第4章 神龍を求めて

第31話 吹雪の結界

 主要な街道がちょうど交差した場所にある大都市マーロギーから北へ一時間ほど進むと、広大な緑地に寝そべるアフタリア大河がある。その河にかかる橋を渡った先にあるのが魔法都市アーヴァンだ。


 ルルクスの宿場町を出発したアレスたちは、大事を取ってユレストとポルクの町で一泊してから魔法都市アーヴァンへと飛竜を進めた。体に染みついた攻撃魔法の残滓のせいなのか、極端に疲れやすいレティシアを気遣って、空を行く飛竜の速度も普段の半分ほどにまで落としてきた。そのせいもあって、普通であれば龍神界アークドゥールから飛竜で二日ほどの行程を、アレスたちは倍の時間をかけてようやく魔法都市アーヴァンへと辿り着いたのだった。


 アフタリア大河の向こう岸には石の城壁がぐるりと都市を囲み、地面に描かれた巨大な魔法陣がアーヴァン全体を守っていると聞く。魔道士を志す者たちが集まる場所としても有名で、アーヴァンはさながら巨大な学び舎であると言っても過言ではない。


 アレスも魔法都市までは訪れたことがなかったが、アーヴァンの最高責任者メルドールと昔馴染みのガッシュから話には聞いたことがある。だから、この現状が異常であることはすぐにわかった。

 ――橋の向こう岸。魔法都市を完全に覆うようにして、激しい吹雪が渦を巻いていた。


「アーヴァンって、雪国だったのか?」


 上空で足止めを喰らい、アレスたちは白い風雪の壁をぐるりと旋回している。地上に降りることもできなくはないが、飛竜珍しさに寄ってくる者たちの目にレティシアの姿をあまり曝したくはない。


「そんなはずはないだろう。雪なら雲があるはずだ」


 アレスが言うようにアーヴァンの上空に雪雲はなく、今日も気持ちのいい晴れ空が広がっている。視界を覆うほどの吹雪はアーヴァンだけに限られており、その様子はまるで巨大な白い球体に街全体がすっぽりと囲まれているかのようだ。それにこれほどの規模の吹雪であるというのに、温度の変化を全く感じない。


「これは……結界魔法の一種だと思います。吹雪からわずかな魔力を感じますから」

「これほどの規模となると、作ったのは……」

「えぇ。おそらく大魔道士メルドール様かと」

「ガッシュから聞いた話だと、都市を守る結界はこんな吹雪ではなかったはずだ。俺たちが来ることも事前に報せが言っているはずだが……」

「……何かあったのかもしれません」


 このまま進むべきか、一旦マーロギーの街まで戻るか、アレスは吹雪の奥を見つめながら考えを巡らせる。

 魔法の使えないアレスには、レティシアが言うように吹雪に残る魔力を感じ取ることはできない。何者かを拒む目的で張り巡らされた結界、それを作ったのがメルドールであるなら、既に報せが言っているはずのアレスたちを排除することはないはずだ。

 それにロッドの様子が変わらないのも決め手になった。レティシアに残る攻撃魔法の残滓を本能的に感じたロッドが、吹雪に対して同じような感じを抱いている様子はない。獣人は魔法との相性は悪くとも、本能的に危険を察知することには長けている。ならば、この結界も悪意があるものではないだろう。


「俺が先に行く。何もなければ戻ってくるから、その間お前はロッドと一緒にいろ」

「アレスが行くなら、私も一緒に行きます」


 思わぬ返答に、アレスは一瞬声を詰まらせてしまった。驚きのあまりレティシアを凝視すると、小さく首を傾げてアレスを見上げてくる。言葉の意味をはかりかねていると、アレスの動揺が伝わったのか、レティシアが「あっ」と小さく声をこぼして朱に染まる頬を隠すように視線を逸らした。


「あのっ、ち、違います。まっ、魔法がかけられているのなら、何かあった時に私なら何とかなるかと思ったので」


 消え入りそうな声でそう言ったレティシアの耳は真っ赤に染まっている。勘違いしそうになった自分には呆れたが、こうして照れているレティシアを見るのは悪い気分ではない。そしてそう思う自分に、アレスはまた少しだけ呆れるのだった。


