罪滅ぼし

鯵坂もっちょ

罪滅ぼし

«南麻生立てこもり 容疑者を射殺»

 みなみ麻生あそう市で発生した立てこもり事件で、12日午前3時すぎ、元暴力団員の大友おおともこう容疑者(34)が射殺された。11日午後5時の事件発生から約10時間が経過していた。

 通報を受けて最初に駆けつけた砂金すながね署の初川はつかわ善典よしのり警部(二階級特進)が大友容疑者に撃たれてから事件は膠着状態が続いていたが、大友容疑者が錯乱し警官に向かって発砲し始めたため、機動隊によって射殺された。初川警部はその後病院で死亡が確認された。腰を撃たれたことによる失血死だった。

 大友容疑者は別居中だった妻に復縁を迫ったものと見られており──


  ◆


 人に聞かれるのはまずい話なので、職員室は避け、空き教室にした。

 普段は人で溢れているから意識に上らないが、二人しか居ない空き教室の広さは相当なものに感じる。

「初川の言ってることは……本当なの?」

 眼前には大友堅正けんせいの項垂れた姿があった。耳まで真っ赤なのは、良心の呵責に苛まれているからか。

「わかりません……」

 わかりませんはないだろう……。

 小心者の正義漢。大友はそうだ。この行為がどんな罪になるのかを思料する小心者の心と、罪を認めてしまうべきだと告げる正義漢の心とで板挟みになっている。

 水上みずかみりんは、ここからどう話を進めていくべきか悩んでいた。


「大友に睡眠薬を盛られたと思う」

 初川たくがそう言って担任である水上に縋ってきたのは昨日のことだ。

 瞬間、全身が総毛立った。場所はどこか。状況は。学校でのことならまずい。卒業式を間近に控え、あとは各人の合格発表を待つばかりとなっているこの状況においてはなおさらだ。

 中学教員である水上は、初川と大友の保護者でもあるが、学校の体面を守る管理者としての思考も同時に働いていた。

 事の顛末はその場で初川から聞いた。話は初川自身の混乱を反映してか、時系列は前後し、とりとめもなかったが、まとめるとこうだ。

 五年前の「事件」のあと、初川と大友は親しくなった。親しくなったというよりは、大友のほうから初川に近づき、目をかけた。

 たぶん、同い年の犯罪被害者どうしだし、他人とは思えなかったからなんじゃないか、と初川は分析した。

 その大友が、中学二年に差し掛かった頃から急によそよそしくなった。同じ中学にずっと在籍していたのに、ここ一年は会話もなかった。

 二人とも湧泉高校を受験した。県下三位の進学校だ。その受験会場で、大友に一年ぶりに話しかけられた。昼休憩のときだった。

「久しぶり……。どう? 調子は」

 よそよそしくなった理由も、どう接するのが正解かもわからなかったので、つとめて普通に接するようにした。

「ああ、大友か。久しぶりじゃん。まあ、このままなら問題ないかなって感じ」

「そっか……」

「うん」

「…………」

「…………」

「これ……よかったら。母さんが作ったんだ」

 サンドイッチだった。

「え、いいの? ありがとう、助かるよ」

 そう言ってありがたくサンドイッチを受け取った。昼食は抜くつもりだったが、思ったよりも腹が減ってきてしまって後悔していたところだったので、これは本当に助かった。今思えば、油断というほかなかった。

「じゃあ、お互い頑張ろうな」

「ん、じゃあな」

 午後の理科と社会は散々だった。耐え難い眠気に襲われていた。眠りこくってしまったわけではなかったが、あまりの眠気に集中力は乱された。

 間違いない。あのサンドイッチだ。あのサンドイッチに睡眠薬が入っていたんだ。事件のせいで母さんが不眠症になったと大友が言っていたことがあった。睡眠薬は簡単に手に入ったはずだ。

 ただ、その理由がわからないという。確かによそよそしくはなっていたが、自分はあいつの親父に父親を殺されている。逆はあっても、大友が自分のことを恨む理由なんてないはずだ。

 別に大友を罰してくれとは思っていない。ただ理由が知りたい。初川はそう語った。

 さすがは警官の子、ということなのだろうか。水上は自分が合格発表を控えた中学生だったら、ここまでのことが言えるだろうか、と思った。


 大友は押し黙ったままだ。

「初川の言ってることが本当だとして、それで即罪に問われるかというと、そんなことはないと思う」

 方便だった。もし初川の語ったことが本当なら、いくら十五歳といえども傷害罪は免れないだろう。さらにもし初川が湧泉高校に不合格にでもなれば、さらに重い罪となるのかもしれない。だから嘘をついたのは、大友の「小心者」の部分に賭けたからだ。

「このことはまだ初川と大友と先生しか知らないし、大友が正直に語ってくれればこっちでなんとでもできる」

「…………」

 大友が葛藤していることは明白だった。目線が定まらない。何度も語り始める素振りを見せるが、直後には顔をしかめて黙ってしまう。ときおり、助けを求めるような表情になる。

 その状態が続いたまま、三十分が経過した。

 水上は、一か八かの思いで話題を変えてみることにした。

「事件のことについて、聞かせてもらってもいい?」

「うん……」

 今度の賭けは功を奏した。助かった。ずっと話したかった。大友から受ける印象はそうだった。この話が呼び水になって、睡眠薬のことについても語ってくれればいいという打算もあった。

「話したくないことがあったら、話さなくてもいいからね。お父さんのこととか……」

「わかった」

 そう言った大友の表情は、普段のそれよりも幾分か幼く見えた。


「小学校から帰って宿題してたとこで、母さんは夕飯作ってて、そしたら急に父さんがきて」

 大友は当時十歳。小学四年生だ。事件については水上自身もよく知っていた。世間を騒がせたあの事件の被害者である初川と大友とが、自分の勤める中学に二人して入学してくるというタイミングで一通りのことは調べてあった。

「今まで本当にごめんって。もう改心したからやりなおさせてくれ、って言って。あのとき家に入れさえしなければね、って後になって母さんは言ってた」

「そっか……」

 語りかけるべき、何の言葉も持たなかった。その時の判断ミスが、一人の警官の命を奪ったのだ。母親の気持ちはいかばかりか。

「最初は本当にやりなおしたいとか、すまなかったみたいなことばっかり言ってたんだけど、母さんにまったくその気なかったみたいで、そしたら急にジャケットから……取り出して」

「……銃を」

「はい……。でも見たことはあったし、本当はいけないんだけど、父さんにこっそり撃たせてもらったこともあったから。あ、地面に向けて。だから銃自体には驚かなかったんだけど、それで何するつもりなんだろう、って思ったら怖くて」

 ニュースで見た。女性でも扱えそうなほどの、小さな拳銃。

 恐らく、大友幸治はそんな小さな銃で何らかの事件を起こそうなどとは考えていなかったろう。ただ少し脅かそうとした。それで妻が言うことを聞いてくれればいいと思った。

「しばらく母さんと話してたんだけどなんかだんだん雲行きが怪しくなってきて、父さんがめっちゃキレ始めて、で銃持ち出したからこれはヤバいと思って。その時俺は何もできなかったんだけど、母さんがトイレに行くふりして通報しちゃって」

 最初の110番通報は「夫が銃を持って暴れている」。しかしその二分後にもう一度通報があり「銃はおもちゃだ。もう落ち着いたので来ないでほしい」。その二分の間に大友幸治の脅しがあっただろうことは明らかだった。

「父さんが言わせたんだ。銃で脅して。もっかい電話しろって。もう落ち着いたって言えって」

 だから、駆けつけた交番勤務の巡査部長は銃を持っていなかった。防弾チョッキは身につけていたが、撃たれたのは「腰」──。

「警察の人が来て……。ドアロック……かけたまま父さんが出たんだけど、しばらくもめてたと思ったら、なんか……爆竹みたいな音がして……。大変なことになった、と思った」

