サイコパスvsギャル

サイコパスvsギャル(単話)

 今日が終わった。

 日付が変わる。通信制限解除。端末を開いた。ついでに、この前の報告書も出しておこう。新しい化粧品の予約もしなくては。


 新しい日が始まる。まだ夜だけど。


 仕事を片付けて、何軒か居酒屋をはしごした帰り。隣には千鳥足の上司と部下。片方は平で、もう片方は次長。なぜかこの会社では副長と次長がいる。


「いや、なんでそんなにお酒つよいんですか副長は」

「次長とあなたが弱すぎるだけ」


 この三人で呑むと、だいたいこうなる。弱いなら呑むなと言いそうになるが、やめた。ふたりとも日頃の疲れを発散したいのだろう。


「ていうか、酔えないのになんで呑んでるんですか副長は」


 私は、なんで呑むのだろうか。考えたこともなかった。


「はい。着きましたよ。大家さんあとはお願いします」

「うけたまわりましたっ」


 職場に近いマンションを組織がまるごと買って寮代わりにしている。大家は化粧の濃いギャル。酔いどれの管理も慣れたもので、両肩に二人を担いでドアの向こうに消えていった。


 家に帰る気にならず、しばらくマンションのロビーに座っていた。ソファとテーブル。


 マンションではなく、一軒家に住んでいる。たまたま安かったのをおすすめされて買った。そこまで高くなかった。住み心地も悪くない。ただ、家に何もない。テーブルも食器も、コップも。ただ睡眠するだけに存在する、一軒家。


 普通の仕事。普通の生活。


 だからといって、普通の人間、というわけではなかった。非人格性のパーソナリティ偏向。要するに、世間一般で認知されているサイコパス。人の気持ちが理解できない。


 ただ、それだけだった。人の気持ちが理解できなかったからといって、なにか不自由があるわけでもない。


 教育や勉強が苦ではない人間だったので、人の気持ちはどういうときにどういう反応を示すのかについて、あらかた学んでいる。それで充分だった。相手は自分ではない。自分は相手ではない。それさえわかってしまえば、後は反応ごとに応対するだけ。


「ここ、いいですか」

「どうぞ」


 大家のギャル。向かい側に座る。


「あのふたり、あしたはふつかよいで、じごくですね」


 なぜか楽しそう。


「ふくちょう、さん?」

「長見です。長見でも副長でも、どちらでもお返事しますよ」

「じゃあ、かっこいいなまえだから、ながみさんで」

「はい」


「ながみさんは、よわないんですか。いつもあの二人だけよっぱらってかえってきてるのに、ながみさんだけちゃんとしてて」

「なんでなのか私にも分からないんですが、いくら呑んでも酔わないんです」


 身体機能が人よりも優れている。肝機能も、たぶん常人より上なのだろう。器はとても良いのに、肝心の中身が欠けている。


 ギャル。じっとこちらを見つめてくる。


「ふしぎ。目のおくに、なにもない」


 目の奥。


「わたし、むかいあった人がどんな人か、目を見るだけでわかるんです」


 ギャル。自信ありげ。


「でもながみさんみたいな人、はじめて。こんなに目のおくに、なにもなくて」


 人の気持ちが理解できないから、だろうか。当然、自分に気持ちがあるかどうかも分からない。本当に、目の奥が空っぽなのかもしれないと、思った。


「きれい」

「綺麗?」

「めっちゃ目が、ええと、なんだっけ、そう、すんでる」


 目が澄んでる。言われたことはなかった。だいたい目が死んでるとか、そんな感じの自己感想。


「いいなぁ」

「そんなに良いものでもないですよ」

「えっなんでなんで。こんなにきれいなのに」


 自分の感情が分からず、他人の感情も理解できない。


「中身が空っぽだと、相手を傷つけても何も思わないので」


 実際、喧嘩で負けることはほとんどない。


「うそでしょ。ぜったいやさしくたたくでしょ」


 殺さない、という意味での手加減はうまいかもしれない。殺すことにメリットがなかった。ドラマや映画を見ても、殺す意味を理解できない。


「恋愛もできないし」


 恋愛と結婚は、昔からやってみたかった。自分という人間のパフォーマンスを著しく上げることができる。ただ、自分に寄ってくる相手は今までいない。それに、自分から相手を探したこともなかった。好きになるという感情が、まず存在しない。だから、恋愛経験がない。


「あっわたしも。したことない。れんあい」

「そうなんですか」

「あこがれるよねぇ。れんあい」


 じゃあ、その濃い化粧はなんのためなのだろう。


「あっこれ?」


 しまった。顔を凝視してしまった。


「あたらしいやつでね、めちゃくちゃ、びようにいいの。ちょっとまってて」


 ギャル。立ち上がって走り去っていく。


 せわしない人間だった。会話の感触からして、頭は良くなさそう。ただ、人を見る目がある。それでマンションの管理人を任されているのかもしれない。


 ソファから立ち上がった。ギャルが戻ってくる前に、帰るか。


 さっきギャルが走り去っていった方向。凄まじい美人が出てきた。組織にあんなのが、いただろうか。新人かもしれない。


「えへへ」

「えっ」

「見てこれ。このけしょうひんなんだけど」


 ギャルだった。

 おそろしいほどに、美人。肌に一切の荒れがなく、目元から頬にかけて綺麗な朱が差している。


「わたし、このメーカーのなんだっけ、テスター、っていうのやってて。これがすごいの」

「いや、今の化粧品のほうを教えてください」


 目元から頬にかけての朱。とても美しい。これは、私も付けてみたい。


「うん?」

「この頬っぺたの」

「うわちょ」


 頬に触れる。指。何も付かない。


「あれ?」

「いまわたし、なにもつけてないよ?」


 素肌かよ。


「あの、ひとついいですか?」

「なになに?」

「なんでそんなに素肌が綺麗なのに」


 あんなに濃く化粧をするのか。しまった。これは訊いてはいけない内容か。


「あっ、メイクがこい?」

「はい」


 頬に動揺して変なことを訊いてしまった。動揺。珍しいことだった。はじめてかもしれない。


「わたしね、メイクしてると、人になれる気分がするの」

「人に、なれる?」


「わたし、なまえがないの」


 名前がない。


「なんだっけ、こせき、っていうのかな。なんかなまえとか生まれた日とかが、かいてあるやつ。それがないの。いつ生まれたかもわかんないし、おとうさんもおかあさんもいない」


