夢の話だ。目の前で、仰向けに寝た女が、私はもう遠くへゆく、と言う。どうしてもゆくのか。本当だろうか。そう思っていると、いよいよ出発するようである。女は言う。百年待っていて下さい。




   *   *   *




 作曲家バッハについては、天紀以前に何百冊も本が書かれていた。その作品はキリスト教の教会で演奏するための、神を讃えるもの、キリスト教の聖書を題材にしたものが多い。

 彼の死後、作品は一度世に忘れられるが、死後数十年してメンデルスゾーンという音楽家が『マタイ受難曲』をとりあげ演奏したことで再評価を受ける。

 僕は『マタイ受難曲』の構成概要に目を通す。キリストの捕縛、裁判、判決、刑死。こういうむごい物語がなぜ信者たちに有り難がられたのかよく分からないが、ともあれ宗教音楽なる絶滅ジャンルの中では名作らしい。

 まあこんなものかな、と思う。生家の家業などのバックグラウンド、職歴、職務放棄、決闘沙汰、二度の結婚、『平均律クラヴィーア曲集』が後の鍵盤音楽に与えた影響、そしてメンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』の歴史的復活上演、『音楽の父』なる呼称。最後に天紀改元時制定のハッピーエンド法による関連書国内発禁まで触れ、それについてフラットな態度を貫く。

 ここでうっかり素朴に「一度演奏を生で聴いてみたい」などとユルいことを書くと、感情リスク履歴が残ってしまう。素朴さは程度の低さだ。僕のようなエリートはそうした態度を見せないことが教養であり礼儀である。

 バッハは感情リスクまみれのエピソードに満ちた人物だった。当時ですら投獄されており、今の我が国なら到底表現者としての活動は許されず、よくて自宅軟禁と通信禁止を命じられるだろう。僕の周囲にはいないタイプだ。

 ともあれ、レポートは一通りの形がついたと思う。三度読み返して規定文字数を確認し、問題なし。

 その時点で国家図書院の利用可能時間はあと四十五分ほど残っていた。僕くらい経歴のきれいな者でも国家図書院は一度に合計四時間しか利用できず、時間を使い切ったら十八時間経過するまでは再アクセスが許可されない。

 残り時間で何か他の文献を覗こうと思った。たまたま今日が僕の誕生日で十七才の成人年齢に達したため、国家図書院利用のアクセス権限が拡大されていたのだ。どんなに履歴がきれいでも未成年のうちは閲覧できない文献もあるが、これでもっとたくさん読めるようになる。

 僕は天紀以前の文献をあれこれ開き始めた。これは成人年齢に達した上位大学生のよくある遊びだ。余裕をもって課題を終わらせ、余分の時間に古い感情リスク満載の文献を覗く。課題に苦労していない自分、世間に危険物と思われているものに触れても平気な自分を展示する、僕ら独特の遊び。

 実際、大したことはない。国家やメディアは制限文献を読むと感情に異変を来たし正常な生活が送れなくなるようなことを言うが、それは元々頭の作りが弱く影響されやすい一般大衆層の話で、僕らのように感情安定度の頑健なエリート層はふつう影響など受けない。だからこそ閲覧許可を得て課題に利用することも許される。

 心中話。死神の話。仇討ち。嫉妬からの妻殺し。殺人事件の謎解き。

 特に心は動かされない。予想通り。そうあるべきだ。

 残り二十分。

 最後に『遺書(一)』というタイトルの文献を開いたのは全くの偶然だった。





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