戦がのこしていったもの ~何気ない日常の景色に~
RURI
僕が感じた、沖縄戦の爪痕
「沖縄」と聞いてあなたは、何を思い浮かべますか?
透き通る青い海と白い砂浜? 赤瓦の上にシーサーが乗った、建物? 海から潮の香りを運んでくる風? ガジュマルやアダン、ヤシの木と行った南国の植物? 三線の音が響く音楽? はてまた、行く先々(または暮らしていて)出会ったうちなーんちゅ達?
これを書いているのは2020年。県民の3人に1人が亡くなったという、史上最悪とも言われる地上戦が起こってしまった沖縄戦が終結してから、75年。
今も、沖縄と戦争は切り離せないまま。戦争を体験していない世代の私でさえ、それを感じる場面がある。
まずその象徴と言えるのが、今もあちこちに残る米軍基地ではないだろうか。スポットライトが当てられるのは移設問題が取り沙汰される普天間基地ばかりだけれど、キャンプハンセンやキャンプキンザー、さらには東洋最大とさえ言われる嘉手納基地等々、沖縄で生きていてその存在を感じずに過ごす日は無かろう。
ここでは米軍基地がどうのこうのという話がしたい訳では無いのだが、触れない訳にもいくまい。学校に居ても、家に居ても、塾に居ても、外で遊んでいる時にも、米軍機の音が聞こえない日はない。戦闘機やヘリコプターは当然、いつからだっただろうか、オスプレイを目にするのももはや珍しくはなくなった。
沖縄を離れて、自分でもびっくりすることがあった。それは、ヘリコプターの音を聞いて、「あ、ヘリコプターが飛んでる」って思う様になったこと。だって、今まではそんなに意識してこなかったのだ、それがあまりにも当たり前のことだったのだから。だから何だ、ということはないのだけれど、自分の中で「あれ?」と思う出来事ではあった。
もちろん、今の沖縄の空気感に、アメリカンな要素は溶け込んでいるし、もはやそれが日常のものとなっているのは間違いない。コザのあの感じや北谷のアメリカンビレッジの周りのあの空気感は、まさしく琉球とアメリカの文化が混ざり合って生まれた風景だろう。
でも、普天間基地から流出したと思われるPFOSの問題とか、数年スパンで墜落する米軍機のニュースとか、ちょくちょくすれ違う(YやAナンバーではなく)アメリカのナンバーをつけた車とかを見ると、「沖縄ってなんでこういう扱いが続いているんだろう?」って思うことがあるのもまた事実。沖縄国際大学に米軍機が墜落した時に、なぜか米軍が先に規制線を張って立ち入りを制限するとか、何回聞いても対等な関係にあるとは思えない。センター試験会場がちょうど沖国だったから行ったことがあるのだけど、あそこは誰がどう見ても日本の領地のハズだと思った。
さてさて、このまま行くと政治が絡む話に進んでしまいそうだからちょっとここらで話題を戻そう。思うところは山程あるけれど、今回はそういう話がしたい訳じゃないからね。
では、ガラッと話題を変えて。意外と身近に戦争の跡が残っているんだ、という話をば。
去年本殿が焼失してしまったけれど、その前に首里城が焼失したのは、75年前の戦争の時。首里城の地下に日本軍の司令部が置かれたことから、米軍が首里城中心に集中攻撃したのだそうだ。今では色々と修復・復元されて、首里周辺は『琉球王国の雰囲気を色濃く残す城下町』といった雰囲気があるけれど、沖縄戦の際にはそれこそ草も生えない程に酷く荒らされたのだという。
今でも、首里城のすぐ脇には日本陸軍第32 軍の司令部壕が残されている(崩落の危険性があることを理由に、現在内部公開はされていない)。
糸満の平和祈念公園やひめゆりの塔に代表される
また、割とよく不発弾処理は行われている。さすがにちょっと前に那覇空港の滑走路脇から不発弾が見つかったのはびっくりしたけれど、少し前までは不発弾があることが知られていたダイビングポイントもあったし(今は爆破処理が行われた)、実体験で行くと中学校の部活が近隣の不発弾処理の為に休みになったことも。学校や工事現場で不発弾が見つかった、なんて話はそこまで珍しくないのが沖縄という土地で、全ての不発弾の処理が終わるまでにはあと数十年かかるとも言われている。
そもそも、小中学校に「不発弾を見つけても絶対に触らないこと!」というポスターが貼られているのって、改めて考えてみるとおかしいよな、と思ったり。正体が分からずに先生が引き出しに保管していたものが実は不発弾だった、なんて事件も県内であったくらいだし。
そして、実は昔、沖縄にも鉄道があったの、知っていますか? いわゆる軽便鉄道というやつなのですが、戦争で大きなダメージを受けて消滅してしまいました。どうやら現在の那覇バスターミナルを起点に、3路線が走っていて南は糸満、北は嘉手納まで結んでいたそうな。今はもう面影もほとんどなくて、普通に生活していれば気がつかないはず(探すと意外と跡が残っているらしい)。桑江駅跡とか、知らずに普通に通ってましたもん。あと、知っている話だと宜野湾市の58号線に併走する様に通っている脇道が線路跡なんだとか。そう言われれば、確かにやけに真っ直ぐな道のような気がしなくも無いかな、という程度ですがね。
実はあちらこちらに戦争の記憶を垣間見ることが出来るのが、沖縄という土地なのかもしれないとも思います。今回は、私が言いたい様に好き勝手書いたのですが、書いてみて思った事を最後に一つ。
沖縄に行くなら、もちろん自然や文化に触れて欲しいのですが、それと共に戦争の記憶にも触れて欲しい。沖縄に残る戦争の記憶を、自分の肌で一度感じてみて欲しい。そして、戦争が決して他人事ではないことを感じて欲しい。
6月23日、慰霊の日。離れた地からではあるけれど、平和について思いを馳せる。沖縄で育った者として、私はこの日を忘れない。
戦がのこしていったもの ~何気ない日常の景色に~ RURI @RURI-chrysipteracyanea
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ベイスターズを語りたい/RURI
★5 エッセイ・ノンフィクション 連載中 41話
とあるカットマンの戯れ言/RURI
★4 エッセイ・ノンフィクション 連載中 14話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます