第7話 そんなことを臆面もなく言った俺を

 そんなことを臆面もなく言った俺を呆れたように見つめているエム。どうせ、情けないとでも思っているんだろうな。親の視線と違って、美少女のそういう視線は胸に突き刺さる。

「しかし、あの部屋には食べ物がありません、です。それに女の子もいないです」

「なんで、食べ物がないの。女の子はそこに居るじゃん?」

「あなたの作った世界です、です。きっと、食べ物や女の子は眼中になかったんでしょ。潜在的無意識がそれを許容していたということ、です」

 俺の潜在的無意識ダメじゃん。俺も呆れちゃうよ。

「あなたは、生物が持つ三大欲求、食欲、睡眠欲、性欲にさえ見放されていたとは……、あなたの望む生活って……、冬眠ですね! 食欲と性欲の二つの欲求を捨てる賢者の生活っていうと……。――はっ、まさか今更、私を欲望のはけ口にしようと……」

 なにか、汚い物でも見る目で俺を見るエムさん。

 確かに冬眠って、ベストな生き方だと憧れたことはあるけど……。食べ物を得るのもHをするのも高カロリーを消費するから寝ているのが一番って、こんな言い訳じゃあ軽蔑されるだろうなと考えていると、一人納得したようにエムは口を開いた。

「だから、あなたは悪食などの固有スキルを持たないんですね、です」

 悪食って確か魔物の肉を食べることで、その魔物の持つ力を得ることが出来るスキルか? それだけじゃない。Hをすることで相手のスキルを奪うことが出来るスキルや、寝ているだけで、レベルが上がるスキルとか……。まあ、最近は盗むとか奪うっていうのも多いけど……。これらもいいかえれば生存欲求だから……。なるほど、三大欲求を満たすことで強くなる設定って、安易だけど分かりやすくて読者の指示を得られるわけだ。


 それだけじゃない。強くなれば当然、安全が満たされ、社会の中で承認され、ハーレムやスローライフという自己実現が満たさされるわけだ。

 俺の考えを見透かしたように、エムは言葉を続けている。


「はやり、生理的欲求が満たされないと、マズローの5段階欲求の通り、次の欲求が生まれないという、不味い状況が生まれるわけですか?です」

 なに、そのマズローの五段階欲求って? 引きこもりの次の欲求ってなんなの?

 俺の頭の中に?が飛び交っている。

「京介の今の状況が何となく分かってきた、です。普通は三大欲求などの生理的欲求が満たされると、安全の欲求が生まれます。安全が保障されると、社会に受け入れられたいという社会的欲求が生まれます。そして、その欲求が満たされると他人から尊敬されたいとか承認されたいとかの承認欲求が生まれます。それが満たされると、自分の世界観や人生観に基づいて、こうありたいという欲求が生まれます。これが自己実現の欲求です。京介さんは、今の社会では珍しい第一段階の欲求の所で止まっている珍しいパターン、です」

「だって、今の社会って希望を持って生きにくいよ!!」

 そう反論しながら、ラノベのヒットパターンに凄く納得した。そりゃー、万人受けするわな。自分の欲求を物語の主人公が実現するんだもん。さっきの三大欲求を満たした強くなるための楽勝スキルの取得といい、周りが勝手に認めて社会的欲求が満たされるところといい、最後はハーレムになるところといい、作者はちゃんとマズローの五段階欲求を計算してストーリーを練っているのかね? 

確かに今までの世界なら、行政に頼れば安全までは何とかなるからな。逆にそれ以上の欲求を満たすとなると……。

 おかげで歪んだ世界には成って来たとは思うけど……。

「京介さん、今あなたは若返っているんですから、もっと前向きにですね……」

「エムさんて、俺の心が読めるんですか? ただ、これまでの世界を憂いてですね……」


俺が大学を卒業して仕事をしていたころなんて、いわいる「総論賛成、各論反対」って風潮がありまして……。どういうことかと云うと、男女平等とかパワハラとか、総論としては異議なく賛成なんだけど、各論になれば個々の事情を考慮すべきだってことなんだけど……。

今は総論がそうなっているんだから、どんな事情があっても各論は総論に従えって感じになっている。とにかく結果重視。教師が暴力を振るったら、振るった事情は考慮されず教師が悪いって話になるし、パワハラも一緒。立場とシュチュエーションで善悪が決まるってどうなの……。

生きるための基礎的な欲求が割と簡単に手に入り、社会的欲求や承認欲求も権利を振り回せば手に入る時代になりつつある。

貧困ビジネスなんて言葉がささやかれる社会だからな。


俺自身、我慢できなかったのは、正社員が育休中にちゃんと給料がでて、戻ってきたらちゃんと昇給してるってことだ。こちらは派遣でほとんど休みなく働いているのに給料も上がらなければ、任期が終わればクビってどういうことなんだ。世間的には子育て世代の優遇ってことで正論なんだろうけど、その間、会社でそいつの代わりに仕事を押し付けられて、仕事が増えた人間の給料は据え置き……。

褒められることなく、復帰と同時に首切り……。

こんな理不尽な扱いを受けながら、他人の人の仕事までして、一人で頑張るってことが、権利を振り回し奇麗ごとを並べる総論という正論によって否定され、そして報われない。

それって、周りの人を総論とか正論という枠(わく)に押し込めて、他人を引きずり落として、自分が楽することを自己実現って勘違いして歪んでないか?


ちょっと思考が斜め上に行ってしまった。こんなことを考える時点で、前に住んでいた世界には色々嫌気が差していたわけで……。この世界では、権利なんて戯言は身近に迫った生死の前では霞んでしまう。

それにエムが言った通り俺は若返っている。俺の意識のどこかに人生をやり直したい自分がいるって証だろう。今までと違う人生を歩むために、こんなことを考える前に行動を決めなきゃな。おめおめと何となく生きて来た俺にだって何かが成し遂げられるはず……。


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