引きずり少年と悪態探偵の神の不在証明

白夏緑自

第1話


 ボロボロの精神状態でなんとか留年を回避した俺は、高校時代の同級生や後輩たちとなぜか親交のある探偵事務所のメンバーとで、離島の温泉旅館へ向かうためフェリーに乗っているはず──だった。


 だったのだ、予定では。なぜこんなに仲が良くなったのかわからない、【BB探偵事務所】のメンバーと、高校時代の友人であった筋肉バカと生徒会長カップル。後輩とその彼氏。また別の後輩とその彼氏。彼氏がいない後輩。あと、俺の彼女。ここ大事。俺の彼女が来られなくなってしまったのだ!くそお!なんで、なんでこんなことに……。


「そりゃあお前、インフルエンザなら仕方ないだろ……」


 窓際、ひじ掛けに頬づえついている日本人離れした風貌の男がつまらなさそうに突っ込んでくる。


 彼の名前はアッテンボロー・タンテボー。ドイツ人とのハーフらしい。ふざけた名前だが、顔は若いころのジョニー・デップ似。身長は当たり前に二メートル間近。黄色いセットアップに紫のシャツと言うエイリアンみたいな服装のくせにかっこよく見えてしまうのが憎たらしい。


「流行ってるらしいしな、インフルエンザ」


「インフルエンザ⁉バカは風邪ひかないんじゃないんですか!あの筋肉バカとか絶対バカだからあり得ないでしょ!」筋肉バカとは、高校の同級生の筋肉バカである。笑い声はガハハ。たぶんあいつ、そのうち繁華街で職質くらったら一発アウト。プロテイン大量所持罪で。


「バカじゃなかったんだろ。逆に風邪ひいてないお前はバカだ」


「あー!バカって言った人がバカなんですからね!だいたいボーさんだって元気ビンビンじゃないですか!このバーカ!」


「んだとこらぁ!」


 クールを装っていたボーさんが拳を握って襲い掛かってくる。


「挑発に乗るの速いな!」


「した人間が言うな!」


「あのー他のお客様にご迷惑になりますので──……」


 拳が俺の頬に突き刺さる。デカいだけあって拳もデカい。小顔な俺の顔面の半分は痛めつけられる。だが、タダじゃやられない。衝撃で通路側に倒れそうになりながら、つま先を顎目がけて伸ばす。


 入った。


 靴越しに尖った顎がのめり込む。形がいいなクソっ!半分本気で潰れろと思いながら蹴り上げる。


「──!」


 バランスを取るために伸ばしていた腕の先、手の甲に柔らかいものが押しあたる。


「え?」


 恐る恐る見てみると、そこには真っ赤な顔に冷笑をたたえた綺麗なお姉さんが立っていた。服装からたぶん乗務員の方。泣いた赤鬼ってあるけどこれは笑った赤鬼だなー、なんてことを思いつつとりあえず、


「おっと、すみません!わざとじゃないんです!本当ですよ!俺女性アレルギーみたいなものなので!ええ、なんでほら、触れたらすぐ拭いちゃいます!」


 急いで持ってきていたウェットティッシュを取りだし、引っ込めた手の甲を拭きとる。あぶねー、炎症で焼け落ちるところだったぜ。


 ブチッと、何かが弾ける音がしたかと思えば、俺とノビたボーさんは甲板につまみ出され、まだまだ冷たい波風を浴びさせられることになった。


 いや、けっこう冗談なく寒いんですけど……。


 コートの前を閉めながら、身を縮こませていると、ボーさんが「あぁ水……水……」と目を覚ました。酔っぱらいかよ。


 くたばってもらっては困るので言われた通りペットボトルの水を渡すと、彼はそれを半分ほど飲み、もう半分は頭から被った。


「何してるんですか?」


「気付けだよ。誰かさんのせいで脳震盪だからな。まだ気持ち悪い」


「昨晩の飲み過ぎた自分を恨んでください」


「お前……」


 それ以上何も言う気が起きないのか、ボーさんは胸ポケットから煙草を取りだし、火をつける。


「ここ禁煙じゃ」


「さぁな。灰皿があるってことは吸っていいんだろ」


 本当だ。疎まれ、街から姿を消しつつある円柱が、潮風によって錆に塗れながらも存在感を放っている。人が多い場所や観光地からは特に撤去されているらしいのに、このフェリーにはまだ残っているだな……。


「必要としているやつがいるんだろ。だからまだこいつは残っている」


「錆だらけになりながらですか?」


「こいつの役目は灰と吸殻を受け入れることだ。観賞用じゃねえ」


 観賞用じゃない。確かにその通りだ。でも、真っ白な壁を背に立つ、ボロボロの灰皿は哀愁が漂っていて、一種のアートにも見えた。もしかしたら、これは灰皿じゃないのかもしれない。勘違いしているのは俺たちのほうで、実は窓からの景色と、広がる海の青さに飽きた人間のための、箸休め的役目を担っているのかもしれない。誰も彼も、美しいものだけを眺めているだけでは退屈になってしまう。ずっと、眺めていたら、かもだけど。少なくとも今の俺は満足していない。錆に塗れた灰皿には惹かれない。


