第15話 『果報と消失』①


 幸運な知らせは、思いがけないタイミングでやってきた。

 日が昇り始め、斜光がまばゆく夜を消していく、早朝のことである。

 三澄君の意識が回復したという知らせを、私は彼のお母さんからの電話口で聞いた。

 ちょうど彼が昏睡状態になってから10日を数えた日のことであった。


 私は急いで財布と携帯を手に持つと、乗りなれない家の車の運転席へと乗り込み、病院へと向かった。

 途中、何か手土産にと、近くのスーパーに寄ってみたものの、目ぼしいものなど何もなく、とりあえず自分が一番高価なものだと思っている小さなアイスのカップを、適当に4つ5つと買い物カゴの中へと放り込んだ。

 私は熱くなった車内へと戻り、キーを捻り、エンジンをふかせると、冷房の風量スイッチを全開に振り切った。

 病院までの慣れない車道を、外付けの小さなナビを頼りに突き進んでく。

 何年も運転をしていない人間がハンドルを安易に握るものではないなと、私は溜息をつきながらも、病院の駐車場にたどり着いた。

 私は汗をかいたアイスカップの入った白いビニール袋を握り、そのまま病院の入り口までかけていく。

 受付をすぐさま済ませると、病室のある2階へと急いだ。


 いつもなら断固として階段を使おうとも思わない私が、今日はそんなことも考えることもなく、一段、また一段とステップを踏むように階段を駆け上がっていく。

 あまりに全力だったためか、呼吸が乱れ、心拍数があがる。

 息を切らしながら、一度階段を上がったところで両手を膝につきながら休憩をした。

 肺の膨らみが徐々に小さくなっていき、呼吸が整っていくのを確認すると、私はよしと頷き、病室へと向かう。

 2階病棟の突き当りの角の個室部屋に彼はいる。

 私の足が一歩一歩近づくたびに、私の胸が鼓動を早め、高鳴っていく。

 病室に掲げられている白い小さなボードに「三澄 海斗」とマッキーペンで書かれていた。

 緊張で体が震え、指先の感覚が麻痺している。

 扉の前で「ふぅ」と、息を一度吐く。

 そして「よし」と小さな号令をかけると、病室の引き戸の取っ手を掴み、引いた。

 病室の柔らかな陽光に照らされている中に、彼はいた。

 上体を起こし、外の景色を眺めている。

 木々の間には、青い鳥が二匹、ちゅんちゅんと囀りながら、羽を擦り合わせている。

 彼は病室に私が入ってきたことに気づくと、視線をこちらへと移した。

 そして、にっこりとほほ笑む。

 私は、彼のその笑顔に、思わず涙がこぼれた。

 この涙は何の涙なのだろうか。

 一緒くたになった感情が、マーブル色のように混ざり、溶け合い、零れ出す。


 そんな私の姿を見てもなお、彼は変わらずほほ笑んでいた。

 私はおそるおそる病室へと歩いていき、彼のもとへと近づいていく。

 それは歩数を重ねるごとに足早となっていく。

 そしてとうとう、彼のもとへとたどり着き、ちょうどベッドの横にあったイスに私は腰かけた。

 緊張でうまく声が出ない。

 乱れる呼吸を整えるために、深呼吸をする。

 私が口を開けかけたその時、予想外にも彼が被さるようにして口を開けた。


「あなたは……誰でしょうか?」


 静寂が病室を包み込んだ。

 先ほどまで戯れていた青い鳥が、バサバサと空の遠くのほうへと飛んでいく。

「……えっ?」

 ひしがれた私の声が、喉の奥から引っ張り出される。

 私はあまりのショックに、思考が混乱し、意識がピュンとテレビのスイッチを押したかのように暗転し、そのままそこで記憶が途切れた。

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