第一話 平穏是又日常也#3
領都『コンコルディア・ロクス』は辺境領唯一の城塞都市で、一般的に『辺境』と言えばこの街のことを指す。
他にもたくさんの開拓村があって、中には町と呼べるほどの規模を持つ所もあったりする。
だけど立派な城壁に囲まれている領都と比べ、その手の場所はせいぜい木製の防柵か人の背丈程の高さに石レンガを積み上げた粗末な壁で、お世辞にも安全だとは言えないのが実情。
となれば人も物もこの場所に集中するのが当たり前で、魔族との交易をほぼ独占していることもあって、『王国』随一の商業都市『コメルキウス・コンユンクティオ』に迫る賑わいを見せているという話。
なので、メインストリートを歩けば大抵の品物が売ってある。商業都市との大きな差は、店舗よりも屋台や露天商が多いってことぐらい。
商業都市には仕事で一度行ってみたことがあるけど、通りに沿って様々な商店が立ち並ぶ光景は圧巻の一言。
この都市で買えない物は何一つない、と豪語されているのも良く分かる、
とはいえわたしのような田舎者には敷居が高くて、なんとも気後れしてしまう。
屋台慣れしている身としては、軽食一つでさえ店舗内に入る必要があるのは慣れないというかなんというか……向こうはサービスのつもりなのだろうけど、店員さんが一々丁寧にお勧め商品を紹介してくれるのも結構キツイ。
自他共に認める一般人としては、買い物なんて「あれとそれとこれちょうだい! お代はこれで!」とさっくり済ませてしまいたい。
お勧めされても必要ない物は買わないし、店員さんだって時間を割いた挙げ句に無駄な労力を払わされただけに終わるんだから、どっちから見ても損にしかなってないような気がする。
サービスの良さをアピールできる意味があるってのはわかるんだけどね……あの街、競争が激しすぎて値段ぐらいじゃアピールにならないからなぁ……。
わたしとしては、呑気に商品を眺めていたら『買う気が無いならあっちに行きな!』って怒鳴られちゃう領都のほうが性に合うんだけど。
お上品さよりも活気……という発想自体がいかにも辺境らしいと言えば、そうかもしれない。
そんな領都でも、例外というものはやはり存在する。それは――。
「人通りの多い商店街での買い食いも良いものだと思いますけど」
領都の中でも比較的人通りの落ち着いた一角。どこか商業都市の一角を思わせる場所にある店。
「やっぱり腰を落ち着けて、ゆっくりするのも悪くないですよねー」
小洒落た喫茶店の中で、アカリさんが大きく背伸び。
そう、喫茶店。
この手の店だけはどこに行っても大きくは変わらない。立ち食いが似合うジャンルでもないし、ベンチを探してもいいけど都合よく空いているとは限らないし。
「そーだねー」
大きく背伸びしながら答えるわたし。
窓際近くの席は日差しが強くて人の姿は少ない。奥のカウンター側の方に人が集まっている。
ちょっとした貸し切り気分?
……本当はアカリさんが珍しいというか、魔族にどう反応して良いのかわからず遠巻きにしているんだろうけど。
探索者や商人等の関係者ならもう慣れっこの魔族だけど、一般人からすればまだまだ得体の知れない異邦人なのだろう。
まぁ、魔族の人って基本的に一般の人と積極的に関わろうとしないことが多いので、相互理解が進まないのは仕方なし。
どちらかと言えば、アイカさんやアカリさんの方が珍しいタイプだ。
「やー、人族のお菓子って、見た目のバリエーション多くて楽しいですよねー」
紅茶とセットで頼んだショートケーキを楽しそうに頬張っている。
こういう所を見ると、どうしても戯れてる子犬が思い浮かんじゃう。本人は言えないけどね!
「………」
カウンター側にいる人がなにやらヒソヒソと話している。
時折こちらに視線を向けているところを見るに、絶対に聞いて気持ち良い話ではないんだろうなぁ。
「ふんふんふん~♪」
だけど周りの目なんかまったく気にならない様子のアカリさん。
わたしが気付いているんだから彼女だって気付いてないハズはないんだけどね。
結局は他人の目なんて気にしない――こういう所はやっぱり彼女も魔族なんだなぁ……と思う。
「魔族のお菓子も別に悪くないんですけど、色合いが地味というかなんといいますか」
こちらで見かける魔族のお菓子と言えば饅頭とか羊羹とか……あとは団子、とか? 言われてみれば白やら黒やら茶色やらが多くて皆似たような色をしている、ような気がする。
もちろん全種類を知っているワケじゃないから他の色だってあるとは思うけど、当事者であるアカリさんがボヤいているのだから、そうなのだろう。
とはいえ、あれはあれで美味しいと思うんだけどなぁ。こっちのケーキとかクッキーとかみたいなお菓子に負けるものではないと思うんだけど。
「まぁ、隣の芝生は青く見えるって、奴ですけどね!」
……自分で言っちゃうかなー、それ。ボケ潰しは良くないと思います!
