第14話<リトル・キョートⅠ>

 復興歴301年8月24日


 次の日の昼――。

 伊佐波・<東郷>・サクヤからの招待を受けた遺伝子調整者デザインの成績上位者八名は、火星に降りるために第三艦隊第二機動戦闘団旗艦金剛型大型宇宙戦艦<比叡>の連絡艇に乗り込んだ。

 そのうちの一人であるクリスティーナ・<ネルソン>・ハンブリングは、火星の地上で落ち着いた食事が出来ると知って嬉しかったが、噂に名高き第三艦隊第二機動戦闘団司令主催の出陣式に強制参加しなければならないとなれば話は別だ。

 子供のように無邪気に喜ぶことは出来ない。

 急に降って湧いてきたような話であるだけに、何が待ち受けているのか、何が目的なのかいまいちはっきりしない。

 とはいえ、本当の意味で、己の軍歴が始まる日に泥を塗るような真似をするわけにはいかない。

 結果的に、準備にはそれなりの力を入れる必要があった。

 クリスティーナは、他に招待された遺伝子調整者デザインを知ってはいたが、その中で親友と言える者など、フランチェスカ・〈東郷〉・トモエしかいない。

 そんな二人だから、連絡艇の中では自然と隣り同士となった。

「首席、おめでとう。フランチェスカ」

「ありがとう、クリスティーナ。だけど、これはクルーのお陰よ」

 フランチェスカの形の良い唇からサラリと謙遜な一言が零れるが、彼女としては極当然のことを述べているに過ぎないのだろう。

 不遜な感じは一切しなかった。

「だったら、艦長は不要な存在よ。謙遜はほどほど、遠慮は適度に、ね」

 クリスティーナは気楽な口調に切り替えた。

 彼女は同じ遺伝子調整者デザインであり、シュエランたちのような健常者ノーマルに、隙を見せぬように気を張る必要も、上に立つ者としての責任を感じることも無い。

 親族以外で、年齢なりの性格を曝しても問題が無い、数少ない人物だった。

「なにを言ってるのよ。そういうことが言えるのが自信の表れよ。本当、羨ましいわ」

 連絡艇とはいえ、軍用の固い耐Gシートに身を沈めながら、フランチェスカは答えた。

 フランチェスカ・<東郷>・トモエ。

 クリスティーナと同い年で同期。

 イタリア人と日本人のクォーターで、軽くウェーブが掛かった銀の髪を肩上で切り揃えた少女。

 端正な顔立ちに、澄み渡るような碧い瞳と白い肌は白人系の特徴そのもの。

 身体付きはスレンダー過ぎず、豊満すぎず。

 いや、単純にスタイルが良いと言うべきか。

 腰の細さの割に胸などの出るべきところは出ているので、サイズ以上に見えた。

 それでも彼女を見た者は豊満よりもスレンダーと思うに違いない。

 そう感じさせるのは、本人の性格や仕草の所為だろう。

 控えめで目立つことを嫌う性格は、彼女を少し観察すれば容易に理解できる。

 フランチェスカの性格は指揮官としては最適のものとは言えず、どちらかといえば参謀向きだが、彼女自身は直そうと思ったことはない。

 彼女もクリスティーナと同じく両親の希望で遺伝子調整者デザインとして生まれたが、それを恨んでも憎んでもいなかった。

 むしろ、感謝していた。

 彼女の親兄姉全て軍人であり、幼少の頃からの軍事訓練も当たり前の事として過ごしてきた。

「これで私たち、艦長だね」

「希望する?」

 クリスティーナの言葉にフランチェスカは少し驚いた様子だった。

「しないの?」

 今度はクリスティーナが驚いた。お互い、微妙に将来の希望が違う。

「私は早めに幕僚コースに乗りたいかな」

「士官なんて指揮して、なんぼでしょ?」

 ほとんど同時に口にした思いは、面白いぐらい正反対だった。

 二人は顔を見合わせて、小さく吹き出した。