 そのときドアの隙間から撃たれた警官が、初川の父親だった。後の調べでは、腰から入った弾丸は臀部を貫通して外廊下に落下した。交番から来ていたもう一人の警官は、初川の父が撃たれたので近づくことができなかったという。拳銃を持っている犯人を前にしては、機動隊すらも容易に近づけず、初川警部の遺体はその場に八時間放置された。

「母さんがものすごい取り乱して。助けなきゃ! 助けなきゃ! って言ってたんだけど、父さんが脅すから……玄関まで近づけなかった」

 その母親、大友真由子まゆこは足を撃たれている。身動きが取れなかったということだ。

 普通は腰を撃たれても即死することは少ない。初川警部の死因は「失血死」だった。八時間放置されたのが原因ということだ。つまりは、しばらくは生きていた。

「あとはずっと、母さんと二人で部屋の隅に追いやられて、動けなかった。父さんはずっと気を張ってて、警察の人と話したり、どこかから電話がかかってきてそれと話してたりしてたんだけど、深夜になってくるとさすがに眠そうな感じで、集中も切れてきてるのかな、って」

 深夜。その言葉に水上は身構えた。事件が終わりを迎えるのは午前三時。それは、事件の結末の時刻であると同時に、犯人である大友の父親が射殺された時刻でもある。

「そのときには初川の親父さんも……回収……されてて、父さんは誰かと電話してた。そしたら、急に部屋がものすごいキーンっていう音と光でいっぱいになって、気づいたら……」

「いや、言わなくていいよ」

 気づいたら、父さんの頭が飛び散ってた。

 特殊急襲部隊が放ったスタングレネードの大音響の中ででたらめに発砲しまくった大友幸治は、上半身に三か所、部隊の弾丸を受け、その場で死亡した。

 部隊が大友幸治の足を撃たなかったのは、部屋の下側には人質の二人がうずくまっていたからだ。

「……睡眠薬を入れたのは本当です」

 一瞬、話についていけなかった。大友は、突然「自白」したのだ。

「ごめんなさい、今の勢いに乗って言わないと、一生言えない気がして……」

「いや、いいんだ。続けてくれ」

「はい。事件で……亡くなった警察の人の子供が同じ小学校にいるって知って、なんかいてもたってもいられなくて。こっちから近づいて、いろいろ、勉強教えてあげたり、輪に入りそびれてたら声をかけたりしてて」

 他人だと思えなかったからなんじゃないか。初川はそう分析していたが、おそらく大友のその行動には多分に「罪滅ぼし」的な感情が働いていたのだろうと思う。別居していたとはいえ、大友幸治はれっきとした自分の父親だ。その父親が命を奪った相手の息子。大友の中の「正義漢」の部分が顔を覗かせもしただろうか。

「でも……やっぱりだんだんしんどくなってきて。できれば初川にはあんまり近づきたくないな、と思うようになってきて……」

 それだけのこと。案外、そんなものなのかもしれない。しかし、それだけのことで「睡眠薬」とは、やはり尋常ではない。

 それを問いただすと、返ってきた大友の答えは、水上の予想だにしていないものだった。

「匂い……です」

「……匂い?」

「はい。初川の顔を見るたび、思い出すんです。初川の親父さんが撃たれた瞬間の、苦痛にゆがんだ顔と、焦げ臭い、銃を撃ったときの匂いを。俺もうしんどくてしんどくて……。同じ中学にいるだけでもこんなに辛かったのに、初川が同じ高校受けるって知って、高校まで同じになるなんて、絶対耐えられない。絶対同じ高校になんて通いたくない。そう思うと……」


 ◆


 この件は一旦こっちで預かっておくから、今日のところは帰ってくれ。そう伝えて、大友の後ろ姿を見送った後も、気分は優れなかった。

「小心者の正義漢」。正義漢がそのような犯罪など犯すものか。「小心者」がそうさせたのか。大友は「小心者」と「正義漢」との間に挟まれ、一生こんなことを繰り返して生きていくつもりなのか。教育者として、自分ができることはないだろうか。

 同情はする。初川警部の撃たれた瞬間の顔を思い出す、と大友は言った。

 その初川警部の面影を感じる男が、同級生なのだ。大友の辛さは想像するに余りある。

 ……いや。

 待て。

「初川警部の撃たれた瞬間の顔を思い出す」だと? 「苦痛にゆがんだ顔」?

