心の行方

まゆし

心の模様

 1


 あぁ、もう限界だ。


 何度そう思ったことだろう。


 時にはカッターを見つめて、それから自分の手首を見て。

 時にはベルトを見つめて、それからどこに引っ掛けるか見て。

 時には処方薬を見つめて、それから全部飲み干せるかを見て。


 けれども、いつも何でも見ているだけで、じっと見つめることに飽きてゴロリと寝転ぶんだ。


 俺の手首は傷無くきれいなものだったし、首もとだって引っ掻いた後すらもなく、薬も日数分きちんと減っていく。


 あぁ、もう限界だ。


 でも、知っているんだ。限界だと、勝手に決めつけているだけで。本当の限界など知らないことも。

 自分の世界が、ちっぽけで『井の中の蛙、大海を知らず』という言葉が俺にはぴったりだ。


 それでも俺はこのちっぽけな世界に存在することで満足だ。

 友達といえる友達もいないが、別に構わない。

 感情はいつしか無くなった気がする。

 人形のように、目を見開き、ただ居る。

 独り暮らしの家の中とコンビニへ外にでるぐらいで、たまに病院へ行く。


 毎日、時間が過ぎることをただただ待つんだ。

 社会不適合者とは、俺の為にある言葉だと思う。


 2


「脇坂、アイツ、死んだんだってよ」


 小学校時代に同じクラスだったヤツだ。


「自殺だって」

「嫁は育児放棄で遊び歩いてたって」

「嫁の金遣いも荒らくて悩んでたらしいぜ」

「子供居るんでしょ、どうなるの」

「育児放棄したくらいだもんね……かわいそう」


 なんとなく登録していたSNS。

 脇坂のことがきっかけで、SNSのグループを誰かが作って、わらわらと人が集まり話し始めた。


 別に思い出らしい思い出などもない。

 ただ、好きか嫌いかでいえば、嫌いだ。

 確かに見た目はまぁまぁ良かったし頭も悪くないし運動もできるが、性格はお世辞にも良いとは言えない。人の傷に塩を塗ることや、楊枝でほじくりかえすような性格だった。


 ところがだ。

 そんなヤツですら、こぞって皆憐れむわけで。


 お前らも、アイツの上から目線や性格に辟易していたくせにな。よくもまぁ、あんなに哀しみと優しい気遣う言葉がでてくるもんだよ。


 俺は肩肘ついて、俺のちっぽけな世界からその様子を眺めていた。大変だったろうな、苦しかったろうな、辛かっただろうな……そんな気持ちすら、湧かなかった。


 3


 その日の私はたいそう迷惑な一日を過ごした。


 朝早くにスマホが震え、出たくなかったがあまりにしつこいので、仕方なく出る。

「さやか!よかった、出てくれて!ねぇユウちゃんの、お友達の連絡先知らない?」と、母の声は焦りで早口だ。


「突然、なんなのよ」

 全く朝っぱらからなんなのよ。舌打ちでもしてやりたい。

「ユウちゃん!自殺しちゃって!ユウちゃんのお母さん、大変そうで……!ユウちゃんの友達と連絡が取りたいんだって!」


「は?」

 目が覚めた。


 ユウちゃん、こと、脇坂勇也。両親の仲が良いので、私の両親は彼のことを、ユウちゃんと呼んでいた。

 私は彼が苦手で話をしたくもなかったし、我関せずを貫いていた。小学校では隣のクラスだった、それだけは覚えてる。


「わかった、調べてみる」と、二つ返事ですぐに電話を切った。確か、脇坂の友人をSNSで見かけた気がする……友達の友達から辿り、至急連絡がほしいとメッセージを送る。

 出勤する時間になっても、返事はない。もう二時間近く経つ。


 何が私を動かしたのかはわからなかった。

 でも、必死だった。友達のマミにメッセージを送る。脇坂と仲の良かった彼と連絡が取りたいと。その連絡が取りたい理由も。


 マミの返事は早かった。

「繋がりやすい連絡先知ってる!連絡してみる!」

「お願い!」

 もう、会社の最寄り駅に着く。


 脇坂のことを思い出す。ひとつとして良い思い出などない。あぁ、共通の知人の結婚式の二次会でニヤニヤしながら嫌味を言われたな。私はひっぱたいてやりたい衝動を抑え、にっこり笑ってそれを流したものだ。


 でも、それが最後に交わした会話だったな。

 でも、だからといって何も感じはしなかった。


 そして、昼休み前になるかという頃に母から「お友達と連絡がついたって!さやか、ありがとね!」

 私のところに来た連絡はそれだけで、脇坂の友人からメッセージの返事はなかった。

 類は友を呼ぶのか?失礼極まりない、あの友人も。


 少々不快になり、キーボードを強めに叩いた。

 あぁ、舌打ちしてやりたい。


 4


 俺は重い足を引きずり、脇坂のお別れに行くところだ。

 すぐ後ろから、コツンコツンと靴の音がして、のろのろと歩く俺を追い越す。


 追い抜かれる時にふと足音の主を見る。一瞬。

 見かけたことがある気がしたが、思い出すことすら面倒で後ろ姿を何の気なしに眺める。

 喪服に低めの黒いパンプス。明るめの髪がゆれる。

 その様子は気だるげだ。


 歩く距離はなぜか縮まらない。

 少しずつ、彼女が歩く早さを緩やかにしたようだ。


「行きたくないな」


 その背中が言っているように見えた。


「俺もだよ」


 心の中で答える。


 ついに、葬儀場に着くと隣にいた。

 改めて、そっと気付かれないように見る。


 あぁ、さやちゃん、だ。

 学年で人気がある女子、三本指に入っていた子だ。

 そういや、俺も好きだったな。


 でも、隣のクラスだったはずだ。中学校も私立の女子校へ行ったから、関わりなんてないんじゃないか。もしかして、昔付き合ってたのかな。

 ま、俺にはもう関係ない話だ。


「……あ、もしかして……橋本くん?」

 突然、さやちゃん、が隣に立っていた俺を見て言った。名前を覚えてられていたこと、忘れられてなかったこと、なんだか訳もわからなくなり「うん」と返事するのが精一杯だった。

 さやちゃんの名字は、なんだったか思い出せない。


「せっかくだから、一緒にお別れしよ」と、さやちゃんは言った。

「いいよ」と答える。


 俺とさやちゃんは、脇坂にお別れをした。

 俺もさやちゃんも、無表情だ。


 だが、さやちゃんは、脇坂の母親に何かお礼を言われていた。「いいえ、少しでもお役に立てて良かったです」と言ったが、その声は涙をこらえた声でもなく無機質ともとれる声だった。


 5


 特に分かれて帰る理由もなく、二人で帰り道を歩く。

「両親同士が仲良くてね」と、さやちゃんは話し出した。母親に、脇坂の母から彼の友人と連絡がとれるようにしてほしいと頼まれたことも。

 なんだ、付き合ってたわけじゃないのか。何故かほっとした自分が間違いなくいた。


「私、嫌いだったなぁ、アイツのこと」

「脇坂のこと?」

「今、アイツって言えるの、脇坂以外にいる?」

 さやちゃんが笑った。


「でも……私、あんなに人の心に、ずかずか土足で入ってきて汚して帰る人が亡くなるなんて、思わなかったな」

 それは同感だ。


「言えなかったんだね。そんな風にしてたから」

 それも同感だ。


「……すげぇ勇気とか覚悟があったんだろうな」と俺は下を向いて、言った。

 突然さやちゃんは立ち止まり、真っ直ぐ俺を見た。


「その、勇気と覚悟はさ、もっと別のところに向けられないのかな」


 まるで、俺の全てを見透かされているようなそんな感覚に陥る。俺には、自分の一番大切な鎖を絶ちきる勇気もなかったし、何の目標もなければ覚悟もなんてものも持ち合わせていない。


 何も答えられない。

 さやちゃんが、俺を見ている。


 黙り込む俺に、さやちゃんはそっと近づいてきて。


「ね。飲みにでも、行こうよ」

「いまから?」

「うん。忙しかったり、する?」

「いいや、全然」

「じゃ、決まり!」


 さやちゃんと、並んで歩く。


 酔った勢いも悪くはないけど……と、さやちゃんは前置きをして

「私、橋本くんのこと……ずっと好きだったんだよ!」

 と、恥ずかしそうにちゃかすように、昔と変わらない独特な鼻にかかった声で言う。


 有名な歌の歌詞じゃないか、それ。


「ははっ!」俺は無意識に笑った。


 いつぶりかな、笑ったのは。

 いつぶりかな、喜びの気持ち。

 いつぶりかな、勇気出すのは。


「俺も、ずっと好きだったんだよ!」


 それから、歩きながら自分の今を打ち明けて。

 さやちゃんは、黙って俺の手をそっと握った。

 俺は、おずおずと握りかえしてみる。

 さやちゃんは、握りかえした俺の手をぎゅっと握った。

 なんか、安心したんだ。俺は俺の世界から一歩踏み出した。


 俺は「脇坂、お疲れ様。お前、がんばったんだよな。精一杯、限界までがんばったんだよな。苦しかったよな」と思った。

 やっと、気が付いた。

 俺は、アイツの気持ちを少なからず理解できたはずだったんだ。

 カッター、ベルト、薬をじっと眺めた時間。

「脇坂、お前すげぇよ」そう思った時。


「脇坂、がんばったね。すごいね」

 手を繋いだまま空を見上げて、さやちゃんが呟いた。その目は少し潤んでいる。

「すごいよな。がんばったよな」

 俺は、同じように空を見上げて呟く。


 映画のワンシーンのように、さやちゃんの頬に涙がつたった。

 そして俺も、鼻をすすった。


 二人で手を繋ぎながら、この先の未来の話をする。


 少し緊張した。

「これから先、一緒にいてくれないかな」

 と、告白するも……ダメだ、我ながら情けない。


 さやちゃんは、穏やかな笑顔でキザに言った。

「俺と、付き合わないか?」

 これでは、どちらがどっちか男かわからないではないか。


 でもいいんだ。

 また君と会えたんだ。悲しい再会だったけどさ。

 アイツに負けてなるものか。もう、勝ち逃げ去れた気持ちもあったが。


「よろしくお願いします」


 俺は、照れながら笑って返事した。

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