「確かに、クリスティーナは艦長の方が似合っているわね」

「そういうフランチェスカに負けたんじゃ、立つ瀬が無いわ」

「さっきも言ったじゃない。クルーのお陰よ」

「運でも何でも勝負は一回こっきり。戦場と人生に二度目なんて無いのよ」

 クリスティーナも耐Gシートに身体を深く埋め、シートベルトをしっかりと締めた。

 フランチェスカは固定済みだ。

 もうすぐ、火星の大気圏突入回廊に入るはず。

 地球に比べれば遙かに大気が薄い火星だが、それでも大気圏突入である。

 事故が無いとは言い切れない。

「実際問題、どうなるのかな。……私たち」

 ふと零すフランチェスカの言葉には戸惑いと不安が感じられた。

 訓練では極めて優秀な二人だが、実戦では訓練以上のものを要求されることは識っている。

 彼女たちは優秀であるが故に、自分たちの未熟な部分に関しても素直に認めていた。

「艦長じゃないの、やっぱり」

「やっぱり……」

 あっけらかんとした口調で金髪の少女が答えると、銀髪の少女は力なく頭を垂れた。

「実戦で年上の人に命令する事になったら、わたし自信ないよ……」

「何よ、フランチェスカ。習熟訓練で合流する海兵隊のこと、そんなに気にしてるの?」

「嫌でも気になるわよ」

 笑いながら語る友人に、フランチェスカは神経質そうに答えた。

 新しく来る部下たちは彼女にとっては寝る時ですら忘れられないほどの重圧プレッシャーの源なのだ。

「気にしすぎだって」

 そう言ってから取り繕うように「誰だって不安はあるわよ」と付け加えた。

 習熟訓練とは新人の航宙士と海兵隊員が初めて一つの部隊を組んで装甲駆逐艦等の戦闘能力を発揮出来るようにするために行なう大事なものだ。

 クリスティーナら防衛高等学校航宙士課程卒業生らが初めて他の兵科と行なう協同訓練である。

 航宙士課程と海兵隊課程では、この習熟訓練まで共に訓練することが無い。

 一方は、昔は夢の技術と言われた核融合推進器や光速移動すら可能と噂されるアレクレビ・ドライヴ機関や反物質推進機関を装備した、人類の技術と科学の粋を集めた宇宙戦闘艦等を手足の如く操り、電磁砲と光線砲で大型異星生命体――生体戦艦を撃破する宇宙時代の撃墜王たち。

 片や昔ながらの銃と爆薬を両手に握り、鍛え上げた肉体を強化外骨格で覆い、戦術と勇気で小型異星生命体――生体戦闘獣に挑む、宇宙に甦った古代の戦士たち。

 余りにも対照的な役割と戦い方と言えたが、この二つが有機的に機能せねば人類に勝利が無いことは過去の戦訓が証明していた。

 信条や行動様式がまったく違う組織や個人が出会ったとき、よく起こるのは衝突か摩擦だ。

 異文化で育った者たちが最初から上手く連携が取れることは希であり、通常は衝突する。

「海兵隊員の個人履歴のチェックは終わった?」

 クリスティーナは念の為に、と聞いてみた。

「一応、目だけ通したわ」

 やらなければならないことは、個人的には嫌でも自発的に行なうのがフランチェスカの美徳というべきか、それとも幼少の頃から続く躾と教育の賜物か。

 どちらにせよ、首席を取った原動力の一つだった。

 目的意識が高いといえばそれまでだが、彼女らがそう考えたことは無い。

 あくまでも“普通”。

 呼吸をすることと同じ程度のことなのだ。

「多少は考えてくれるんじゃないかな……。戦隊司令が許してくれれば、駆逐艦の搭乗員だけなら同期だけでも組めるって話だし。リストの通り、海兵隊側だって一〇歳、二〇歳年上を指揮させるような人事はしないで、ほとんど同年代の隊員を揃えてくれたんだから。第一、彼らだっていざという時には命が危なくなるんだもの。艦長の命令を無視しないわよ」