 結局、吹雪の中には皆で一緒に行くことにした。レティシアが魔力を感知しながら進むのなら、魔力のないアレスとロッドが別々では二度手間になる。できるだけ離れないよう、互いに目視できる距離を保ったまま、二頭の飛竜は吹雪の中をゆっくりと進んでいった。


「うわっ! これ、思ってた以上にしんどいな。前が全然見えないぞ」

「はぐれるなよ」

「そこはもう飛竜に任せてるよ。何か勝手にアレスの方についてってくれてるし」

「なら大丈夫だ。お前は黙って乗ってろ」

「何か言い方ひどくないか!?」


 吹雪の中は想像以上に視界が悪かった。耳元ではごうごうと風がうねり、声を張り上げないと互いに言葉が届かない。また飛竜の巨体は吹き荒ぶ風の抵抗をまともに受け、なかなか前へも進めない状況だ。なのに風も雪も冷たくない。明らかに「何か」を拒絶している魔法だった。


「レティシア。何か感じるか?」


 前に座るレティシアができるだけ風雪に煽られないよう、アレスは手綱を握る両腕の間隔をわずかに狭めて体をそっと前に傾けた。いつもよりもぐっと距離は近くなるが、今は変に意識している場合ではない。冷気はなくとも、この荒れ狂う風の強さにレティシアの細い体は簡単に折れてしまいそうだ。

 そんなアレスの心など知らないレティシアは、自身を守る腕の隙間から右手を突き出して、吹き荒ぶ雪を捕まえようとしていた。


「雪のひとつひとつにまで、魔法がかけられているようです。でも私たちには影響がないので、その点については心配ないかと」

「影響がない?」

「えぇ。これはたぶん、魔物除けです。闇に属するものが雪に触れると発動する白の攻撃魔法。低級の魔物なら雪一粒で消滅します」

「穏やかじゃないな」


 自分たちには発動しないとは言え、都市全体を覆うほどの魔法をかけなくてはいけない状況が、いまアーヴァンにあると言うことだ。言い知れぬ不安感を抱きつつ、注意だけは怠らないようにと、アレスは更に神経を尖らせて吹雪の先を見据えた。


「あ……。アレス、あれを」


 レティシアが指を差した方角へ目を向けると、吹雪の向こうから金色に輝く小さな光がゆらゆらと飛んでくるのが見えた。暴風の流れに逆らって滑るように近付いた光は、アレスたち周りををぐるりと一周すると、最後にゆっくりと飛竜の鼻先に着地した。


「何だ、これは?」

「魔法……のようですが、どちらかというと思念体に近い……?」


 レティシアの言葉を肯定するように、光がぴょんぴょんと跳ねる。まるで生き物のようだ。

 再び浮いた光は少し先へ進むと立ち止まり、背後のアレスたちを呼ぶようにまた軽やかに跳ねてみせた。


「ついて来いとでも言いたげだな」

「害はなさそうですが」

「だったら行ってみるか。どっちにしろこの吹雪じゃ、どこを目指していいのかもわからないからな」


 不思議なことに、吹雪は光を避けて通り過ぎていた。その後ろを行くアレスたちもさっきとは打って変わって無風の中、何の抵抗もなく飛竜を進めることができている。真横を見れば相変わらずの吹雪なのに、アレスたちの周囲だけがそこから切り離されているかのようだ。視界もクリアになり、風の音も聞こえない。

 あれほど難儀していた吹雪の中をいとも簡単に通り抜けた先、アレスたちの目の前に広がった光景は巨大な魔法陣の上に建てられた大都市の姿だった。


 レンガで舗装された通りには多くの家屋が建ち並んでおり、一角には青々とした木々が茂る森まである。アフタリア大河から水を引いた水路が円状に作られ、水路の内側には五つの塔が高く聳え立っているのが見えた。その五つの尖塔の更に中央には巨大な神殿が天を突いて建ち、てっぺんには緩く自転する大きな魔法陣が空を彩るようにして張り巡らされていた。


 魔法都市アーヴァン。

 世界最強の白魔道士メルドールが治める、魔道士たちの学び舎。

 随分と時間がかかってしまったが、アレスたちはようやく旅の目的である魔法都市アーヴァンへと辿り着いたのだった。




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