第17話 獣王ロッド

「お前、何者だ」


 突然現れた人語を話す大きな白いライオンに、警戒心を剥き出しにしたアレスが腰に差した剣の柄に手を置いた。何かあればいつでも剣を抜けるよう身構えたアレスとは反対に、暢気に前足で頭を掻いていたライオンがその緊迫した空気を感じ取ったのか急に背筋をぴんっと正した。


「俺、ロッドって言うんだ! よろしくな!」

「名前なんてどうでもいい!」


 冷静さを欠いて、思わず声を荒げてしまう。そんなアレスの怒号にびくりと全身の毛を逆立てて、ロッドと名乗った白いラインが背中を曲げたままじりっと後ずさりした。前足で口元を覆い、まるで恐ろしいものを見るように怯えた眼差しをアレスに向けている。その様子は、何だかひどく人間くさい。


「おお、怖っ! 俺はただ、アレスっていう竜使いに会いに来ただけなのに」

「……お前」


 見知らぬ、しかも珍獣に近い雰囲気のロッドに名を呼ばれ、アレスの警戒心が更に増す。

 自分に獣人の知り合いなどいない。なのに相手はアレスの名前を知っている。居心地の悪い感覚が心を支配し、気付けばアレスは腰の剣を抜こうとその柄をぎゅっと握りしめていた。


「待て待て。アレス、少し落ち着くんじゃ。このお方は、おそらく獣人界の王様じゃ。白いライオンに変身できるのは獣王だけじゃからの」


 ガッシュに制止され憮然とした表情のアレスとは裏腹に、「そうじゃろ?」と同意を求められたロッドは再び背筋を伸ばして自信満々に頷いた。わかってもらえたことが余程嬉しいのか、太い鞭のような尻尾がはた迷惑に大きく揺れている。


「そうそう! 俺がその王様! ここ、リュッカだろ? アレスっていう竜使いに頼みがあって来たんだけど……」


 一旦言葉を切ってアレスを見つめたライオンが、自信ありげににっと笑った。


「アレスって、お前のことだろ? そんなに立派な飛竜の乗り手は他にいないもんな。ここに来る途中に他の村で聞いたんだけど、お前飛竜と会話するように心を感じ取ることが出来るんだってな」

「……だったらどうした」

「俺でも乗れる飛竜を一頭、貸してほしいんだ」


 聖獣と言われるだけあって飛竜は元来あまり人には懐かない。飛竜の背に乗れるのは、彼らと心を通わせることができる龍神界の民だけだと言うのは暗黙の了解だ。それなのに何の疑いもなく飛竜を貸してほしいと言った獣王を、アレスは一瞬面食らった表情で見つめ返した。


「そもそも獣王が飛竜に乗れると思うのか?」

「この姿を心配してるのなら、何の問題もないぞ」


 そう言って腰を上げたライオンが、ぶるっと一度大きく身震いした。水色の瞳を閉じて深く息を吸い込んだかと思うと、ライオンの体が薄い靄に包まれ始める。

 大きな前足はすらりと伸び、白いたてがみは徐々にその色を金色へと変えていく。かすかに流れた風が靄を完全に吹き飛ばすと、そこには小麦色の肌をした逞しい体躯の青年が立っていた。

 襟足まで伸びた緩く波打つ金髪に、涼しげな水色の瞳。飛竜に衝突して痙攣し、アレスに怒鳴られて怯えていたライオンからは想像できないほど、人の姿に戻ったロッドは筋骨隆々とした美しい青年だった。


「ほらな」


 飛竜に乗れるのが龍神界の民だけだと言うことを知らない、ただの無知なのか。

 知っていて、どうにかなるだろうと考える、ただの楽観主義者なのか。

 あるいは何も考えていない、ただの馬鹿なのか。

 どうだと言わんばかりに腰に手を当てて得意げに胸を張るロッドを見ているだけなのに、アレスは何だかひどく疲れた気がした。


「人の姿に戻っても無理だ」

「龍神界の民以外は乗れないんだろ? だからお前に頼んでるんじゃないか。俺を乗せてくれるように飛竜に頼んでくれよ。な!」


 初対面とは思えないほどの馴れ馴れしさに若干辟易してきたアレスの中で、ロッドの位置付けが楽観主義の馬鹿に決まった。


「……飛竜を借りて何にする」

「魔法都市アーヴァンに行きたいんだ。俺の足じゃ何日かかるか分からない」

「アーヴァンに何の用だ?」


 行き先が同じことに、アレスの眉がぴくりと動く。深緑色の瞳を細めて伺うように見た先で、ロッドは警戒されていることにも気付いていないのか、アレスの両肩をがしっと掴んで不必要なくらいに距離を縮めた。想像より強い力に、反応の遅れたアレスが数歩だけ後ずさる。