「にしても、この紅茶ってやつ。地元のお茶に似てて良いですねー」
屈託ない笑顔で続けるアカリさん。
「これが、元は緑茶と同じ葉っぱだって言うんだからびっくりですよ!」
そう言えばそんな話を聞いたことがある。専門的なことは知らないけど、人族も魔族も同じ葉っぱを使っているってのは面白い。
「アイカさんは紅茶よりも、珈琲のほうが好みっぽいよね」
カップを傾けながらアイカさんのティータイムを思い返す。他の人がいる時はともかく、アイカさん一人の時は必ず珈琲を飲んでいる。
「ライラさんが腕の振るい甲斐が無いってぼやいてたし」
メイドとしてのライラさんは紅茶の入れ方に一家言ある人らしいんだけど、アイカさんは全く興味なし。
ちなみにレティシアさんは紅茶党の人なんだけど、研究やらなんやらで部屋にこもっていることも多くてティータイムに顔を合わせることは少ない。
うん。今度じっくり紅茶を淹れさせてあげよう。
「あー、うん。そうかもー」
うんうんと頷くアカリさん。
「アイカお姉さま、あまりお茶好きってほどでもなかったですし、飲むときも緑茶よりは麦茶ってタイプでしたからねー」
「麦茶?」
「麦茶ってのは茶葉じゃなくて、大麦を煎じて煮出したり水出ししたりして作った飲み物のことです」
首をかしげたわたしに、アカリさんが解説してくれる。
「材料に茶葉が一切含まれないので、厳密にはお茶モドキなんですけどねー」
なるほど。豆を煮出して淹れる珈琲は、その麦茶とやらに似ているかもしれない。いやまぁ、珈琲豆と大麦は根本的に違う物だから味も全然違うだろうけど。
でもこういうものって最終的には気分の問題が大きいし、本人がそれで良いなら問題ナシ!
あー、それにしても結構美味しいかも、ここのケーキ。通りすがりに見つけた初見の店だったけど、結構当たりだったかも。
屋敷の皆にお土産でも買って帰ろうかな?
「ところで前から一つ聞きたかったんですけど」
「なんでしょう?」
などと考え事をしていたわたしに、アカリさんが質問を投げかけてきた。
「どうしたらエリザさんぐらい、アイカお姉さまと仲良くできるんでしょうか!」
あー、うん。え~っと……?
「……はい?」
とりあえず何かの聞き間違いに違いない。ここはもう一度聞き直しておくべき。
「やー、エリザさんとアイカお姉さま。毎晩嫉妬の涙で枕を濡らしてしまいそうなぐらい仲が良いじゃないですか!」
残念なことに、聞き間違いではありませんでした。
「付き合いの長さだけで言えば、アカリはエリザさんよりも大分長いんですけど、湯浴みを一緒にさせてもらったことなんて、一度もないんですよ!」
えっと。その。個人的には望んでというより引っ張り込まれていると言った方が現状に即していると思うんです。
いやその。決してアイカさんとの入浴が嫌だなんて言う気はないんですけど、その……入浴の度に見せつけられてしまうんですよ、あの立派な二連山。
そこまで大きくなる願望があるわけじゃないですけど、やっぱり思うことがないワケじゃないです!
あ、いや。こっそり揉んだりしたらご利益あるんじゃないかとか思ったりはしてませんよ? ホントデスヨ?
「ならばとこっそり寝所に忍び込んでもきっちりと見つけられて、部屋からポイされちゃいますし」
プンプンなんて効果音が聞こえてきそうなジェスチャーで主張するアカリさん。
なんとなく『ね、酷いでしょう?』って同意を求められているような気がするけど、それ、普通にストーキングって言われても文句言えないと思うんですけど。
「せめて天井から寝ているご尊顔を拝もうと潜んでたら、天板ごと思いっきり槍で突かれましたからねー」
訂正。思われるんじゃなくて、立派にストーカーです。魔族では知りませんが、人族の社会では立派に犯罪者です。
にしても槍で突き刺すって。天井に曲者が潜んでいる時の対応としては正しいのかもしれないけど。
というか、潜んでいるのがアカリさんだと知ってても遠慮しなかったろうなぁ……本当に容赦ないなぁ。アイカさん。
「やー。アカリじゃなかったら死んでましたよ、アレ」
失敗失敗エヘヘ。みたいな顔して言うことじゃないと思うんですけど、それ!
