右斜め45度の私

遊月奈喩多

謎に満ちたはじまりの話

 私こと成瀬なるせ吉則よしのりは、通勤中に駅のプラットホームから落とされ、気が付いたら見覚えのない空間にいた。


「え、なんだ、え?」

 まず思ったことは、ここはどこなのかということ。ここから会社まではどのくらいなのだろうか、遅刻の連絡を入れるにしても、どれくらい遅れるのか把握していないと、向こうも私がいない間の手配で苦労してしまうのではないだろうか……? 辺りを見回しても、特に目印になるものも見当たらない。それ以前に、のだ。


 私は駅にいたはずなのに、線路もなければ見慣れた電光掲示板もない。私が立っているのもプラットホームではないし、 そもそも駅自体がない。本当に真っ白の、よくサイコスリラー映画なんかで主人公が目を覚ます監禁部屋に似ているような気がした。

 もちろん、私にはそんな輩に監禁される心当たりなんてないし、一応日本は法治国家でもあり、それなりの監視社会なのだから、警察の目にもつかないまま成人男性を連れ去るなんてことがそうそうできるとも思えない。だから、どうして私がこんなところにいるのか、どんなに考えを巡らせても理解できない。


「だっ、誰か……」

 叫ぼうとした声が、震えてしまう。

 だが、尻込みしている場合ではない――ここは毅然きぜんとしなくては。私は大きく息を吸って、声を張り上げた。


「誰か……っ、誰か、いないのか!? ここはどこで、今はいつで……なんで、俺はここにいるんだ!?」

「あナたハ駅のほームかラ落チて死ンでしマイましタ。こコはドこでモないシ、いマはいツデもあリませン」


 現れたのは、『いあ! いあ!』とでも叫びだしそうな、まさしく異形と呼ぶべきモノだった。全体的な輪郭は人間のそれだった(恐らく喉の機能も人間に近いのだろう)が、その頭はシベリアンハスキーとチンチラを混ぜたようにいびつなもの。

 更にその口元は数えきれないほどの虫が集まったように不定形、目玉はいくつもの人種の人間のものをトンボの複眼のようにひとつの眼窩がんかに詰め込んだような有り様で、しかも詰め込まれたひとつひとつが蠢いていた。

 身体も、まじまじと見つめた瞬間、凄まじい吐き気に襲われてしまった。何故なら、首はアオダイショウやウツボがぬるぬると絡み合って出来ていて、胸はマンチカンやチワワの足や頭を粘土のようにね合わせたもので、腕は調理前の鶏もも肉と合挽き肉、それからタコの吸盤を組み合わせたもの、腹は明らかに何らかの動物の赤子や胎児であろうものをまとめて煮こごりにしたようなものが集められているようだった。

 足に至るまでその生命への冒涜じみた造形は続いていて、未就学児くらいの子どもたちを解体して組み合わせたのだとはっきり告げるように、恐怖に凍った顔や小さくぷっくりとした手足の指がぎされていた。


 全身がおぞましさで塗り固められたようなそいつは、思いの外明るい声で「そシて、コこはアナたの行キ先ヲ決めル『転生安定所』デす!」と声をかけてきた。

「て、転生安定所?」

「はイ、転生安定所でス。近頃、安易ニ転生しタガる方ガ多くナっテイますノで、コういう施設がネ……、必要ナんです……」

 異形の怪物が、少し――いやだいぶ深い溜息をついている。そこには働く男の哀愁が窺えて、なんとなく肩を叩きたくなった(しかしちょうどそこがミーアキャットの上顎だったからやめてしまった)。


「え、ていうか俺死んだの!?」

「そウナんですヨ……災難でシたね」

「災難っていうか、いや、まぁ確かにホームから落ちて電車も来てたし……」


 さすがに死ぬか。

 うぅ、鼻先に何かぶつかったの思い出した、怖いなぁ……。思わず身震いした私に、そいつは優しく声をかけてきた。


「安心シてクダさい! アなたハ運ガイい、今ナらあなタニは“勇者”ノ枠が与エラれまス」

「え……勇者?」

「転生志望者ノ大半がなリタがりマすよね、勇者。世界ヲ救うもノトして《神》と呼ばレる存在かラ特殊ナチからを授かルトか……」


 異世界転生? 勇者?

 え、ここってつまり……そういう? ニート生活10年に突入したという報告を飲み屋で笑いながらしてきた学友がその手のジャンルにハマっていたような気がする。

 そのときに言われた気がするんだ、転生する前にはほぼお約束として必ず女神が登場して、何らかの力と使命を死者に与えて異世界に放り込む――そういう導入なのだとか?


「お前が女神なのか……」

 いや、別に私はそのジャンルにはハマっていなかったし、夢を見ているわけでもなかったが、せめて女神という枠で登場するならもっと、こう……

「そレでは、こレカら簡単な面談ヲ行イます」

「面談?」

「あナタのお話を伺ッテ、どノョうな世界が合ッテいるヵヲ判定しマす。そのタめの転生安定所でスヵら」

「は、はぁ……」

 あれよあれよという間に話は進み、面談をすることになった。おどろおどろしい見た目に反してうちの採用担当もかくやという面接官ぶりを発揮したそいつをどうにか引き抜けないかとか考えていると、「以上デ、面談を終了しマす」と告げられる。


「そレデは、今日かラ早速転生しテイタだくんでスガ、平気でスね?」

「は、はぁ……」

「でハ、善イ旅を! ァ、ハジめに遭遇スる獣は必ず食べテくダサい、今後アナたの旅ヲ助ケてくれマすのデ」

 次の瞬間、私の意識は名残を惜しむ間すらなく闇に沈んで――――



   * * * * * * *


 目が覚めると、そこは見知らぬ森だった。

「‘↓(「〔])~>/’」

「;;‐ ̄ ̄&¨゛」

 しかも、なんと仰ってるかわからない住人に囲まれて。褐色の肌に赤い瞳、妙に長い耳と、およそ私がいた世界とは違うだろう姿をしているものの、さっきまで話していたやつに比べるとかなり人間らしい見た目なので安心感もある。


 獣……は、違うよな……。

 辺りを見回していると、私のすぐ傍に、ウサギみたいな外見の生き物がいた。全体的な見た目はドワーフホトに似ているが、ひたいにもうひとつ短い耳が飛び出ていて、顔の両側にも、黒々とした目が3つずつ付いている。前後の足も毛が生えておらず、やっぱり私の知る動物とは違ったようだ。

 あれを……食べる……?

 人懐っこそうなこの獣を……、少し、いやかなりの抵抗を覚えたが、こんな言葉も通じそうにない異世界で生きていくのなら、やはりやらねばならないのだろう。


「許せ!」

 葛藤を大声で封じ込めながら獣の方を向こうとしたとき――正確には、顔が振り向こうとしたその瞬間だった。

 突然私の顔の右側だけが光ったかと思うと、目の前にはとても美味しそうな肉料理が置かれていた。え、まさかこれ……さっきの? 恐る恐る口にすると、なんだか、私のなかでなにかが変わったような……


「うそ、見た?」

「まさか、あの国ひとつ屠るほどの邪獣を喰らうなんて……」

「しかもあんな、右斜め45°を相手に見せただけで一瞬で……?」

「お告げにあった勇者って、まさか、あいつ?」


 あぁ、旅の助けってそういう……確かに言葉通じるのは助かるしな。それにしても、顔の右斜め45°って言ったか? その意味も含めて、知らなきゃな……。

「あぁ、こんにちは。私は、成瀬吉則と申します……」


 まずは、自己紹介だ!

 私の旅は、ここから始まった。

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右斜め45度の私 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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