願いをさえずる鳥のうた/壊れやすいちっぽけな生き物
秋色
願いをさえずる鳥のうた〈前編〉
それは五月の昼下がり。太陽は空の真上から西にほんの少し傾きかけていた。
縁側のリクライニングチェアでウトウトしていると、不意に
くすぐったいような
それはふわっと
ちょうど夢の中で小鳥のピィーピィーヒュルルという笛のような鳴き声をぼんやり聞いた気がした後だった。
「何だろう、これ?」
眼を開け確認すると縁側と庭を仕切っている敷居の上に檸檬色の小さな羽根が一枚…。それは何か幸運を運んでくる魔法の羽根のような気がした。
そこは縁側であり、三年間、私の部屋もしくは
理由は唯一の姉妹、
その年の春、私は三年間引きこもりだった。それは高校一年の七月からだった。それで親は高校という場所に私が適合出来なかった理由を専門家に相談したりもした。でもそもそも私が高校を嫌になった理由は、唯花と同じ高校の同じクラスにいるのが神経の何処かにさわったから。いつも真相は身近にあるもの。
小中学校の頃は、先生が双子の姉妹を同じクラスにさせないのを教育の方針としていた。でも高校はそもそもクラスが三つしかないような女子校だったので仕方がない。そこで、唯花が私と仲の良いクラスメート達を誘って私を置いてきぼりにしたのは気ままなあのコの性格なら仕方ないし、会話についていけなくなるのは私に話術がなく社会性がなかったせいと諦めている。でも何だか胸の何処かがシクシク痛んできて自分の中のエスオーエスに自分で無視出来なくなった。
あれこれそんな遺跡を発掘してもどうしようもなく、そんな引きこもりの生活はマイペースな私には意外と快適だった。ただ目まぐるしい世の中からどんどん取り残されていく感じはあったけど。
ただしそんな私も完全に社会から断絶されていたわけではなかった。小中学校時代の仲良しのコトミとはたまに公園やファミレスで会っていたし、他にも社会との接点は奇跡的にあった。カー用品のクッションを依頼通りに家で作るバイト。偶然見かけた地方紙――ビューティフルタウンなんて怪し気な名前の――の求人欄に「ミシンの得意な方、家で好きな時間に出来るお仕事です」とあり、たった一つの自分の特技に救いを求め、恐る恐る二年前に始めたバイトだ。親は怪しいろくでもない仕事だからやめろと私がミシンの前にいるとイヤな顔をする。それでも私は自分に向いているこの仕事を続けていた。
仕事の発注を受け、材料をもらい、出来上がった製品を納品する。交渉相手の社長夫婦は夫妻とも無愛想で世間話もしないタイプだったけど、むしろそれが私には好都合だった。
「はい、これです」
「はい、じゃ次はこっちで」
会話はほぼこれで終わりだった。週に二度、受注と納品に行く道の途中に公園があった。イチョウの木のあるその公園の様子で私は唯一季節の移り変わりを感じた。最近は青々として、もう夏が来たなとか。
引きこもりと言っても無節制な生活を送っていたわけでない。とてもスケジュール管理の出来た毎日を送っていた。朝は六時に起きてラジオを聞きながらミシンをかける。早朝は外国語講座。別に本気で勉強しているわけでなく、ただバックグラウンドミュージックみたいなもので、日常生活と違う会話が流れるのが心地よいだけ。
「ここからシカゴ美術館に行くのにはどのバスに乗ればいいですか?」とか。
「その湖に行くのには何番のバスに乗ればいいですか?」とか。
「イチゴを一箱下さい」とか。
その後は、テレビの周波数をキャッチできるラジオで、テレビの再放送ドラマや昔の外国映画の放送にチャンネルを合わせる。携帯電話は制限されたガラケーですら親に止められていたので、私にはラジオが精いっぱいだった。それにミシンをかける作業ではテレビを見る暇はない。
ドラマは多分とてもマイナーなドラマ、「風街のれん」等。「風街のれん」は出ている俳優や女優もいまいち誰なのか分からない。テレビで見ればまだ見覚えのある俳優も出ていたのかもしれない。どちらにしても出演者が有名でない事は確かだと思った。ただお家騒動があったり純愛や友情を扱ったドラマの内容はとても面白かった。そしてまた外国語講座の再放送を聴く。勉強する気があるわけでもなく。