「というワケで、なんとしてもアイカお姉さまに可愛がって欲しいアカリとしましては、是非とも! 是非ともご先達のエリザさんからご助言を頂きたい! と思うわけですよ!」
ズイッと身体を乗り出し、思いっきり顔を近づけてくるアカリさん。
「教えてもらえるなら何でも――はしませんけど、できることはしますから!」
えっと、顔! 近い! 近い!
「と、ともかく一旦落ち着きましょ?」
すごく必死だということは良くわかるけど、その、そんなに顔を近づけられると落ち着いて話せません!
「あ、ゴメンなさーい」
わたしが焦っているの気がついたのか、ペロッと舌を出しつつ乗り出した体を戻すアカリさん。
「つい興奮しちゃいました。武士たるもの常に平常心であれ、とは教えられているんですけど、アイカお姉さまのことになるとどうにも」
アカリさん、アイカさん好き過ぎる問題。
(う~ん)
正直言えばアカリさんは可愛いし、思い込みは強そうだけど、決して悪い子じゃない。
そんな子にここまで慕われるのは、アイカさんさんだって悪い気はしていないだろう。
(……可愛い子には悪戯したい、とか?)
うん。やめよう。本人の知らない所で勝手に変な性癖付けするのは良くない。
「アイカさんと仲良くできる方法と言われても……」
正直、特に積極的になにかした覚えって無いんだよなぁ……一方的に仲良くなったというか、懐かれたというか……。
そもそものきっかけと言えば――。
「えーっと……餌付け?」
最初にアイカさんと出会った時……そういえば、お腹をすかせて行き倒れていたっけ。
手持ちの携帯食を丸っと平らげられてドン引きしたのも、今となっては懐かしい思い出。
「ぷぷぷぷ」
わたしの返事に肩を震わせるアカリさん。もしかして爆笑したいのを抑えている?
「餌付け……餌付けって……」
心底面白そうな口調。というか、笑いすぎて涙でてますよ。
「これは灯台下暗しでした! アイカお姉さまは買い食いがとっても大好きですからねー。そっかー。その手があったか……!」
心底納得言ったとばかりにうんうん頷いているアカリさん。
これは……ひょっとして余計な入れ知恵をしてしまったのかも。
アカリさん、意外と――いや、見た目通り? 限度を知らないタイプだから、両手に山程の食べ物持ってアイカさんの元へと突撃しかねない。
『余を豚にでもする気かーっ!』
とか言って激怒するアイカさんの姿が容易に想像できちゃう。
ホント、ごめんなさい。今のうちに心内で謝っておきますので、セクハラ紛いのお仕置きは勘弁してください。
本人は愛でてるつもりかも知れませんが、毎度毎度精神共に疲れ果てるわたしの身にもなって。
(あー、いやでも、普段から大食いなのに全然太る気配ないしなぁ……アイカさん)
アカリさんがどれだけ食べ物を持ってきてもアイカさんなら完食しちゃって、問題なんかおきなさそう。
『余は満足じゃ!』
とか言って逆にアカリさんを褒めたりして。
あ、なんだか悔しくなってきた。わたしなんて今のスタイル維持するのに、随分と気を使っているのに。
好きなだけ飲み食いできるなんて、なんて羨ましい……。
「ユリヅキ様の巫女をやってた時は、あまり飲み食いはしてませんでしたからねー。思う存分飲み食いできる様になったからには遠慮無しと……流石はアイカお姉さま!」
何が流石なのかはわからないけど、突然の新情報。
アイカさんって、魔王の前は巫女さんやってたんだ。あ、でも。
「確か、巫女さんって相当に厳しいしきたりがあるって聞いたことが……」
「そうなんですよ! 修行時代は相当苦労したらしいです」
う~ん。今のアイカさんしか知らないからアレなんだけど、アイカさんが誰かに仕えているというのは想像し辛いなぁ……誰かを従える姿ならすぐに思い浮かぶけど。
あ、でも。巫女さん装束のアイカさんは全然アリだと思います! 絵姿が手に入るなら言い値を払ってしまいそうなぐらいには!