 けらけらと笑いながら、あっけらかんと答えるクリスティーナ。

 その言葉は彼女が持つ楽観主義以外の根拠を持たないが、答える様を初めて見た者はそれ以外の根拠があるのだろうと錯覚してしまう。

 それは彼女のちょっとした長所であり強みだが、悪用すれば詐欺師として大成できるかもしれない。

「リストの海兵隊員で一人は二歳も年上だったのよ……」

「直属の部下になると決まったわけじゃ無いし、たった二歳じゃない。士官として、ここはちゃんと胸を張って堂々と上官らしく振る舞うべきよ」

「……う~」

 呻くフランチェスカに、あまり慰めにならない言葉を返したクリスティーナも、これ以上よいフォローも思い浮かばない。

 彼女たちのように小さい頃から軍隊という縦社会に押し込められながら、訓練生扱い――体育会系の先輩後輩の関係が絶対――の暮らしを数年間も過ごしていた。

 年上=先輩の考えが抜けないと、フランチェスカのような真面目人間には少々きついものがある。

 確かに彼女らより二つも年上で階級が下の者が付くことは、今までの経験上極めてやりづらいことは理解できるが、これは乗り越えてもらわないといけないことだと、クリスティーナは達観していた。

 人生の先輩であり、職務の後輩である者たちへの接し方まで彼女たちは教育されていない。

 教育されたのはあくまでも軍人として立ち振る舞いと、斯く在るべしと示された接し方だけだ。

 彼女たちとて、それだけで世の中をうまく渡っていけるわけが無いことぐらいは理解している。

 だが、それ以外の人間関係など家族親戚関係以外、ほぼ皆無の人生なのだ。

「クリスティーナはチェックしたの?」

「名前以外、大してチェックしてないよ。赤の他人が下した評価で先入観持っても無駄だし」

 彼女たちがチェックしたのは、まだ公表されていない次期作戦に所属する駆逐戦隊の海兵隊員および航宙軍隊員の名簿だ。

 それには氏名、所属、年齢、健康状態、家族関係はもちろん、得意な戦闘特技から性格分析、嗜好品、借金の有無に異性との交友関係に至るまで、教育隊や教官たちが知り得たことは全て記載されている。

