鶴のゆく末

泡野瑤子

1 平成三十(二〇一八)年 八月

鶴は飛ばうとした瞬間、こみ上げてくる水の珠に喉をつらぬかれてしまった。以来仰向いたまま、なんのためにかうなったのだ? と考へてゐる。


――丸山薫「噴水」




 明日、正午過ぎに鶴の噴水で。

 平成最後の夏に届いた葉書には、たったそれだけ書かれていた。これほど流麗な筆文字を書ける人は、いまや日本人でも少ないが、ましてアメリカ人なら尚更だろう。

 彼女からの葉書には消印がない。差出人の名前は片仮名で「テイラー・スウィフト」、云うまでもなく偽名である。彼女はいつも適当なアメリカ人の女性歌手や女優の名前を書いてくる。前回は確か「マリリン・モンロー」であったか。ちょっとした冗談のつもりなのだろうが、率直に云って少しも笑えなかった。

 彼女からの葉書は、決まって私を憂鬱な気分にさせる。会いたくない。私は彼女に恨みがあるのだ。それなのに、私は必ず待ち合わせ場所へ足を運んでしまう。

 ご指定の「鶴の噴水」は、東京都千代田区日比谷公園にある噴水のことだ。私の職場とも至近である。その日は平日で、つまり出勤日であったが、正午過ぎならば昼休みに落ち合えるだろう。

 日比谷公園にはいくつか噴水があるが、鶴の噴水は公園の西側にある、比較的小さな装飾用噴水である。霞門かすみもんをくぐって園内に足を踏み入れると、間もなく木々の向こう側に雲形池くもがたいけが見える。鶴の噴水はそこにある。

 今夏は記録的な酷暑だそうだ。晩夏と云うのに未だ太陽は燦々さんさんと燃え、公園の木々や草花、そして人間を手厳しく虐げていた。行き来する人々はみなタオルで汗を拭ったり、日傘を差したりしてどうにか耐え忍んでいる。蝉の声も依然やかましい。短い命を終えて土の上に転がっているむくろを見ると、涼しそうで羨ましかった。

 彼女は木蔭のベンチに腰掛け、文庫本を読んでいた。私が呼びかけるより先に、本を閉じて立ち上がる。透き通るような白金の巻き毛が揺れた。

「その髪型とスーツ素敵ね、東堂とうどうわたるさん。少し前髪を伸ばしたの? 貴方は顔がお綺麗だからよく似合うわ。ちゃんと現代の社会人って感じ」

 久闊きゅうかつを叙する挨拶を省いて、彼女はいきなり云った。流暢だがやや古臭い日本語を話すその唇は、白い肌にくっきりと赤く映えていた。私は女物の流行には全く詳しくないが、最近はこんな色の口紅を縫った若い女性をよく見かける気がする。

「そう云う君も、ちゃんと十六才に見えるぞ。ダリア」

 彼女の名前を呼び返したことに、単なる礼儀以上の意味はない。ダリアの青い瞳は昔と変わらず無邪気に輝いていて、私は奥歯で苛立ちを噛み殺した。

「このワンピース、渋谷で買ったのよ。ナウいでしょ」

「『ナウい』は、とっくに死語だろう」

「そうなの? いやね、時代が変わるのが早くって」

 私は答えずに、鶴の噴水に目を遣った。

 両翼を広げた鶴の銅像が、くちばしから空へ向かって高く水を噴き上げ、見る者の目に幾らかの涼を与えている。今は太陽に照りつけられて赤銅しゃくどうが重たく光っているが、冬の寒い日には翼に受けた水が凍結して氷柱つららになり、氷の羽衣はごろもをまとったかのような美しい姿になる。日比谷公園の名所の一つだ。

「この鶴は、昔から変わらないわよね」

「先の戦争の金属供出で台座が石に変わったらしい。あそこの看板にそう書いてある」

「さっき読んだわ。……ねえ、覚えてる? 私達が出会った頃の事」

 ダリアは必ずこの白々しい質問を口にする。そうして押し黙ったままの私に構わず、思い出話を始めるのだ。

 これが、私が彼女に会いたくない理由であった。

 忘れるわけがない。忘れたくても忘れられぬ。ダリアにも分かっているはずだ。

 私が人間だった頃の、最後の記憶なのだから。

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