皮むきにはいい時代
荘園 友希
皮むきにはいい時代
隣の客は人喰う客だ。人はおいしい。おいしいからまた食べたくなる。肝臓にレモンを添えるとフォアグラなんかよりもはるかにおいしくて、口の中でとろけるあの食感を一度味わってしまうともうほかの動物には行けなくなる。人間はおいしい。
人がにぎわう新宿歌舞伎町の中心に知る人ぞ知る店がある。エスポワール。そこは雑居ビルの4階にあってエレベータを降りて角を曲がってちょうど影に隠れる444号室にある店である。そのビルに赴く人のほとんどは1階から3階まであるカラオケ店の客だった。防音がしっかりされていて、4階い響くこともない。444号室の真下にはカラオケ店のバックヤードがあるから余計に音は聞こえない。5階にはつけ麺屋があって時折ひとが訪れる。通常ビルの4階というのは設備階といって給水設備だったり電気設備などが入っていて飛ばされる階なのだけれどこのビルは4階がしっかりとあった。しかしながらエレベーターに入ると4階のボタンはあるけれど押すことができない。ボタンの下にICカードをタッチする場所があって住人もしくはエスポワールの会員しか許されない階なのである。エスポワールは紹介制の会員バーであり、中は異様な空気で満たされていた。生臭いというのだろうか、それともアンモニア臭?なんというか独特な空気で満たされている。血のような匂いが私の食欲を誘う。今日は試しに心臓を食べてみようか。値段は10万円。安くはないけれど肝臓と比べると幾分安い。直腸の焼肉をしたことがあったがあれはだめだ。人のモノは臭くて、その上固い。かみ砕くのに時間がかかるし顎が疲れるから私には向いてないと思った。
「お、今日は心臓かい?」
「そうです」
「心臓はおいしいぞ、肝臓の比じゃない、生き物を味わっている気分になれる」
隣の客は私が行く時間には必ずいてこぞって脳を食べている。頭蓋を開けてスプーンで脳漿を口に運ぶ。臓器というのは非常に脆いので消化器系以外はとろけるような味わいが人気である。
「脳漿の何がおいしいのかわかるかい?」
「ぼくは食べたことがないので」
「人の記憶を食べるのはとてもおいしい」
食べること自体がおいしいのではなくてその行為がおいしいという。その気分は私にも少しわかる。気分がどんなに乗らない日でも動物をいただく時は心が晴れるものだ。そうこうしているうちに顔を白い布で隠した店主が金の丸い蓋をかけた皿を持ってくる。バターの香りがするからこれはソテーだなと予想がついた。
「おいしいかい?」
「ええとても」
包み隠さず言うとかなりおいしい。〆られてすぐの心臓は歯ごたえがある。しかも店主によってきれいに筋を取り去られているから、固い部分が一切ない。心臓にナイフを入れると血が飛び散って私のエプロンにかかる。個の瞬間がまた格別だった。切り開いていくと心房があり弁がついている。ひらひらとフカヒレのような弁をそぎ取っていただくのが格別だった。隣の客に聞くと心筋もさることながら動脈も非常においしいというのでいただいてみることにした。
「これは歯ごたえがありますね」
「そうかい、今日のは歯ごたえがあるんだね、きっと痩せていたんだろうよ」
太っている人は動脈に脂質がたまっていてうまみがとろけだすのだそうだ。店の中を見渡すとそこら中に骨が飾ってある。しかし、それは動物のそれであり人のそれではない。そう、これはご馳走であり、裏メニューなのである。裏の時間にしか出ない裏メニュー。そこが店の売りだった。
私がその店を知ったのは秋葉原での友人の会話に由来している。秋葉原には書店が数多くかって古書堂が私の行きつけだった。ある日、解体新書の複写の中古をレジに持っていくと
「きみ、興味があるのかい?」
と店主に聞かれた。私は医療系の大学に入っていたから興味本位で手に取ったのだけれど、それが店主の目にとまったらしい。私は興味があるというと
「きみにはいいことがあるよ。望まなくてもね…」
今思えば不審だった。免許証のコピーをとられて、アンケートも要求された。
別に悪いことをしているのではないから言われるがままにアンケートに答え、免許証のコピーもなんも考えもしなかった。
ある日のこと、解体新書を読んでいると途中にICカードが入っていた。Suicaのような分厚いカードじゃなくてラミネート加工された図書カードくらいの厚さのカードである。表には何も書いて無く、いや表がどちらかがわからなかったけれど裏面には住所が書かれていた。住所の場所に行くとカラオケ店に人だかりができていた。最近オープンしたらしく、無料で二時間利用できるらしくそれに人が群がっていた。それを横目にエレベーターに乗り込む。4階を押したけれど点灯しなかったので壊れているのかと思って何度も押したのだがやはり反応がない。よく見ると下の方にICカードのタッチ部分がある。そこに挟んであったカードをかざすと自動的に4階が点灯した。4階にたどり着くと異様な雰囲気を醸し出している。雑居ビルの4階で他のテナントも入っているはずなのになぜか整然としていた。444号室を探すも見当たらず、やむなしに帰ろうとしたところでエレベーター横に細い通路があることに気づいた。通路を歩いていくとつき当たりにドアがあり444号室と書いてあった。ドアを開けようにもやはりあかない。ICカードをタッチする部分もなかったので恐る恐るだがインターフォンを押してみた。
「番号は」
と唐突に聞かれたのでICカードに書いてあった番号を言うとドアのかぎがガチャリと開いた。
「したら様、いらっしゃいませ」
私の名前は設楽ではなかったけれど空気を読んでそのままドアを開けてはいった。
これが私の初めての来店であり、後の要因だった。
その店は生臭くて、何人かの客が顔を伏せて食している。カウンターの男性はこぶし大の多分心臓のようなモノにナイフをいれ食べていた。私はメニューはと聞くと、
「いかようにでもございます。どうぞお申しつけくださいませ」
と言われ、ではカウンターの男性と同じものをと注文した。
どのような調理法でと言われたので肉ならば焼いておけば問題ないだろうと思ってソテーを頼んだ。異質な空間で異様なものが出てきた。銀色の蓋を開けるとそこには心臓がいた。
その後不思議な店だと思って何度も通ううちに肝臓がおいしいということに気が付いたが途中でそれがどうやら動物のそれではないということに気が付いた。吐き気をも要した私は血が出るまで吐いた。気持ち悪くて仕様がなかった。人の臓物を食らうなんて人のやることじゃないとも思った。しかし、何度か食べた手前、公には口に出せなくなっていた。とある日のこと、私は免許証の提示を要求された。私は免許証の裏に何も書いてなかったのだがそれを見た店主は質問を投げかけてきた。どこの臓器を提供する意思がありますかと。私は腎臓ならば一つくらいいいだろうと思ってそう答えた。
「かしこまりました、ではしたら様こちらへどうぞ」
私は何の疑いもせず通されるままに奥の部屋へ入るとベッドが一床、おいてあった
「したら様、どうぞこちらへ」
私は横たわると同時に意識が飛んでしまった。
最後に言われたことばを覚えている。
「死たら様、ごちそうさまです」
私は目を覚ますとベッドの上に横たわっていた。さっきとは違うベッドで補色のベッドだった。下腹部が痛むが、何とか起き上がることができる。
「死たら様、出来上がりました」
何かと思うといつも通りに銀色の丸い蓋にかぶさった皿が。
開けてみると生の腎臓だった。
「きっとおいしゅうございます。あなたの腎臓ですから…」
皮むきにはいい時代 荘園 友希 @tomo_kunagisa
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