境界のコールセンター(仮)
広川志磨
サーバー攻撃(物理)攻防戦と夫婦喧嘩
「うそでしょ…」
「まあ、こういうこともあります」
「米川さんは『技術担当』なのに、なんでこういう体力のいる現場に…」
「万が一、普通の意味での『サーバー攻撃』があれば僕が対処しなければなりませんからねぇ」
「普通の意味での、って…」
ズズン!と軽く横揺れがしたかと思うと、メリメリと何かが剥がれる音が廊下に響いた。
2人の背筋が凍る。
「キタ…」
「サーバー室前まで行きましょう!」
「どうやって」
「こちらへ!抜け穴があるんです」
「抜け穴って、天狗の仕業か」
「そう、その天狗の仕業ですよ。貴女もご存知の」
「偉いほう?」
「ご子息のほうです。ほら、ここ!」
米川が壁の一点を軽く叩いた。
ぐにゃりと歪んだ壁に手を突っ込み、一気に飛び込む。
意識がぐるんと回り、目を開くと上層階のサーバー室前の廊下に出ていた。
「摩耶さん!」
「みづきちゃん!?」
「ひとりで心細かったんですよぉぉ~」
豪奢な金色の髪とサファイアの瞳を持った美女が、摩耶に飛び付いた。
浅葱袴と狩衣と烏帽子という神職装束に身を包んだ彼女は、鼻をすすり上げながらこう続ける。
「ここが最終防衛線なんです。いつもは主査も一緒にいてくださるんですけど、今日は居なくって」
「あ~~~…」
「『今回は摩耶がいるから頼れ。摩耶はオレだから』って」
「アイツめ…」
「昨日の今日」だ。
もったいぶるつもり?
そう摩耶が眉をつり上げた瞬間、サーバー室より遥か遠くの壁が轟音とともに崩れ落ちた。
大きな黒い塊が、ずるりと廊下に這い出す。
「―米川さん、みづきちゃんの結界に入って。私が、というか、あのもったいぶった天狗様になんとかしてもらうから」
「でもここには」
「いるのよ、大丈夫」
「摩耶さん、私が『
「お願い!そんなに強いやつじゃなくていから」
摩耶は黒い塊に向かって走り出した。
同時に結界の中から歌声が聞こえてくる。
センター最高の美声と讃えられるその声は、甘く軽やかに黒い塊をとらえた。
黒い塊は急にスピードを上げて、摩耶に向かってくる。
―引き付けろ、なるべく引き付けて、アイツを叩きつけてやる!
摩耶は急停止した。
墨染めの衣の裾が、大きく揺れる。
そして、口に翡翠で出来た細い呼び笛を咥えた。
「いいか、これでオレを呼べ」と耳元でささやかれた昨日の夜を思い出して、赤面しつつ息を吸い込んで…。
―澄んだ音が高らかに響き渡る。
黒い塊がその音に怯んだ瞬間、強風が廊下に吹きわたった。
強風の先、ひとりの男が悠然とたたずんでいる。
山伏装束に、一本歯の下駄。
長い黒髪を束ねた涼やかな美丈夫が、黒い塊を縛りあげていた。
「待たせたな、ってもうちょい早く呼べ!」
「
「
「助かりました。が、今『奥』って言いましたね?ということは、とうとう」
天狗はニヤリと笑った。
摩耶に歩み寄り、肩を抱く。
「昨日契った」
「れれれれれ、レイにいっ」
「慌てることないだろ。お前が『天狗の嫁』だってことは周知の事実だし、遅かれ早かれホントウになる事実だし?」
「にしたって、あからさまに」
「いいじゃないかよぉ…。オレは20年も待ってたんだぜ?」
「20年『も』って、天狗様には些細な年月でしょうが!」
「だって、言わば『双葉』のころから見てるんだぜ?誰でも『花』が咲くまでドキドキして待つだろうが。手折る瞬間はさすがに覚悟がいったが、素晴らしい夜だった」
「ちょ、そんなあからさまに言わないでっ、人が聞いてるから!」
滝野川
サーバー室前の結界で、セイレーンの末裔の神職と理系
「摩耶さんがとうとう主査と…。見てください、めちゃくちゃラブラブですよ~。あてられて倒れそう、ワタシ。あっ、センターのオペレーターLINEに速報流そ」
