「ハイジ、お前もつくづく『はぐれ』に縁があるなぁ」

「……偶々だ」

「そんな偶々は嫌だな」


 男が可笑しそうに笑う。


「それも今日までだ。今日からこいつは街で生活する」

「ほう、そうなのか、自立すんのか? 偉いじゃねぇか」


 男が関心したようにあたしをじろじろ見る。

 不躾な視線は鬱陶しかったが、悪意があるようには見えなかったので、悪い印象を持たれないように、ペコリと頭を下げておく。


「よろしくお願いいたします」

「お、礼儀正しいな。よろしくな。俺はヘルマンニだ」

「リンです」


 あたしがヘルマンニと挨拶を躱しているのに、ハイジはさっさと背を向ける。

 相変わらずのドライさである。


「用を済ませてくる」

「待ってよ、あたしも」


 あわてて、ヘルマンニに軽く会釈して、ハイジを追いかける。

 なにせ、あたしはこの街に(というかこの世界に)、一切の縁故がないのだ。

 人付き合いが下手そうなハイジだが、それでも知り合いは少なくないようだから、できればヘルマンニのほかにも何人か紹介してもらいたいところだ。


 ハイジは『買い取り』と書かれたカウンターへ足を運ぶ。

 カウンターには三十代くらいの女性が座っていて、ハイジを見て「あら」と明るい笑顔を見せた。

 やや赤みの強い金髪に明るい青い目をした、愛嬌ある美人さんだった。


「ハイジさん! ちょっと久しぶりですね。お元気でしたか?」

「ああ」

「それで、今日はどのようなご用ですか?」

「いつもどおり、毛皮の買い取りを頼む」


 ハイジはカウンターにドサリと袋を置く。


「ありがとうございます。査定させていただきますね」

「それと……もう一つ。『はぐれ』を一人、世話を頼みたい」


 ハイジはそう言って、後ろに立つあたしを親指で指し示した。

 カウンターの女性はあたしを見ると、驚いた表情を見せる。


「それは……まぁ、そうですか……」


 この世界では、あたしは見ただけで驚くような見た目なのだろうか。

 ちょっと傷つくぞ。


「あの、リンといいます」


 それでも、この女性がお世話をしてくれるということなのでしっかりと挨拶する。

 女の人はニッコリと笑いかけてくれた。


「リンさんですね。私はハイジさんの担当で、ミッラです。こちらこそよろしくおねがいしますね」


 いい人そうだ。

 この世界に飛んできてからこっち、ひたすらハイジの無視に耐え続けてきたせいか、ミッラのやさしい態度が身にしみる。


「仕事を斡旋してほしい」


 ハイジがぶっきらぼうに言うと、ミッラは頷いて、


「ハイジさんの頼みですし、なんとかしましょう」


 と請け負ってくれた。

 ありがたい。


「それでリンさん。何か得意なことはありますか?」


 得意なこと、と訊かれて、ちょっと迷う。

 日本ではそれなりに家事手伝いやアルバイトもしてきたが、この世界で通用するのだろうか。

 しかし、ろくでもない仕事を紹介されると困るのだ。

 しっかり役に立つことをアピールして置かなければ。


「簡単な料理とか、掃除、洗濯……あと、計算とかも多少できると思います」

「計算? さすが有能なのね」


(さすが? どういう意味だろう)


「下働きでも何でも構いませんので、よろしくお願いいたします!」

「下働きは辛いわよ」

「そうは言いましても、他に道はありませんし」


 そう正直に伝えると、ミッラはくすっと笑って、


「ハイジさんのところにいればいいのに」


 と言ってハイジを見た。


「……勝手なことを言うな」


 ハイジがむっとした声で答える。


「『はぐれ』には慣れているでしょうに。よほど縁があるのかしらね」

「……やめてくれ」


 ハイジはそっけなく言うと、もう用は済んだとばかりに背を向ける。


「買い取り金はいつものように処理しておいてくれ」

「ちょっ、ちょっとまって!」


(なんで何も言わずに出ていこうとするの!)

(お礼だってちゃんと言いたいのに!)