一時間おきに裏の家から柱時計か置き時計のチャイムが聴こえてきた。チャイ厶と言ってもメロディで、時刻毎に違うメロディだった。正午は「星に願いを」で、一時は「イッツアスモールワールド」で二時は「チムチムチェリー」という風に。結構これは時間を把握するのに役立った。裏の家の住人は一人暮らしの老婦人と聞いていた。大きな家でしっかりとした木の表札には「桜井」と書かれていたのを引きこもり前の記憶で憶えていた。
私がその日自分で決めた昼休憩の時間を終えてミシンの前に戻ると、また何処からか激しく鳴き続ける小鳥の声が聞こえてきた。そして網戸だけにしている縁側と庭との間にまたもや檸檬色の羽根が落ちていた。
それと同時に小さな物が必死でもがく羽ばたきの音まで聞こえてくる。
――もしかしたら小鳥が木の枝か何かに引っ掛かって身動きが取れないのかもしれない――
心配になった私が縁側から庭を見回してみても、小鳥の居場所はそこからは分からなかった。
私は二階の唯花、そして以前は自分の部屋でもあった部屋に勝手に入り、そこからベランダに出て庭を上から見降ろしてみた。すると檸檬色の小鳥が必死で羽ばたいているのは裏の家の庭の木々の間だった。
枝に体が挟まったというのではなく、ただ家と庭を往復し、そして時々垣根を超えてうちの庭の縁側近くまで飛んで来ている。何かに驚き、パニック状態になっている様子だった。
――飼い主はあのピィーピィーという鳴き声が耳に入らないのかな――
そう思って家の方を見た時に少し違和感を感じた。かろうじて見える部屋の一角に誰かの人影があるものの、それはうつ伏せに寝ている姿のようなのだ。着ているのはモスグリーンの部屋着のワンピースに見える。
まず考えたのは掃除か何かで床に這いつくばっている可能性。それにしてはずっと動かない。
次に単に寝ている可能性。以前、少女漫画家が夏、台所の床の上に寝そべると気持ち良いとエッセイに書いていたのを思い出した。通りすがりの家の硝子戸越しに床に寝そべり新聞を読んでいる男の人と目があった事もある。
そして最悪の事態を予想する。それは事件か事故に遭って倒れている、あるいは病気で倒れているという可能性。裏に住んでいるのは高齢の老婦人というから、病気の可能性は十分考えられる。
私はもう一度ベランダの柵から身を乗り出して裏の家の中の様子を見ようとした。その時私の頬に庭の木の枝の先があたり、少し血が出た。やはりワンピースを着た住人は動かない。
その日、両親は法事で夜まで帰って来ない予定だった。唯花は大学のサークル活動でその日、大学の宿泊施設で泊まると言っていた。
夜までこの家には私一人。もしこのまま、あれは単に寝ているだけと決め付け、そのままにしていたらやがて日は暮れてもう本当に何の行動も起こせなくなるだろう。
そう思った時家の電話の119番を押すのに不思議なほど躊躇はなかった。長い間、バイトの社長夫婦以外の人と会話する機会はなかった私なのに。
「119番です。今電話されている方のお名前と住所をお願い致しします」
「浦川風花です。こがね町一番五号です」
「どなたか急病ですか?」
「裏の家の桜井という家の人です。急病かどうか、よく分からないんです。倒れたまま動いていないんです」
「近寄って見る事はできますか」
「いいえ。自分の家のベランダから見えてます」
「では、今から救急車が向かいますので、その家のある通りに出て誘導してくれますか?」
私はいつものTシャツとジーンズの上に薄いカーディガンを羽織って念のため財布の入ったバッグも持って家を出た。ダイニングテーブルには簡単な書き置きのメモを両親に残した。
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