「お前さぁ、やっぱダメなの?」


「何がです?」


「ウェットティッシュで拭いてたろ、さっき」


「あ、あぁ、ええ、まあ」


 なんだ、完全に気を失っていたわけじゃなかったのか。ボーさんや他の探偵事務所メンバーに隠しているつもりはない。と言うか、バレているから正直に吐き出してもよかったのだけど、言葉が見つからず曖昧な相槌をうつことしかできなかった。


 ボーさんはそれを、俺が答えたくないが故だと思ったらしくこれ以上は追及してこなかった。


 緊張していた胸が楽になる。


 意識以上に体が強張っていた。


 ボーさんが二本目の煙草に火をつけ、俺たちと眺める海原との間に女性二人が横切っていく。


「景色いいねー」


「冬の海もいいもんだね」


 なんてことのない会話だ。彼女たちもまた、俺たちと同じ旅行客なのだろう。自撮り用のスマホアクセサリを手に持ち、船内へと入っていく。


「SNSってあるじゃん」


 ボーさんが煙を吐き出すついでみたいに呟く。


「ありますね。それがどうしたんですか?」


「今の娘たちのアカウント、お前、特定できると思うか?」


「は?無理に決まってるじゃないですか。名前も知らないし。知っていたとしても本

名じゃないだろうし」


 突然何を言いだすんだこのオッサンは。若い俺と無理やり話を合わせようとしています?無茶すんなよオッサン。


「お前全部顔出てるぞ──。まあいい、やってみるか」


 そう言って、ボーさんは片手でスマートフォンを三十秒ほどいじくり、俺に画面を見せてくる。そこに映るのは写真投稿特化のSNSアプリ。そのアカウント画面だ。アイコンをよく見てみると、


「さっきの……」


 際立った特徴があったわけじゃないが、さっきすれ違ったばかりだ。すぐに記憶と一致する。このアカウントの持ち主は今しがた船内に入っていった女性だ。


「なんでこんなすぐに」気持ち悪いネットストーカーを見つけた気分だ。


「あの娘たち、自撮り用の──自撮り棒だっけ?──持ってたろ。ということは写真を撮ったことは間違いない。んで、それをすぐにネットに上げるとしたらきっと場所とかフェリーとか、そんな内容を文字で盛り込むはずだ」


 そこから先は地味かつ簡単な方法を行ったに過ぎない。ボーさんはとりあえずユーザー層が彼女たちと一番マッチしているSNSアプリを開き、場所やフェリーなど今の状況を表す文言で検索する。そうして最新順に表示される投稿を遡り、目当てのものに辿り着いた。


「今回は上手くいきすぎだけどな。もうちょっと同時期に同じ内容の投稿が多かったり、そもそもアプリが違ったりしたらもうちょっと時間かかってた」


「へー。で、そんな知識?技術?いつ使うんですか?ストーカー?」


「仕事だよ。浮気調査とか、素行調査とか。後味悪いのだと娘の援交調べてくれとかもあった」


「その依頼はどうなったんです?」


 後味が悪いと評するのだから、依頼主にとって嬉しい調査結果は出なかったのだろう。


「娘は援助交際をしていた。で、その相手、パパさんの中には父親の弟が混じっていた」


「うへ」


 確かにそれは嫌な後味だ。 


 叔父に身体を売ってたってことだろ。どうしたって、父親の影が重なりそうなものだけど。それを振り切ってでも金が欲しかったのか。


「一応、娘さんのフォローをすると。相手の一人が叔父だとは娘さんは知らなかった。一度も会ったことが無いらしくてな。たまたまどうして、数多くいる男の中に血縁者がいた」


「それでも親父さんはたまったもんじゃないでしょう。娘さんが身体を売っているわ、その相手が自分の兄弟だわ」


「まあな。この調査結果で一番傷ついたのは誰だと思う?」


「え、」


 そりゃあ、依頼した親父さんだろう。娘も叔父も、罪を犯したにすぎない。咎めは受けるかもしれないけれど、傷つくとは違うはずだ。


「父親、ですか?」


「正解。でもな、親父さんを傷つけたのは自分自身の不甲斐なさだ」


「……?」


 ボーさんの言っている意味がわからず首を傾げる。不甲斐ない?娘が満足できるまでお小遣いを渡せなかったからとか?