 ある意味、軍隊という地獄では閻魔帳とも言えるような代物である。

「それでどうにかしてしまえるのが、クリスティーナの強みよ」

「あんまり自分のことをネガティブに捉えて悩まないで。フランチェスカの悪い癖よ」

 苦笑を漏らした。

 他の遺伝子調整者には言えない言葉だが、彼女には言える。そう自惚れるだけの月日は共に過ごしてきたと思っている。

「ごめん。ちょっと、ネガティブ入ってる……」

 フランチェスカ自身も自分の欠点は理解しているが、そうそう治せるようなものでもない。

 彼女たちはまだ一八歳。それ相応の希望も不安も持っている。

「他には何が不安?」

「正直に言うと人間関係」

「詳しく言うと?」

 カウンセラーのような問い掛け。

 ともにカウンセリングに関しては知識もあるし、それを行う訓練さえも受けている。

「新しい仲間というか、部下になる人たちとうまくやれるか……」

「同じ航宙士との間は手助け出来るけど、海兵隊の部下との間はあまり手助け出来ないわよ。愚痴ならちゃんと聞くけど……」

「航宙軍の部下となら大して悩まないわよ」

 フランチェスカがむくれたように答えた。

 二人に施された英才教育は優秀な軍人として、斯くあるべき精神を形作るために施されたものだが、フランチェスカの心はまだそれに凝り固まっていなかった。

「どんな人達と一緒に戦っていくかなんて、出会う前から気にしたってしょうがないわ。私たちは手持ちのカードで戦うだけ。結局、何一つ人事権なんてないんだから」

「まったく……それを言ってしまったらお終いなのよね……」

 フランチェスカはがっくりと首の力を抜いた。

 うなだれたような姿勢になって、銀髪が揺れた。

 それから一息吐くと、のけぞるように椅子へ背を預けた。

 暫し、無言。

 彼女たちは訓練兵であると同時に学生でもあり、学年に直せば高校三年生でしかない。

 英才教育を受けたとはいえ、自分の生き死に加えて、他人の生き死にまで直接左右する立場になる。

 人の一生を言葉ひとつで決めうる立場。

 それに重圧を感じないのであれば、その人物は馬鹿か気違いのどちらかだろう。

 異星生命体との宇宙空間での戦いでは、航宙士に代表される宇宙軍と海兵隊員らなどの異なる技能と役割を持つ軍人が協力して戦うのが普通だ。

 宇宙軍は最大全長数キロという敵大型種を受け持ち、海兵隊は全長数メートル程度の敵小型種を受け持つ。

 お互いにそれだけを攻撃しないというわけではないが、両方できる兵士を育てるのは途方も無い時間が掛かる。

 兵器の性能を考慮すれば、より妥当性が明らかになってくる。

 数千キロ先の全長数キロの敵を打ち砕きながら、味方に纏わり付く数メートルの敵を薙ぎ払うような万能兵器は、地球再緑化すら成功させたこの時代でも存在しない。

 結果、もっとも安易で安価かつ確実な組み合わせとして、宇宙軍の戦闘艦に海兵隊員が乗り込み、大小様々な大きさの異星生命体に対応することが妥当だった。

 このように運用される両軍ではあるが、異なる訓練を受けてきた兵士が有機的に行動できるようになるにはそれなりの時間が必要だ。

 そこで訓練課程を修了した両軍の新兵たちを同一部隊に集め、少数の古参兵の指導のもとで習熟させていく訓練が、俗にいう習熟訓練――正式名“航宙軍新兵及び新海兵隊員の共同習熟訓練”である。

 全体的にエリート意識が強い航宙軍と腕っ節ですべてが決まるような海兵隊では水と油。

 軍事組織の中で最も一番諍いが多い組み合わせでもあるが、その原因としては、航宙軍と海兵隊の組織文化の違いが大きい。

 習熟訓練はそんな両軍の新兵たちがそれぞれの組織の構成員として、本格的に出会う初めての機会であり、そこである程度気心を通じさせたいという目的がある。

 無論、習熟訓練を終えた新兵たちを再び混ぜ合わすシャッフルするような無駄はしない。

 無駄は省かなくてはならない――特に、時間的な浪費は。

 クリスティーナやフランチェスカら遺伝子調整者デザインは幼少の頃から軍人として教育を施されているとはいえ、他組織との実技・実習の時間は圧倒的に足りない。

 海兵隊の大半を占める健常者ノーマルの下士官は通常、特定任務や特定技能に優れる職人――いわゆるスペシャリストだ。

 対して、航宙軍に多い遺伝子調整者デザインはその素養と目的から、最初から指揮官――つまり、ジェネラリストとして教育されている。

 民間会社に例えれば、工場の職人と経営者の差とも言えようか。

 だが、軍隊という組織を熟知するには飯の数が多い方が有利だ。

 経験豊富な下士官の新人士官に対する嫌がらせは、時に洒落にならないものになる。

 下士官にしてみれば、無能な上官の命令で自分が死ぬのだ。

 それを理解している有能な下士官の執るべき手段は二つ。

 新米のうちに潰すか、それとも一人前に育てるか。

 容赦無い者は無能な上官を平気で潰しに来る。

 心配性のフランチェスカはそれも恐れていた。

 首席までとっておきながら心配するような性格は慎重というよりは臆病と言うべきで、端から見れば杞憂という他ない。

「気にしたってしょうがないって……ていうか、フランチェスカは私たちの首席なんだから、もっと自信を持ってよ。――あ、大気圏突入回廊への最終コースに差し掛かりそう」

「え、もう、そんなに高度落ちたの?」

 二人ともこれ以上、お喋りを続ける気はない。

 シートベルト着用を促すアナウンスが流れ、緊張感のようなものが客室内に満ちる。室内の照明は落ち、赤い非常灯だけが灯った。

 不意に連絡艇が激しく揺れ、小さな窓から見える景色は、吹き上げては流れ去る炎の粒子だけになった。

 外は1500度に近いプラズマ。

 その景色はさながら灼熱のマグマの中を潜るかの如く。

 それは僅かな間だったが、やがて船体の揺れも小さくなり、5分もしないうちに何事もなかったように静かな飛行に戻った。

 窓の外には漆黒の宇宙と赤い大地、その間に位置する薄い火星の空が見えた。

 アナウンスもなく非常灯が消え、通常の照明も灯った。

 大気圏外飛行可能な極超音速旅客機やそれに類する民間機であれば、もっと大きな窓から火星の空と大地が思う存分見えるだろうが、この軍用連絡艇には必要最低限の窓しかない。

 クリスティーナとフランチェスカは外の景色に目を向けることも無く、静かに着地を待った。

 そのまま20分ほど火星上空を滑空して十分に減速した連絡艇は、ほとんど衝撃らしい衝撃を感じさせることなく火星の航宙港に着陸した。

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