 おかしい。大友幸治は「ドアロックの隙間から初川警部を撃った」。父親の背後から、狭い隙間の向こうの初川警部の顔を見ることなどできるものだろうか?

 顔というだけなら、その後のニュースでいくらでも見る機会はあっただろう。だが「撃たれた瞬間の苦痛にゆがんだ顔」……。

 女性でも扱えそうなほどの小さな拳銃。父さんにこっそり撃たせてもらったことがある。

 水上の頭の中で、すべての情報が繋がろうとしていた。そしてそれは、より絶望的な思いを水上に抱かせた。


 ◆


 翌日。

 空き教室には西日が差し始めている。

 再び、大友の姿が眼前にあった。昨日とは違い、緊張の面持ちだ。なぜ二日連続で呼び出されたのかわかっておらず、戸惑っている。水上の最初の一言を待っているのだ。

 水上の中には、一つの結論が像を結んでいた。

 初川警部を撃ったのは、十歳の大友堅正──。

 恐らくは、大友は父親のことが好きだった。「こっそり撃たせてもらった」「母さんが通報しちゃった」。言葉の端々にそれは現れていた。

 警察が来て、父親が応対したことに大友は焦った。このままだとお父さんが逮捕されちゃう。父親は拳銃を持って応対したわけではなかったのではないか。銃は置いてあった。それを掴み、玄関に駆け寄り、腰に一発を放った。立っている大人から放たれた弾丸が、腰から臀部を貫くなどということは考えがたい。腰はちょうど子供の胸の高さだ。子供が胸元で拳銃を構えればその位置に来るだろう、という高さ。

 大好きな父親から警察官を遠ざけたい一心だった。しかしそれは最悪の結果を生んだ。

 その後、家族にどれほどの修羅場があったかはわからない。父親が罪をかぶることを決めた。母親の真由子も同調した。あるいは、真由子が発案したのかもしれない。

 そして初川警部は息絶え、大友幸治は射殺された。真相は、大友本人と真由子だけが知っているものとなった。

 そして大友は初川に目をかけた。それは本当に「罪滅ぼし」だった。父親の罪ではなく、自ら犯した、重い、重い罪の。

 十五歳の傷害罪は罪に問われるが、十歳の殺人は罪に問われない。だから、睡眠薬のときと比べて、大友の口は滑らかだった。

 本当は、誰かに聞いてほしかったのではないか。こんな秘密を抱え続けたまま生きていくというのは、いかにも心苦しいだろうことは想像に難くない。

 真由子は、もしかしたらすべてを知っているのかもしれない。母親の不眠症の薬。母親が作ったサンドイッチ。大友は初川の件について真由子にだけは相談していた。だから初川を陥れることにも協力した。そうだとしたら。

 すべては想像だ。そうであってくれないほうがよほどいい。

 堅正。義理く、しくあれ。果たしてそれは女親がつけるような名前だろうか。自らの罪を被った大好きな父親がつけてくれた名前に、大友は押し潰されはしないだろうか。

 大友は、更生させなくてはならない。水上は、この件は教育者としての自分に課せられた試練だと思うようになっていた。

 傷害罪に関しては、しっかりと罪を償わせなくてはならない。

 殺人のほうは──。

 頭ごなしに責めてはならない。ひとまず大友の気持ちをほぐすのが先だろう。

「今日は来てくれてありがとう」

 大友の顔に、一抹の安心感がよぎった。

 第一段階クリア。これからが大変だ。水上は思った。

 大友の更生。それは水上にとって、一生の仕事になるだろうと思った。


(了)





※この話は、お題を決めて複数人で小説を書く会「小説を書くやつ」で決まったテーマに則って書かれたものです。


第1回のテーマは、ランダムで出てきた3つの四字熟語「高校入試・硝煙弾雨・他人行儀」となります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罪滅ぼし 鯵坂もっちょ @motcho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