遠征
精霊はいろいろと便利なことを最近知った。たとえば、実体化しなければ維持コストが大幅に下がるのだ。
「顕現!」
久々に実際化したベフィモスはクンクンと尻尾を揺らしながらローレット殿下の足元をくるくると走り回っている。
「よーしよしよしよし」
嬉しそうに頭を撫でて、腰のポーチから飴玉のような光沢の丸薬を食べさせる。
ボリッボリッボリッと、子犬のような外観から不似合いな音が口元から聞こえてきた。
何を与えたのか疑問に思って問いかける。
「えーと、殿下?」
「ローレット」
「殿下?」
「だから、ローレット」
「何が言いたいのです?」
「名前で呼んでちょうだい。そんな堅苦しいのはゴンザレスだけで沢山よ」
なんか頬が膨らんでいるが、ぴょんと肩に飛び乗ったベフィモスにペロペロされて不機嫌そうな表情は見る影もない。
「あー……ローレット殿下?」
「殿下も要らないわ」
「それは、立場上まずくないですかね?」
「そもそも初めての時は普通にタメ口だったでしょ?」
「そりゃあ、あの時は皇女殿下とは知らなかったのでね」
「今は任務の途中です。平時の身分は関係ないわ」
「いや、建前はそうですけどね?」
軍の任務中は、出自や身分について一時的に停止される。軍は基本的に実力主義だ。平民の士官の下に貴族の一族の肩書がついた兵が配属されることもある。そうなったときに身分を考慮して作戦行動に支障が出てはならないということになっている。
かなり建前になってはいるが、実際問題として戦闘中とかはかなり厳格に適用される。命令不服従とか起きると軍隊として機能不全に陥りかねないからだ。
「はい、練習しましょ。ギルさん」
「あー……ローレッ……ト?」
「なぜに疑問形なの?」
なんでこんなむず痒い思いをしなければいかんのだろうか?
周囲を見渡すとクリフはローリアにまとわりついており、ゴンザレスのオッサンは物資のチェックをしていた。
「ローリアさんは天使だから歳を取らないんです!」
一晩経ってなんかやたら吹っ切れた表情のクリフがいたが、俺はそれ以上の言及は控えることにした。そういうことだ。
とりあえず名前で呼ばせることを約束させられた。ローレットは上機嫌で鼻歌を歌いながらベフィモスと戯れている……ん?
「そういえば、さっきベフィモスになにを与えたんだ?」
「ああ、これよ」
彼女が差し出した手には……なるべくなら見たくないものが置かれていた。クソまずさで人を殺せるマナポーションだったからだ。
「うげえ……」
「第二部のポーション課が作った最新作でね、威力がこれまでの倍らしいのよ」
「威力って……味か?」
「味も、ね」
うん、いつぞや俺が魔力欠乏でぶっ倒れたとき、ベフィモスも召喚者からのエーテル供給が途絶えて消えかけていたらしい。
そこで思い付きでマナポーションを与えたところ……実体に戻ったそうだ。
俺が意識を失っている間、さらに5個ほど食べさせたら存在が安定したらしい。
1部の召喚魔法研究室に報告して恩を売っておこうと心のメモ帳に書き込んでマーカーで着色する。
なお実体化したベフィモスは土魔法で工事の補助と、愛想を振りまいて現場の癒しとなった。
「殿下、遠征出発の演説をお願いします」
オッサンがローレットに声をかけた。先日の陛下の大暴れで兵たちの間ではゴンちゃん呼びが定着したらしい。
それも愛妻家で娘に頭が上がらないと暴露され、いろいろと沽券が無くなったそうだ。
ただ、兵からすればただ厳しいだけのオッサンじゃなくて、嫁と子を大事にする血の通った人間だという認識ができて、距離は近くなったんじゃないかなーと思った。
その距離が戦場においてはプラスにもマイナスにも働く。そのことを俺は知識として知ってはいたが、実際に経験したことはなかった。
「皆さん、これよりわたしたちは東へ向かいます。開拓団は何とか拠点を維持しており、そこに人が多く入り込み始めました。
彼らの生活を支える最も大事なものは、物資でありそれを支えるインフラです。
帝国の国民はすべて帝国に保護される権利を有します。それゆえにわたしたちの目的は彼らを守ることです。
先日陛下もおっしゃいましたが、帝国の発展のカギは東方にあります。我らの使命は道を切り開き、未来を示すことなのです。
諸君らの奮起を期待します。また、再び帝都に戻り解散の号令をかける時、一人たりとも欠けずにいることを強く望みます。
……では、出発!」
演台から降りると、ローレットはひらりと馬にまたがった。俺もギルド支給の軍馬にまたがりその後に続く。
今や砦となった歩哨小屋の兵たちが拍手で俺たちを見送ってくれていた。
先遣されていたギルド職員。クリフたちがある程度工事にめどをつけてくる。
後発の本隊がそこで改修などの工事を実施する。
「殿下、お願いします」
「風浪の刃よ! 切り裂け!」
水平に振るったレイピアの切っ先から放たれた鎌鼬が2メートルほどの幅で草むらを切り裂く。これを数度繰り返しある程度の見通しを確保した。
ろくに整備がされていない道は草が生い茂り、わずかな獣道のような状態になっていた。
「かかれ!」
ゴンザレスのオッサンの号令一下、草苅鎌を持った兵たちが横一線に並んで号令に合わせて振るった。
大き目の石などは魔法で砕くか撤去する。
2列目は魔法が使える兵が来て地面に砂利を敷いて、3列目の兵はハンマーを振るって地面をたたき固めていく。
あとはギルドの魔法使いが均して完成だ。
次の日は架橋を行う。
川は泳いで渡った先遣隊がロープを渡し、筏を使った浮橋を作る。ただこの状態だと人は渡れても馬や物資を満載した荷車は無理だ。
なので、浮橋をもとに工事を進める。一時的に堤を作って流れを止めて、橋げたの基礎を作る。大きめの石を切り出して積み上げる。
あとはアーチ形に切り出した石を組み合わせ、その上に石畳を敷く。
石の成型は魔法ですぐできるし、何なら河原の石を核にして作ればいい。
浮橋を渡すだけでも普通の工兵なら丸1日だが、俺たちの手腕なら1日で石橋を作成してのける。
陛下が俺に語っていった構想。帝国工兵の先駆けというか、。テスト部隊が俺たちだ。
魔法ギルドから土木部門を独立させ皇帝の直属にするという案は荒唐無稽に思えた。
それでも陛下なりにインフラの重要性を理解し、街道、水路といった施設の意味を理解してくれているということに帝国の一人の民として、ギルドの人間として嬉しく思ったのだ。
こうして簡単な(?)工事をしつつ進むこと10日目にして、最初の難所と呼べる場所に俺たちは差し掛かっていた。
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