「娘さんの金の使い道のほとんどは大学の授業料だったよ」


「授業料……」


 俺もいっぱしの大学生なので、半年に一回は耳にするし、その度に憂鬱になる。正直、高すぎるとは思う。年間百万円近く。訳もなくこの金額を四年間払える家庭は少ない。俺の家だってそうだ。だから、ほとんどの学生は奨学金を借りている。字面は良いが、要は借金。確かに、借り受けるのには少しばかりの抵抗はあるがそれでも、


「奨学金を借りればよかったんじゃないですか?確かに手続きは面倒くさいですけど」それでも、大半の学生が借りている。難しいことではない。


 ボーさんは深く吸った煙を長く吐き出し、紫煙が消えゆくのを待った。


「その親子の家庭な、昔はひどく貧乏だった。借金取りが毎日押しかけてきて、食べ物と寝る場所が辛うじてあるだけ。そんな幼少期があったからだろうな、娘さんはお金を借りると言う行為に拒否反応を覚えてしまったのかもしれない」


「……」


「親父さん言ってたよ。自分が辛い思いさせたばかりにって。亡くなった奥さんも働きづめだったらしいしな。だったら、」


「だったら、できるだけ楽にお金を稼ぐ方法に手を出しても仕方がない……?」


 俺の言葉にボーさんは煙を被せる。


「働いて稼いだ金に貴賤なし、だ。人道を踏み外さない限り、金は汚れない」


「援助交際は汚れていないんですか?」


「お前はどう思う?」


 なんだか妙な話になったな……。ただの楽しい旅行のはずだったのに。まあ、この

人と話をするのは嫌じゃないからいいけど。どうせ、ずっとこの人と一緒なのだ。話題は多いほうが助かる。


 援助交際。援交。ネットスラングで円光なんて書かれているのも見たことがある。何を切り口に考えよう。


 どこまで自身の身体を差し出すかにもよるが、所謂本番まで行っていたとしたら。身体を重ねるって、楽なことだったっけ?腰を振るのも、股を開くことも、欲望によって行われる行為だっただろうか。忘れかけている情熱を掘り起こしてみる。そう、情熱があったはずだ。他にももっと、素敵だと呼べるものが介在していたはず。少なくとも、安いものじゃない。身体が資本だと言うならば、その値を決めるのは当人だ。娘さんが幾らの値を設定していたのか知らないが、最初の値段設定の際はきっと勇気を振り絞ったはず。人の人生に値をつけることは、人道の中に存在した行為なのか。そして、俺にそんなことができるだろうか。


「汚れているかどうかわかりませんが、俺には無理だと思いました」


「そりゃあお前には無理だろ。お前で良いっていうやつはとんだ物好きだ」


 さっきまでの真面目なボーさんはどこへやら。俺の回答に半目を向けている。なんだそのバカを見るような目は!


「いますよ!この世に一人ぐらいは!あー、どこにいるんだろうなあー!」言って、なんだか悲しくなってきた。ボーさんも憐れんだ目になって見てくるし。目だけで表情豊かだなこの人。イケメンだからズルいぞ。俺が女だったらイチコロだったかもしれない。まあ、俺の恋愛対象は女の人のみですけどね。


「まあ、その、なんだ。すまなかった」


「う、うるせー!可哀想な風に言うな!一番傷つくぞ!」


 下を向いていたら海が崩れていきそうだし、上を向いたら空が万華鏡みたいにバラバラになっていく。泣かないぞ。泣いたら負けだ。


 とりあえず落ちかけた涙を引っ込めるためジャンプを繰り返す。大丈夫、悲しくはない。現実を受け止めろー俺。


「で、結局何の話でしたっけ?」


「切り替え速いな」


「唯一の長所なので」


「自分で言うな。まあいいや。SNSアカウントの特定だったな」


「なんだか、ボーさんのネットストーキング講座から社会問題に発展しかけましたね。高尚な話にすれば許されるとでも?」


「お前……!」


 何か言いたげなボーさんは、やがてため息をついて、


「教えた身で言うのもなんだが、絶対知り合いのアカウント探そうとか思うなよ。悲しくなるから」


「嫌だなあ、そんなのやりませんよ気持ち悪い。あ、ボーさんは経験済みですか?初恋の人のアカウント見つけて覗いてみたら、結婚して子どもまでいて。自分の惨めな独身人生と比べて悲しくなっちゃったやつですか?いやー、ボーさんの周りカップルばかりですもんね!独り身なのボーさんだけですし!」


 ぶん殴られた。


「簡単に殴りやがって!だから独り身なんだよ!」


「うるせー、殴るぞ」


 肩をどつかれた。俺達ルールで肩パンは殴る範疇に入らないので、俺からも一発。


「俺は俺の意思で独りなんだよ。ほっとけ」



「なんですかそれ。椿ちゃんも一、二年前に卒業したようなこと言って」椿ちゃんと

は元厨二病の娘だ。今は少し落ち着いて、暴走気味の彼氏とよろしくやってる。この二人も本来ならフェリーに乗っているはずだが、見事にインフルエンザだ。お熱いことで。


「あれと一緒にするな。俺は──」


 と、ボーさんが人生プランを語り始めた瞬間、船が大きく揺らめいた。

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