「なんだかんだで円く収まるものですね。祝言に呼んでいただけるとありがたい」
嶺心が慌てて結界に駆け寄った。
摩耶もその背中を追いかける。
「鈴置さんストップ!ちゃんとしてから周知するから、今は流さないで!」
「え~?」
「ダメ!あと、ヨネさんも口外無用でお願いします」
「わかりました。ただ、これは言わせてください。『寺の軒先に棲む一族』として、お祝いを申し上げます」
「ああ、米川狸の次期総領殿の
摩耶は嶺心の横顔を見つめていた。
普段のつかみどころがなくてオレ様な感じに「威厳がない」とツッコンではいたが、時々見せる「康陽山の次期山主」の顔は素晴らしい。
まったく、この人は…。
「―ん、どうした、我が『奥』」
「まだそう呼ばないで。正式なものじゃないし」
「照れてるのな?それは照れてるんだな?」
「っ、このっ、男はっ!!」
摩耶の手が嶺心の胸倉を掴んだ。
一瞬ののち、彼女の『旦那』は宙を飛んでいき、黒い塊に衝突する。
その弾みで、黒い塊が小さく小さく収縮して仔犬の形に変化した。
「おい!ちょっと手荒だぞ、摩耶!!」
「丈夫だから、これぐらいじゃ怪我しないでしょ!」
「あら、犬神!かわいい♪」
「あまり年経たモノではないようですね。どうします?」
「滅するか、還すか、保護局に頼むか…。どちらにしても、今回のはコイツの意思ではないだろうな、って、こら!」
己を捕まえようとした天狗の手を逃れ、犬神は摩耶の衣の裾に飛び込んだ。
きゃんきゃん鳴きながら、足元をぐるぐる回っている。
「気に入られちゃった?」
「みたいだな」
「飼っちゃったらどうです?今の
「かわいい~~。写真撮ろ♪」
でも、と迷う摩耶。
「こういう世界」に深く接しているので、「飼う」のはどういうことかはわかっている。
喰われるかもしれないし、人を襲うかもしれない。
「1匹ぐらい眷属がいてもいいんじゃないか?こいつなら、ボディーガードにゃ最適だ」
「いいの?」
「どうぞ。名前を呼んでやれ。やり方はわかるな?」
摩耶は犬神に近づくと、そっと抱き上げた。
見た目は黒い仔犬。
すべての足先と尻尾の先が白い。
キラキラ光る黒い目が、彼女を見上げていた。
「―そなたを眷属とする。名は『
パチン!という音がどこからともなく聞こえ、『黒耀』はきゃん!と返事をした。
「小さなナイトの誕生ですね♪」
「小さなといっても犬神ですからね、怒らせたら怖いですよ…」
「ということで、『奥』よ。ちゃんと役所に申請しとけよ。会社への報告はオレやっとくわ」
「はいはい、って、『奥』というなとあれほど」
「やーもー、照れちゃってかわいいなぁ、奥さんったら、ってイテエ!ナニするんだよ!ノータイムでオレを投げるなっ」
「話を聞かないから!」
ぎゃあぎゃあと続く2人の言い合いに、外野の2人がため息をついた。
「いつも通りの2人ですね…」
「『幼なじみのじゃれあい』が『夫婦喧嘩』に変わったぐらいの変化はありましたけどね」
「―米川さん、報告書どうします?」
「僕が書きますよ。今日のみなさんの残業申請は『米川
米川はYシャツの胸ポケットから小さな葉っぱを取り出すと、それに息を吹き掛けた。
葉っぱがタブレット端末に変化する。
「鈴置さん、証言含めて手伝ってくれますか?」
「はいはーい」
「助かります」
廊下の隅に座り込んだ2人は、早速報告書に取りかかった。
そして、件の「夫婦」はまだ言い合いをしている。
名付けられたばかりの犬神が、困ったようにしきりにくぅんと鳴いていた。
『境界のコールセンター』(仮)
~サーバー攻撃(物理)攻防戦と夫婦喧嘩
境界のコールセンター(仮) 広川志磨 @shima-h
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます