顔だと思ったが……今ならわかる。

 それは、涙を必死にこらえて無理矢理浮かべた、作り笑顔だった。


 英雄の眠る棺を前に、男たちは笑って飲み交わし、女たちは泣きじゃくっている。

 つまり、これは––––この世界流の、戦死者の弔いなのだ。

 戦死者はこうして、英雄として皆に祝われるのだ。

 祝われる英雄は、もう目を開けることは永遠にないのだ。


(なんだ、これは)


 視界が真っ白になる。

 目眩がする。

 世界がぐるぐる周り、もはやまともに立っていられない。


 本当に、これがハイジなのか。

 この箱の中にハイジが眠っているのか。

 もう動いているハイジを見ることはできないのか。


 ––––嘘だ。

 ––––嘘だ、嘘だ嘘だ!


(あたし、結局……)

(結局、彼に、一度もちゃんとお礼を言えないまま……)


「ヒィイーーーーーーー!!」


 あたしは我慢できずにしゃがみ込むと、自分でもびっくりするような泣き声を上げた。

 涙が溢れて止まらなかった。


 嘘だ。

 あの乱暴でやさしい、無神経で親切な、不器用で強大な男が死ぬなんて。


 死ぬなんて。


「嘘だ!」


 あたしはひと目もはばからず、大声で泣き続けた。

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