何人目
小幸
第1話
久しぶりに家族でお出かけ気分。
車に酔いやすい私は暑くても寒くても窓から顔を出して外の匂いを嗅ぐ。
風に吹かれた髪の毛の匂いが好き。
高速道路に入ると窓を閉めなさいと母が一言。
聞こえないふりして開けていると勝手にガラスが上がってきた。運転席の母の特権。
仕方なく座りなおして家から持ってきたクッションの匂いを嗅ぐ。
「あんた本当に犬だね。」
クッションに顔をうずめる私に母が言う。ここのとこ元気が無かった母が少し笑った。
「だって車のそのつぶつぶの匂い。気持ち悪くなっちゃうんだもん。入れてもらわないようにしてよ。」
運転席と助手席の間から体を出して灰皿を雑に引き出す。
煙草の吸殻が少し入っている。家族に喫煙者はいないのに。
「ちゃんと座ってなさい」
母が乱暴に灰皿を押す。
「うわ、気持ちわる。臭っ」
「うるさいね。まだかかるから寝てなさい。いちいちうるさいんだから。」
クッションの匂いを嗅ぎながら目をつむる。
ここは家の中。家の中。車じゃない。大丈夫・・・・。
唱えているうちに寝てしまい、ドアに勢いよく頭をぶつけて目が覚める。
「痛った。まだつかないの?」
「うるさい。もうすぐだよ。」
随分と山の中に入っている。とっても大回りなカーブに対抗してみたり、流されてみたり。
最後にほぼUターン状態のカーブを抜けると、広く高い壁がまさにそびえたっている。ツタが沢山へばりついていて、高さがわからない。
同じように車を止める。
「いくよ、遊びに来たんじゃないんだから、静かにしててよ。」
車から降り、壁を改めて見上げる。
高い・・・こっちに倒れてきそう・・・。
「ほら、お兄ちゃん、花連れてきて。お母さん、中でやらなきゃいけないことがあるから。」
「ほら。いくぞ。」
兄が腕をつかむ。
そびえたつ壁に不釣り合いな小さめの入り口から中に入る。いや、入り口が小さいんじゃない。建物が大きすぎる。窓も小さいのしかないし。
中に入ると、暗い、人気のないじめっとした広い空間が広がってた。
病院にあるみたいなソファがぽつんと一つだけ、母が覗く小さな窓のほうを向いている。
「ほら、いくよ。6階だって。」
「静かだね、声が響いてる。ほら、あー!」
私のこだまを母が遮る。「いい加減にして。もう車にいなさい。」
「やだよ、壁倒れてくるもん。」
母がため息をついて歩きだす。
続く兄に待ってといいながらエレベーターに乗る。
6階。
エレベーターから右に出ると、両側にたくさんドアが続いている。
すぐ左の壁に小さな窓。
3番目のドアの前のソファに男の人が二人座っている。
ぼそぼそと何かを言いながら深々と頭を下げあっている。頭を上げると母が名前を確認され、ドアが開いた。
一人目の男の人が先に入り、母に続いて入ろうとすると、二人目の男の人に「お姉ちゃんたちは、ここの椅子で待ってようか」と止められた。
「私、おねえちゃんじゃないよ、妹だよ。」
「そっか、じゃあ僕がお兄ちゃんだね。」
兄は開いたままのドアを見つめていて、聞こえていないように見えた。
3人で椅子に座る。
「おにいちゃんはいくつ?」
兄は答えない。
「5年生だよ、花は3年生。」
「そっか。お母さん、これから大変だね。助けてあげてね。」
兄は両ひざに手を当てて、うつむいたまま何も答えなかった。
兄の様子がおかしいので、席を立って兄の腕をつかむ。
「おまえ、静かにしてろって言われただろ」
兄が顔を上げずに怒った声を出す。
「お兄ちゃん?」
「座ってろよ!」
顔を覗き込もうとした私を振り払った兄の指が瞼を引っ掻いた。
「痛いー!お母さん!お兄ちゃんがー!バカ!」
急いで部屋に入るとハンカチを握り締め、真っすぐに立つ母の後ろ姿の向こうにトンネルから出てきた電車のように人がベッドに横たわっていた。
とっても小さなスポットライトに照らされたその電車は、ズタボロになって面影も無くした父だった。
まだ背が低い私は横顔の半分くらいしか見えなかった。冷え切った部屋。寒い。
私の存在になんか気づかないように立ち尽くしている母を、中にいた男の人がちらりと見て、私の視界を遮った。
「どうしたの、怪我したの?」
「ううん。お兄ちゃんが・・・、もういい。トイレ行きたい。」
「そうだね。ここは寒いから。」
ほらと背中を押され部屋を出る。
ドアの前で申し訳なさそうに立つ男の人にトイレ連れてってあげてというと、男の人は部屋に戻っていった。
「おしっこしたくなったの?」
「うん。ある?」
「あるよ。こっちおいで。お兄ちゃんは?」
兄は相変わらずうつむいたまま、いい。と小さな声で答えた。
「わかった。そこに座っててね。」
廊下を歩いていくと、急に左に通路が現れた。そのくらい暗い。
廊下の奥の方でトイレから出る明かりのみが廊下を照らしている。
「ここだよ、行っておいで。」
うんと言って小走りになったところで、肩から掛けてるお気に入りのポーチを下げていることを思い出した。父が買ってくれたものだ。
預かっといてもらおうと振り向いたところで、あっ、と小さな声が出て足が動かなくなった。
あれは、気づいちゃいけないやつだ・・・。おじいちゃんが言ってた。真っ黒なやつは近づいちゃダメ、気づかないふり。約束したんだ。
影より黒い。透けてない。性別もわからないけど、はっきりと人の形もしてない。
夏の暑くなったアスファルトのように、微妙に揺れている黒いやつ。
不思議そうな顔で私をみる男の人の真後ろから少しずつ男の人に染みていく。
怖い・・・怖い。気づいちゃダメ。
私はポーチの紐をしっかり握って一目散に走った。途中曲がる方向を間違えて振り向くと慌てて男の人が追いかけて来ていた。
「どうしたの?」と言う男の人の顔が真っ黒だ。怖い!
廊下の奥でこっちを見て立っている兄のもとへ全速力で走った。
兄にしがみついて息を切らしていると、男の人がすぐに追いついてきた。
私が慌てているので、兄が怪訝な顔で男の人を見る。
「え?ほら、トイレは?もういいの?どうしたの?急に。」
もう顔が見れない。
母が男の人と一緒に部屋から出てきた。顔色が悪い。
「走らないで。少しも座ってられないの?いくよ。」
母の後ろにぴったりとついた。怖くて手を繋ぎたかった。でも母はある時から私と手を一切つないでくれない。
後ろにいる、真っ黒な顔の男の人。気づかないふり。気づかないふり。
エレベーターに入り、向きを変えたとき、顔を見てしまった。
とっさに顔を振って母のおなかに顔をうずめる。
「おとなしくしてないから。もう勘弁して。あんたは。」
ため息交じりの冷たい言葉のわりに頭に置かれた手は優しかった。
私が父の死体を見てショックを受けたと思っているんだろう。
もう、限界だ。近い。吐息が当たる距離にへばりつかれてる気がする。
エレベーターが開いてすぐ、走って外へ出た。
母の怒った声が追いかけてくる。
外はいい。ここには暗いものはない。
もうあれもついてこれない。
入り口に向かって車のとこにいるからと叫ぶ。返事はない。
兄と母がすぐに出てきた。
「帰るよ。」そう言って車にカギを刺す。
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