「聞いてくれよ! セリカがアーヴァンに行ったきり戻って来ないんだ! 俺、もう心配で心配で……」

「セリカ?」

「俺の大事な妻だ。ちょっと前に魔物に襲われて、その時に受けた傷がどうやら少し呪いを含んでいたみたいでさ……。セリカは鷹に変身できるから、アーヴァンまで傷を治しに一人で飛んで行ったんだ。心配かけたくないって理由で誰にも言わず、置き手紙だけ残してた」


 言い終わると同時に、アレスの肩を掴んでいたロッドの手に力がこもる。言葉の最後にロッドの無念さを感じて、アレスの瞳が憐みに揺れた。


「何もないのが一番だけど、魔法都市に行ってセリカの行方を確かめたいんだ」


 必死さの伝わる瞳を真っ直ぐに向けられ、束の間逡巡したアレスの耳に懐かしいガッシュの指笛が届いた。驚いて見上げた先、指笛に呼ばれて飛んでくる一頭の飛竜が見える。勢いを殺すために数回羽ばたいた風が砂塵を巻き上げ、その風圧から守るようにアレスの飛竜が片翼を広げてそばに立つレティシアたちを覆い隠した。


 ガッシュの後ろに降り立った飛竜は、アレスの飛竜に比べると少し年老いており、体つきも一回りほど小さい。けれども深淵を思わせる黒い瞳に生命力は健在で、こちらを見つめる視線には強い意志が感じられる。


「ロッドと言ったかの。儂の飛竜で良ければ貸してやろう。少し年は食っとるが、まだ十分に飛べる奴じゃ。最近は人を乗せて飛ぶことが少なくなっておったから、此奴もお主を乗せて行くのは嬉しいはずじゃ」

「いいのか!? ありがとう!」

「何、アレスたちもアーヴァンへ行くところじゃ。目的地は同じじゃし、何かあったらよろしく頼む」


 アレスから手を放し飛竜の元へ駆け寄ったロッドが、喜びを抑えきれずに飛竜の周りをぐるぐると回り出す。その様子をどこか納得のいかない表情で見つめたまま、アレスがガッシュへと視線を移した。


「どういうつもりだ?」

「仲間は多い方がよかろう。ああ見えても獣王を名乗るだけの力量は持っておるようじゃ。……それにお主が連れて行くのは天界王に狙われたか弱き姫じゃ。天界王クラウディスの力を侮ってはならん」


 レティシアのためだと言われれば、もうアレスは渋々ながら頷くしかできない。諦めて肩を落としロッドを見ると、既に飛竜に跨がって子供のようにはしゃぐ獣王の姿があった。


「おーい、アレス! こいつ、いい奴だな。意外とすんなり乗せてくれたぞ! やっぱり獣同士だからかな」


 えへへと無邪気に笑うロッドに、盛大な溜息が漏れる。

 今からあの脳天気な獣王と行動を共にするのかと思えば、なぜか言いようのない虚無感のようなものがアレスを襲う。しかしいつまでもこうしていては時間の無駄だ。アレスは気持ちを切り替えると、背後で待機している相棒の飛竜へと向き直った。


「予定外の時間を食ったな。行くぞ」


 目が合った瞬間に、飛竜が体を低くする。乗りやすいように身を屈めた飛竜の体を軽く撫で、その背にひらりと飛び乗ると、アレスは足元で立ち尽くしたままのレティシアへと手を差し出した。


「羽は使うな」


 躊躇いがちに伸ばした手を引かれ、レティシアの視界がくんっと上がった。アレスの前に座らされ、どこに手を置こうか迷ったレティシアを、両側から包むようにして逞しい腕が伸びる。そのまま飛竜の手綱を掴んだアレスが、飛竜を動かす前に一度だけレティシアを見てぽつりと呟いた。


「しっかりつかまってろ。慣れないうちは振り落とされる」


 言ったそばから手綱を引き、飛竜が大きく翼を広げる。数回その場で羽ばたきを繰り返すと飛竜の背も大きく揺れ、慣れない振動にレティシアの体が不安定に揺れた。

 飛竜の体が少し浮き上がったのを感じて、レティシアが僅かな恐怖に思わずアレスの服を掴む。それを合図にして、アレスが一気に飛竜を上昇させた。


「アレス! レティシア殿を頼んだぞ!」


 見上げた視界に上昇するアレスの飛竜と、それを追うようにして飛んでいくもう一頭の飛竜が映る。初めてにしてはなかなかの手綱さばきに、ガッシュがにやりと笑った。


「ほう。あの男もなかなかやりおるわ」


 青く晴れ渡った空を駆けあがって行く二頭の飛竜を見つめていたロゼッタが、徐々に小さくなる影に向かって大声で叫んだ。


「お兄ちゃん! 早く帰って来てね!」


 何か言いようのない不安を胸に抱えたまま、ロゼッタは飛竜の姿が見えなくなるまで、いつまでも空を見上げていた。

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