 ハイジは不機嫌そうに振り返る。


「何だ」

「そんなにすぐに行かなくたっていいでしょう! お礼だってちゃんと言いたいし……」

「不要だ」

「あなたが不要でも、あたしが言いたいって言ってるの!」


 必死に引き止めると、ハイジは仕方なく帰るのを諦めて、酒場に向かった。

 バーカウンターに座って、何やら注文している。

 ヘルマンニが隣りに座って、何やら話しかけている。


(何帰ろうとしてんのよ)


 まったく、どれだけ人の気持ちがわからないのだ、この男は。

 しかし、今は目の前で困った顔をしているミッラと話をしなければ。


「すみません……」

「ううん、いいのよ」

「それで……あの、仕事を斡旋してもらえるんでしょうか?」

「まぁ、ハイジさんからの依頼だからね。ある意味身元ははっきりしているから」


 ある意味ってどういう意味だ。


「にしても……災難ね……」

「本当ですよ……あの人、何を言っても無視するし……」


 あたしが言うとミッラは驚いてから苦笑する。


「違うわよ。もちろんあなたにとっても災難だったんでしょうけど、言ったのはハイジさんに対してよ」

「えっ、それはどういう……」


 あたしが聞き返そうとした時だった。


「ハイジ!!」


 まだ幼さの残る少年の声がギルドに響いた。

 どこか怒りを感じさせる、鋭い怒声だった。


(なにごと?!)


 驚いて声の主を探す。

 ギルドの入り口に立つ、薄汚れた服を着た痩せっぽちの少年だった。

 年齢は、ぱっと見る限り十二歳くらいだろうか?

 小学生高学年くらいに見えるが、この世界の人の年齢はよくわからない。

 伸び放題の暗い金髪の隙間から、爛々と燃えるような視線をハイジに向けている。


「今日こそオマエに一撃入れてやる!」


 少年はそう言って棒––––本当にただの木の棒だ––––を構える。

 対してハイジはそちらを見もしない。

 少年はギリリを歯を食いしばり、姿勢を低くする。


(この子、本気だ! 本気でハイジに打ち込む気だ!)

(なんだってこんな小さな子に恨みを買ってんのよ、あんたは!)


 少年が弾けるように走り出す。陸上で鍛え上げたあたしの目から見ても、なかなか見事なダッシュだ。木の棒を低めに構え、あっという間にハイジに迫る。

 そして一閃。

 対して、背を向けているハイジは隙だらけだ。

 少年は下から掬い上げるように、肋骨狙いなのだろう、脇腹に向かって棒を力いっぱい振るう。


「危ない!」


 思わず叫んだ。

 しかしハイジはくるりと振り返り、すっと片足を上げて木の棒をつま先で蹴り上げる。

 コン、と軽い音がして宙を舞う木の棒。

 それを掴んで、勢い余って突っ込んでくる少年の胸元に突きつける。止まれずに突っ込んだ少年は「イッテェ!」と叫びながら、それでも拳を握り、ハイジに殴りかかる。

 ハイジはそれをぱっと掴んでぐいと引っ張り、少年の足を蹴り上げる。ぐるんと宙を舞う少年を、ハイジは軽い力で食堂まで放り投げる。


 食堂の客たちはいつの間にか場所を空けて、やんややんやと囃し立てている。

 食堂のテーブルに突っ込む少年。運良く尻のほうから突っ込んだから、命に別状は無いだろうが、下手すると死にかねない暴力だ!


 この間、ほんの2〜3秒の出来事だった。


「ちょ、こんな子供になにするのーーーっ!!」


 あたしは叫んで少年に駆け寄った。


「大丈夫?! 怪我してない?」

「うるせぇ! 子供あつかいすんな、ブスッ!」


 心配して手を出してやったのに、少年はそう怒鳴って、あたしの手を乱暴に振り払う。

 内心ムッとしたが、それでも体のほうが心配だ。ものすごい勢いでテーブルに突っ込んだのだ。当たりどころが悪ければ死んでいたかもしれない。

 体は大丈夫か、頭を打っていないか、痛むところはないかなどと質問しまくっていると、少年は鬱陶しそうにあたしを睨んで怒鳴りつけてきた。


「黙れよ! そんな柔(やわ)じゃねえ! オカンか、てめぇ!」

「お、オカン……?」


 少年は立ち上がって、あたしを突き飛ばして、「チクショウ……」と悔しそうに呟いて、逃げるようにギルドを後にした。


(ブスだのオカンだの、好き放題言ってくれる……まぁ、別にいいけどさ)

(それよりも)


 問題はハイジだ。

 やっぱりこいつは、女子供にでも平気で暴力を振るうような最低野郎だ!

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