14

 明日にはここを発ことになってしまった。

 ついあんなことを口走ってしまったが、街に仕事なんてあるのだろうか。

 しかし、あの様子ではいつ男が豹変してまたあたしに暴力を振るうかわかったものではない。

「見た目に反して紳士的だ」なんて勘違いをしてしまった過去の自分を罵ってやりたい気分だった。


 街へ出て、仕事を探すにしても、少しくらい身ぎれいな方がいいだろう。

 とりあえず風呂に入ることにする。

 今や、自分で薪を焚べて温度調節することくらいはわけなくできる。

 温かい湯に浸かりながら空を見上げると、満天の星空に、エメラルドグリーンのオーロラがはためいていた。


(オーロラ?!)


 あまりの美しさに絶句する。

 もちろん、オーロラの実物を見るのは生まれてはじめてだった。

 昨日までは、夜は常に曇っていて、星すら薄っすらとしか見えていなかったのに。


(この世界にもオーロラがあるのか)


 家の明かりを受けて薄っすらとシルエットを浮き上がらせている白樺の森。

 明るい星空。

 あきらかに地球とは違う天の川だった。

 銀河はドーナツのような形をしていて、驚くほど多くの色とりどりな星々が、明るく輝いている。

 ドーナツの穴の部分には星がまったくない。

 見ていると吸い込まれそうで、あたしは目を離すことができずにじっと見つめていた。


 美しさには心を洗う効果があるのか。

 血が登っていた頭が冷め、心が落ち着いてくるのを感じる。


 風が冷たいと、熱い湯でも長湯ができるものだ。

 美しい空を見上げながら、あたしは明日からのことを考える。

 子供扱いされ、恥をかいて、あんな態度をとってしまったが、基本的に失礼なのはこちらの方だった。

 もしあの男が拾ってくれなかったら、今頃はとっくに狼の餌になっていた。

 もしあの男がこの小屋に置いてくれなかったら、あたしはとっくに凍死していた。

 無視はするわ、女に平気で暴力を振るうような最低な男ではあるが……恩は返しきれないほどある。


(悔しいけれど……もし街でちゃんと仕事ができるようになったら、絶対に恩を返しに来よう)


 殴られたことに対しては未だに納得できずにいるが、それでもそう決心する。

 すると頭上で「ガチャン」と音がして窓が開いた。


「えっ!?」


 窓から男が身を乗り出す。


「えっ!、ちょ、ちょっと!?」


 こっちは裸なんだけど!


 いきなりの襲撃に慌てるが、男はこちらに一切目を向けることはなく、弓を窓から突き出して引き絞る。

 ヒュン! と鋭い音と共に、三筋の矢が線を引き、森の奥から小さく「ギャン!」と鳴き声が聞こえた。


 あたしは恐怖と驚きで、体を隠しながら男を見つめることしかできなかったが、男はしばらく森を睨みつけ、そのままスッと部屋に戻っていった。

「ガチャン」と窓が閉まる音。


(狼が来てたのか……)

(また……守られてしまった)


 静けさが戻った森の中で、あたしはのぼせ気味に考える。

 男にとって、自分は何なのだろう?


 * * *


 そして、あっという間に翌日になった。

 いつもより早めに目を覚ましたあたしは、念入りに小屋を掃除してから、朝食を作り、身だしなみを整える。

 男に心を込めて頭を下げる。


「これまで、本当にありがとうございます。この御恩は必ず返します」


 しかし、男から返事は帰ってこない。


(相変わらずの無視ですか)


 いや、むしろこれまでよりもますます頑なな印象を受ける。

 こんちくしょうめと思いながらも、朝食を出す。

 味は最初と比べれば、多少はマシになったはずだ。

 それも半分以上男のおかげではあるのだけれど、あたしはあたしなりに精一杯努力した。


「どうぞ」


(と言っても、まぁ無視なんですけどね)


 腹立たしい。腹立たしい! 腹が立つ!!


(でも……ありがとう)

(本当に、ありがとう)


 男が立ち上がる。

 足元に置いてあった、見覚えのある革鞄をあたしに放り投げて寄越す。


(まぁ……それでも親切ではあるんだよな……)


 微妙な気持ちになりながらも、あたしは男にもう一度頭を下げる。

 どうせ見てはいないのだけれども。


 男は小屋を出て、食在庫に向かう。

 干し肉をいくつか袋に突っ込み、大量の毛皮の束を抱える。

 そして何も言わずに歩き始める。


 後を追う。

 男の足取りは確かで、鍛え上げた人間独特の安定感がある。


 男の後ろを追いかけながら思う。

 もうこの家には帰ってこないのだ。

 どこか寂しい気持ちだった。

 立ち止まって、振り返り、命を救ってくれた小屋に向かって頭を下げる。


「ありがとうございました」


 そうしている間にも、お構いなしにどんどん歩いていってしまう男のあとを、あたしは慌てて追いかける。


 先に行かないで。

 ちょっとくらい待ってよ。

 少しくらい、あたしのことを見てよ。


 なぜだか、あたしは悲しくなって、泣くのをこらえながら、カミソリみたいに鋭い冷たい風の中を歩き続けた。


===================


 これで一章は終わりです。

 二章からは、街での生活が始まり、停滞していた物語も動き始めます。


 途中、何度も「もう少し明るい感じにしたほうが良いだろうか」とか「あえて嫌われるように書いていたけれど、流石にやりすぎだろうか」などと、挫けそうになりましたが、最後まで自分の書きたいように書くと決めました。

 よろしければ、お付き合いください。

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