再び、遺書(二)
四
奇妙な気分のまま、時間切れで閲覧は終了した。僕はひどい疲れを覚え、椅子を立つとそのまま側のベッドに横になった。
目を閉じて考える。
今は天紀十八年。僕は元年生まれで今年成人した。間違いない。そして拡大法などというものは存在しない。
一方、文献作中では、僕――同姓同名だから便宜的にそう呼ぶ――は、天己四年の拡大法施行前日に自殺を図る。
いや、しかし、と僕の脳は判断する。
拡大法は現実化し得る。
元年の現行法施行から四年で拡大法というのはあまりに拙速な設定だが、発想は恐らく誤っていない。創作物の上で行われている規制と同様、現実も整えるべきだという主張は実際にある。
我々の意識は時代につれ変容する。かつては当たり前と見なされていたことが、より進んだ人権意識のもとでは許すべからざる蛮行と見なされ規制されることは歴史上繰り返し行われてきた。
これまで表現作品の中で禁じられてきたようなことが現実でも禁止されるとなると、『遺書』内で描かれたような、例えば医療スタッフや家族等を精神的苦痛から守るために入院患者に弱音や恐怖の表出を禁じる法が出来ないとは言えない。
やはりあれは仮想小説なのだろうか。
名前が僕と同じなのは偶然だろうか。
……いや、だとしても僕はなぜ、作中に登場する制限文献の記憶を、
ぽん、
開けっ放しにしていた端末からメッセージ受信音がして、僕はのそりと起き上がった。何だか少し目が回る。文字を読み続けたせいかもしれない。
手を伸ばしてメッセージボードを呼び出す。先日受けた再検査の結果が到着している。メッセージを開いてスクロールしていくうち、頭が割れるように痛み出した。
『この通知を見たら速やかに再受診し入院の準備をしてください』
落ち着いたブルーの、しかし十分に強調された
一度メッセージを閉じた。ボード上から消えないので悪質な広告というわけではないようだった。もう一度開いた。内容は変わらなかった。
ステージⅣ。
肺と脳に転移。
あらゆる予定に優先して受診されることをお勧めします。
またメッセージを閉じた。
今ではないと思う。いつか病気をして死ぬとしてもそれは高齢になってからのことで今ではないと思う。成人したその日に知らされることではないと思う。まだ何者にもなっていない今起こるべきことではないと思う。僕に起こるべきことではないと思う、僕のような何の罪もない、未来ある十七才に起こるべきことではない。違うか?
洗練された控えめな動きで、画面の端を無料配信のニュースフラッシュが流れていく。しばらくメッセージを開いたり閉じたりしながらその様子を見るともなく見ていたが、ある瞬間僕は全身が石になったように重く冷たくなるのを感じた。そして、固まった手を無理矢理動かしてヘッドラインのリンクをタップする。
『天紀二十四年にも改正施行 ハッピーエンド法ついに現実に拡大』
頭の中で何かが切れる音がした。
天己四年が来る。
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