 ありえるのか。人格に難のある自分ですら、名前と住所はある。


 いや待て。ある。ありえる。


「記憶喪失ですか?」


 記憶喪失で一時的に戸籍喪失状態。


「きおく、そうしつ?」

「昔のことを覚えていないってことです」

「いつごろをむかし、っていうのかわからないけど、ようちえんのことなら、なんとなくわかるよ?」


 記憶喪失でもないのか。幼稚園。


「住んでいる場所とか、じゃあ、ええと」

 混乱。これも初めての感情だった。混乱というのは、本当に、混乱するのか。

「幼稚園のときは、どこに住んでたんですか?」

「どて」

「土手?」

「ちかくに川があって、はしがあって、その下」

 ホームレスか。いやそれでも幼稚園児がひとりで暮らせるはずがない。

「一緒に住んでいた人は」

「いないよ?」


 ひとり。そんなばかな。


「でもお金とか食べ物とか」

「たべものはちかくのおにくやさんとか、スーパーで。おてつだいしたらもらえて、おかねは、かわらに来てるおじいちゃんとかおばあちゃんとかにもらってた。ようちえんのぞうきんとかも、おばあちゃんにおねがいして」


 そのおばあちゃんが保護者か。


「おじいちゃんもおばあちゃんも、いつも会うたびに、あたらしいおばあちゃんとおばあちゃんなの。ろうじんホーム、っていうのがちかくにあって、なんだっけ、アルツハイマー、なんだって。じまんしてた。アルツハイマー」


 認知症。保護者じゃない。


「じゃあ、小学校は」


「いってない。ようちえんをそつぎょうしてからは、ふつうにくらしてた」

「橋の下で?」

「うん」


 壮絶な人生を送ってきたのか。

 美人。目を見つめてくる。


「たのしかったよ。たべものも、のみものも、こまらなかったし。おそらも、川もきれいだったし」


 思考が読まれる。そう思ってしまうほどに、純真な視線。


「あれ、なんのおはなしだっけ」


 急に考え込む美人。

 いったい、何才なんだ。


「え?」


 視線。


「ようちえんがだいたい20年まえだから、たぶん27さいとか、かなぁ」


 同い年。


「うそでしょ」

「うそじゃないよぉ」

 再びの、動揺。いや、困惑。これは、私か。私が困惑して動揺しているのか。


「あっおもいだしたっ」

 美人。はしゃぐ。

「おけしょうしてるりゆうだっ」

 そうか。会話の発端。


「お化粧してるとね、人になった気分になれるの」

 それはさっきも聞いた。

「なまえとか、ほかの人があるものを、もってないの。なんていうの、うすい、そう、うすっぺらで」


 薄っぺら。


「だからね、メイクをすると、うすっぺらな自分でも、ちゃんと、人間になったかもって、そうおもうの。だからお化粧はだいすき」


 この美人にとって化粧は、自我を獲得するためのプロセスなのかもしれない。


「えっ、なんで、なんでなきはじめるの」


 言われてはじめて、自分が泣いていることに気付いた。あくびしたとき以外で涙が出るのは、はじめて。


「だいじょうぶ」


 つられてなぜか目の前の美人も泣きはじめる。


「だいじょうぶだよ。すわろう。ね。だいじょうぶだから」


 自分が立ち上がっていたことすら、忘れてしまっている。言われるがまま、ソファに腰かけた。背中をさすられる。何がだいじょうぶなのか、よくわからない。


 わからない。


 そう。わからないということが、わかる。


 はじめて、自分について、わからないということが、分かったかもしれない。


「私の話を、していいですか」

「うん」


「私は、人の心がわからないんです。パーソナリティに偏向があるって言われて、ええと、そうだな。動物と同じなんです。ただ食べて寝るだけの」


「そっかぁ、だから目がきれいなんだ」


 美人の顔。急にズーム。


「きれいでかわいいどうぶつさん」


 頬。手。


「なかないで」


 涙を拭われる。


「いやいやいや。ペットみたいなそんな」

「え、ちがうの?」


 違わないかもしれない。少なくとも、この状況では。


「大家さん、お水ぅ」

 遠くで、うめき声。


「あっ、じごくがはじまったみたい」


 美人。立ち上がる。


「あ、あの」

「うん?」


 会話の糸口。何か、ないか。


「そうだ。今度、連れて行ってください。見たいです。住んでた土手」

「うん。いいよ。またね」


 手を振って、駆け去っていった。


 あの美人。やはり、私の思考を読んでいた。そうじゃないと、後半の会話が成立しない。今も、私が帰ろうとしているのを理解していたような口調。


「そうだそうだ」


 美人。走って戻ってくる。


「これ、あげる。つかってみて。ね。もうなかないで」


 化粧品。


 どうやら、私はまだ泣いているらしい。



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