英雄に万歳
紺の熊
プロローグ 4号渡界実験の結末
帰還①
『おや、帰ってくることができたのか』
馴染みのない、しかし不思議とどこかで聞き覚えのある男の声が頭に響く。
――――帰る?家にか?
『✕✕? ......ああ、なるほど。こちらの世界について忘れてしまっているのか』
『無理もないことだ』
『界渡りなどと言う無茶なことをしたのだ。それも往復で』
――――界渡り......?なんだそれは......?
『ここに辿り着けただけでも僥倖であろうな』
『ひとまずこう言っておこう』
『おかえり、テオドール』
そして意識は再び暗転し――――
◇◆◇
――――私は研究室のベッドの上で目が覚めた。
「エアハルト君が目覚めたぞ!? 博士を呼んでこい!」
「バイタル正常! 信じられない、生還者だ!」
ベッドの周囲を慌ただしく動き回る白衣の研究員を横目に見ながら、私は大いに混乱していた。
自身のアイデンティティが、根底から揺らぐ経験をされた事はあるだろうか?自身の来歴が霞がかったようにぼやけ、異なる2つの記憶が無秩序に混ざりあった事は?私はそのような荒唐無稽な事が起こるとは思ってもいなかった。
私はテオドール・エアハルト。プルーセン王国陸軍士官学校に籍を置く士官候補生である。そう記憶している。
しかしおかしなことに、異界の地で生きた一人の男――名前すら覚えていないが――の記憶もまた、確かに存在するのである。
私に父母はあったか?……否。私は孤児院出身で天涯孤独の身である。朧気に浮かぶシルエットは男のものだろう。
私はどこで暮らしてきた?……孤児院、士官学校とその周囲の街だ。一軒家など立ち入ったこともない。この家は男の実家だろうか?
2つの異なるパズルを1つの机の上にぶちまけ、並行して組み立てているのを想像してもらえばわかりやすいかもしれない。ピースが混ざりあって手に取ったピースがどちらのものか分からないし、完成図が分からないからある程度組み立ててみないと正誤の判断もつかない。
私がアイデンティティの確立に苦慮している間に、研究室には実験所付きの医官殿や今実験を主導した博士、軍の派遣官まで集まり、ベッドの周りは賑やかなことになっていた。
実験開始からどれだけ経ったのか、身体は随分と痩せ細り、鉛のように重く感じる。
億劫ではあるが、上体を持ち上げ敬礼。本来ならば直立不動の姿勢をとって行うべきであろうが、このボロボロな身体だ。多目に見てもらえるだろう。
「テオドール・エアハルト。所定の実験目標を達成し、帰還しました」
被験者100名に対し、死者59名、意識不明38名。生還者僅か3名の「4号渡界実験」。この悪夢のような実験から、私は生還した。
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