「なにしろアイカお姉さま、ユリヅキ様ガチ勢でしたからねー。それはもう、猫を百匹ぐらい被ってお勤め果たしてましたよ」
むむむ。それは是非とも見てみたかった。今の唯我独尊を地でゆくアイカさんも良いけど、お淑やかに振る舞う姿って想像するだけでも……イイ。
「お淑やかに振る舞うアイカお姉さまってのも良かったですけど、それでもたまにオーラが漏れ出てたりしてたのは最高でした!」
あ、その辺はやっぱりアイカさんなんだ。
あの強者オーラ。猫被ったぐらいじゃ隠し切るのって難しそうだからなぁ。
「その上、アイカお姉さま。お側仕えの巫女だったから剣術なんて本来必要ないんですけど、『最後の瞬間には醜の御楯となりてユリヅキ様をお守りせねばならない』とか言って剣の修行に打ち込みだして、あれよあれよという間に魔族最強の一角まで登りつめたんですよー」
なるほどー。アイカさんの強さって、そんな時から培われていたのか。
『好きこそものの上手なれ』って魔族の諺があるけど、まさにそれを体現化してたんだ。
「まぁ、師匠役が当時魔王様でしたお姉さまのお父様でしたから、強くなって当たり前ではあるんですけど」
しかも魔王様の娘さん。そりゃ、強いワケですよねー。
「ところで……『醜の御楯』ってなんでしょ?」
「シ、シコノミタテ……?」
いや、それをわたしに聞かれても困るんですけど。
魔族の言い回しとかしきたりを、人族のわたしが知っているとお思いで?
「まぁ、いいです。それでユリヅキ様をお守りする戦巫女の長、リューイレン様が『職分を犯すな』とか恐れ知らずにも言いがかりを付けて来ましたけど、御前試合でアイカお姉さまに散々に叩きのめされちゃって、いやー、ちょっとした騒ぎでした!」
戦巫女ってのは初めて聞く単語だけど、言葉の響きからして社の守護とか主人の護衛をする役目の巫女さんだろう。
それに対して側仕えってのは、身の回りの世話をする役目のことだろうから……まぁ、リューイレンとか言う人の主張もなんとなくわかる。
まして戦を本職にする人が、そうでないアイカさんに負けたとなると……うん。
立場とかプライドとか、まぁ、色々と大変だったろうなぁ。ましてやアイカさん。そういったものに特別こだわりを持つようなタイプじゃないし。
「そ、そう言えば」
とりあえず話題を変えよう。顔も見たことのない見知らぬ他人だけど、だからこそ本人の知らないところで話だけを聞かされたのでは、わたしとしてもいたたまれない。
「アカリさん、今日はわたしに構ってくれてますけど、アイカさんに頼まれでもしましたか?」
わたしとアカリさんは特に険悪な関係ってことはない、無関心というほどでもないけど、だからといってせっかくの休日を潰すまで仲が良いかと言われるとそれはまた別の話だし。
「え? 特にそんな頼まれごとはしてませんよ?」
キョトンとした表情で答えるアカリさん。
「単純にアカリがエリザさんとの友好を深めたかっただけですよー。こんな機会でもないと、アイカお姉さまがエリザさんを離してくれませんしー」
いや、そこまで束縛強くないですよ、アイカさん。実際、ここ数日はクリスさんと絡んでわたしとは別行動だし。レティシアさんと出かけてることも多いし。お風呂と就寝が待っている夕方以降はともかく。
あれ……強く、ない、よね?
「えっと。友好を深めてくれるのはいいんですけど、別にアイカさんがいる時でもよかったのでは?」
これ以上は考えないことにしよう。
「んー。それも悪くないんですけど。なんか、ちょっと違うかなーって。もっとこう、個人的に仲良くなりたいといいますかー」
わたしの言葉に、ちょっと困ったような表情を浮かべるアカリさん。
「いっぱい恩だってありますしね。不肖、このアカリ。財布は忘れても恩義は忘れないのです!」
などと言いつつエヘンと胸をそらしてみせる。
いや、財布は忘れちゃだめでしょう……今日も忘れてないよね? ってさっき鍛冶屋でお金使ってたからそれはないか。
「えっと、恩だなんて……そんな大層なこと、気のせいじゃないかな?」
なんとなく多少の手助けとかした記憶はあるんだけど、恩に着られるほどなにかした覚えはないというかなんというか。
(……う~ん?)
いや、本当に心当たりないんですけど??
「え? だって以前にレティ姉と一緒にアイカお姉さま入浴襲撃した時、放り投げられて籠に嵌ったアカリを最初に助けてくれたのエリザさんじゃないですか!」
そんなわたしの様子に、アカリさんが驚いたように言う。
「屋敷でも食事は雑草粥になるところだったし、寝具も藁じきだけになるところでしたけど、全部エリザさんがとりなしてくれましたし! 足軽時代の地獄の特訓生活再びってところを助けてもらったんです!」
あー、うん。そんなこともあったっけ?
アイカさんがお怒りなのはわかるんだけど、流石に歳頃のお嬢様の生活が昔のわたし以下というのはどうにもこうにも。
そんな悪食を続けてたら身体に悪影響がでるかもしれないし。健やかな成長にはちゃんとした栄養が必要なのです。
でないと、わたしのような貧相な体付きに……ううぅ……。
「エリザさんにとっては、覚えておく必要もない普通ってことですね! やー、これはもう慈愛の女神様ってところですよ!」
「あ、いやその。単にほっとけなかっただけでそこまで大層な意味は――」
それになんていうか、彼女。実に子犬系? な可愛さがあって放っておけない気持ちになるというかなんというか。ワフワフ。
「そうだ! 今度からエリ姉さまって呼んでいいですか!」
そんなわたしの葛藤などお構いなしに次から次へと放り込まれる爆弾発言。
「……今までどおり『エリザさん』、でお願いします」
えっと、確かアカリさんって十七歳ぐらいでしたっけ? 確かにわたしの方が歳上だけど、その言い方には、何か別の意味が込められているように聞こえちゃうから!
「そーですかー。まぁ、エリザさんがそう言うならそういうことにします!」
案外あっさりと身を引いてくれた。ホッとしたような、ちょっと残念だったような。
いやいや。わたしにお姉さまなんて呼ばれる趣味はない……ハズ。
「あ! そうだ!!」
しかし、アカリさんのターンはまだまだ終わらない。
「いつもアイカお姉さまとイチャイチャしているエリザさんとアカリがイチャイチャすれば、これは間接イチャイチャということになるのでは?!」
なるのでは、じゃなくて。
「あの、その考えは流石におかしい──」
心底良いアイデアを思いついたと言わんばかりに両手を叩くアカリさん。
わたしの話なんて聞いちゃいない。
「アイカお姉さま、いつも言ってますし! エリザさんやわっこくて良い匂いがするとか!!」
やーめーてー。
ここ、外。しかもお店の中。近くに人は居ないけど、お客さんゼロじゃないから!
っていうか、ホラ! 向こうの人達、ヒソヒソ話をやめて興味津々にこちらを見てるから!!
「手始めに、今度一緒にお風呂で洗いっこしましょう! 上から下までじっくり隅々まで!」
そんなわたしの願いも虚しく、アカリさんはまくしたてる。
「エリザさんの髪の毛って意外とツヤツヤしてますよね。ここも念入りに洗っちゃいましょう! アカリの髪の毛はちょっとゴワゴワしてるかも知れませんけど、そこはご勘弁!」
「あの」
「あと、寝る時も一緒のベッドに――あっと、アカリは外でキャンプ生活中ですから、これは無理ですね! う~ん。仕方ないので寝る前と起きがけにハグしましょう! ハグ!!」
「いやその」
「うひ~! 想像してたらアカリ、なんだか涎でてきそうです!」
歳頃の女の子がそんな言葉を使っては駄目です。というか、目つきも大分怪しくなってきてませんか?
今まで子犬みたいだったのに、猟犬みたいな目つきになってますよ?!
「ちょっと、ちょっと待って。とにかく落ち着きましょ?」
とにかく一旦この話題から離れて欲しい。
それにさっきまであんなに遠くにいた他のお客さんが、随分と近づいてきているような気がするんですけど!!
耳聡いというか、皆さんこういう話題、好きですよね!(泣)
「ハイ! 落ち着きました!」
ピタッと身体を席に戻すアカリさん。
えっと。なんというか切り替えが凄いですね。
「個人的にはエリザさんとイチャイチャするの楽しそうですけど、ご迷惑をおかけしてまですることではありませんし!」
あー、うん。この子、実にいい子だ。
厳しくあたるアイカさんの気持ちが少しだけわかったような気がする。
箱入り娘ってわけではないだろうに、どうすればこれだけ『悪意』とは無縁に生きてゆけるのだろう?
ましてや、死線をくぐり抜けてきた戦士だというのに。
できればこのまま、まっすぐに育って欲しい。
薄汚れた大人予備軍のわたしとしては、切実にそう思います。ハイ。
「あーあ……でも、本来ならこんな小細工。考える必要もなかったんですけどねー」
一段落ついたところで冷めた中身のカップを傾けながら、アカリさんが大きなため息を漏らす。
「ウチのバカ兄貴がトチ狂いさえしなければ、今頃は合法的にアイカ様を『お義姉さん』と呼べてた筈なんですよー」
「合法的に?」
んんん? なんだろう。妙に嫌な予感というか胸騒ぎがする。
というか、アカリさん。お兄さんいたんだ。
「そう、そうなんですよ!」
またもやこちらに身を乗り出してくるアカリさん。
「あの馬鹿兄貴、巫女時代からアイカお姉さまの婚約者だってぇのに、全然婚儀を進めようとしなかったんですよ!」
「はい?」
なんだか凄い単語が聞こえて来ましたよ?
婚約者? 婚約者って魔族領で採れる芋の一種から手間ひまかけて作られる食材のこと?
「その上、アイカお姉さまが魔王になったりでバタバタして話は全然進まないし、というか有耶無耶になってるし……はぁ、まったくお姉さまの何が気に入らないのやら」
アカリさんの言葉がうまく耳に入らない。
そんな話、一度も聞いたことが無かった。
あー、でもアイカさん。美人さんだし地位だってあるんだし、そりゃ婚約者ぐらい居ても不思議はないけど……。
「婚約ってのは家同士の話ですから、今のところ表立ってどうこうという話はないですけど……どう見たって婚約破棄の流れなんですよねぇ」
はぁ。と大きなため息一つ。
「というか、アイカお姉さまを追っかけてくる節もないですし、あのバカ兄貴。自然消滅を狙ったりしてるんじゃないでしょうねー」
「その、アイカさんは婚約をどう思って……?」
ぐるぐるする頭をなんとか落ち着かせつつ、一番気になる点を聞いてみる。
「う~ん。アイカお姉さまの心を推し量るのは難しいのでアレなんですけど、少なくとも嫌がっている様子は無かったと思いますねー」
隠されていた――ってほど深刻な話じゃないとは思う。
特に聞かれたこともないから話題にもならなかっただけで、特に隠しているなんて話でもないのだろう。
そういう意味では、アイカさんの中ではどうでも良い話になっているのかもしれない。
「ウチのミスマル家もお姉さまのクージョー家も古くからの名家で、それなりに人材を輩出してきた家系ですし。まぁまぁ、順当な婚約でしたよ」
難しい顔をしつつ腕組みするアカリさん。
「ただこうして人族領に居て、屋敷まで買っちゃって帰る気配も見せないってことは、心変わりでもあったのか、それとも最初から乗り気じゃなかったのか。難しいところですねー」
そもそもわたし自身、アイカさんに隠していることがあるのだから、『聞いてない!』なんて不満を持てる立場じゃない。立場じゃない……けど。
「そもそもの話として、何かあるならユリヅキ様がお姉さまの出奔を黙ってないでしょうし、とりあえず問題は無いってことなんでしょーねー?」
「………」
「アカリのような下っ端には、お上の考えとか判断は良くわかりません!」
結局の所、なにがどうなっているのか知っているのは当事者達だけ。
飽くまでもわたしは部外者で、それについてどうこう言える立場でも身分でもない。
「っていうか、あのバカ兄貴。実は巫女さんマニアで、アイカお姉さまが魔王になって巫女をやめたから興味を失った――とかいう話だったら、地元に戻った時にドツキ倒してやるんですから!」
「………」
「って、あれ? エリザさん、なんだか先程から言葉少ないですし、顔色も優れないみたいですけど……えっと、食あたりでも!?」
「あ? え? えっと、違う、違うから」
っと、とりあえずは気をしっかり持たないと。アカリさんの誤解でお店にとんでもない迷惑を掛けてしまう。
店で食あたりなんか出たとなったら、評判がガタ落ちに……!
「ちょっと日差しが強くてボウっとしただけだから。大丈夫……うん、大丈夫」
全然大丈夫じゃなかったけど、今はそう答えておくしか無かった。
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