最後に残った接続経路
■最後に残った接続経路
物語を書くことは、自分の境界をゆるがせる。
6年間に渡ってダークサイドの「stories」に投稿された千を超える物語が、明神みあらかをはじめとする月霊學園のキャラクターに命を吹き込んだのは間違いないが、その書き手たちもまたプレイヤーとして自身が
ではあのキャラクターたちはどこから来たのだろう?
仮ヶ音さんは取材のなかで自身の「stories」投稿作についても触れたが、僕はそれらをとうに読み込んでいたから、彼女と〝かさね〟のエピソードに、明神みあらかと
自分という固定された意識を手放すこと、あるいはそのような意識が幻想だと認識すること――「仮想人格救済論」の追求したそれを、きっと仮ヶ音さんは実践し続けていたのだ。そして僕が彼女の語った物語をこうして再構成していることも、ひとつの実践なのだ。
「でも、かさねの見ている世界はわたしたちには絶対に理解できないのです」
仮ヶ音さんはそのようなことを何度か言った。かさねの涼しげな微笑みは、そうとしか解釈できなかっただけで、それがなにから生じたいかなる意味をもつ表情だったのか、想像も及ばない、とも。
〝かさね〟の物語を書き綴ってきた僕の頭には、仮説とも呼べないぼんやりした考えが宿っている。
それは〝脳の可塑性〟を踏まえた解釈だ。
脳の可塑性とは学術的に定義された言葉ではないが、一般には脳内の中枢神経において損傷が生じた際、他の神経細胞が機能的・構造的変化を起こし、失われた機能を代替することをいう。その特異な例として、事故や病気で脳機能に障害を負った人間がまったく新しい認識力や創造的能力を発現させるケースがあり、さまざまな報告例がある。
イギリスの脳神経科医オリヴァー・サックスは、交通事故によって脳に損傷を負い、一切の色覚を失った画家の症例を記している。ふつう人間は直接「色」を知覚しているのではなく、感知された波長を脳内でより高次のレベルで処理し、「色」を(いわば)
第四領域――それは〝かさね〟の脳がなんらかの原因で損傷を受け、特異な認知機能を発達させていたことによる、当人なりの独創的な世界認識方法だったのではないか。
僕の考えは、もちろん第四領域にまつわるネット上での言説を踏まえたものでもあるのだけど、直接的には周廻軌道さんの言葉から芽生えた。
ダークサイドをつくったサークルOGF/同位体のもうひとりのメンバーで、システム構築を一手に担ったというこの人物に、僕は連絡をとろうと試みてきた。残念ながら会うことはできなかったが、このテキストを書き始める直前、一通のメールを受け取ったのだ。本人の許可を得て、一部をここに引用する。
◆ ◆ ◆
脊髄を損傷して身体を動かせなくなった患者が、目の動きだけで意思を伝えるケースがあるそうです。身体の運動を制御する神経経路が切断されても、瞬きと眼球運動を調整する経路だけは他と異なる位置を通るため、生き残ることがあるせいだといいます。
トナリの〝幽霊の径路〟へのこだわりは、彼女が残された手段を用いて必死になにかとコミュニケートしようするかのようでした。トナリは、いわゆる〝第四領域〟とつながる完全な経路をもっていたのかも知れません。なんらかのアクシデントがその経路の大部分を破壊してしまったとき、トナリは生き残った経路を使ってできる得る限りのコミュニケートを試みた。その過程で生まれたのがダークサイドだったのではないか、そう思うことがあります。
奇妙な比喩と印象論でしか語れないのが残念です。私はトナリの求めに応じようと、自律冥界と名付けたあのゲームシステムを組み上げただけで、少なくともはじめは彼女の意図を理解していませんでした。私はただ、あの世界とキャラクターたちに人間のいない世界で自律して存在してもらいたかっただけなのです。ですがトナリは違った。躰乖祭という場にキャラクターたちを召喚することで、第四領域へ向かう経路を開こうとしていたんです。
経路を開くことは、恐らくひとりではできなかった。しかしインターネットのなかでなら、ひとは何人にもなれる。トナリはまず自分を増やす方法を試し、次にその方法を応用してより大きな規模で実現させることを目指していたのでしょう。
◆ ◆ ◆
いま、ダークサイドは存在しない。
第四領域という信仰について、僕に書けるのはひとまずここまでだ。
2017年12月、予定どおり二度目の
しかし、あの世界はいまもどこかにあるのだ。僕の認識できない領域に。
何処からかこの世界に生じ、そして虚空へ消えたキャラクターたちはどこへいったのか? おそらく、どこへもいっていない。僕たちのまわりには、目には見えない幽霊たちが息づいている。
新しい章で語られるのは、あの子たちの物語になるだろう。
僕のもとにあるのだ。
ダークサイド消失の直前、保存しておいた「stories」の膨大なテキストデータが。
【補記】
取材の日の別れ際、僕の視線が危うげなものを見るようだったのだろう。仮ヶ音さんは、中学時代に後輩からかけられたという言葉を冗談めかして呟いた。
あなたをひとりにするとどこか遠くへいってしまいそう――そう言われたと。
一瞬の違和感。
そのセリフのなにかが引っかかった。
「
僕の言葉に、駅の階段を降りようとしていた仮ヶ音さんが振り返る。
涼しげな微笑みだった。
意識しないまま僕の口は言葉を続けていた。
「かさねは……実在したんでしょうか」
彼女はじっと僕を見つめていた。その目の焦点は、僕とは少しずれたところに結ばれていた。
「わたしの話したその領域は……単に虚構によって生まれるものではありません。重要なのはその領域の実在を他者と共有することです。仮にあなたが、ある文章を読んで、そこに書かれているものごとを虚構と了解したうえでなお、そのような領域が実在するのではないか、あるいは言葉こそ違えどこれまでに多くの人間がその領域に言及し、これを捉えようと試みてきたのではないか、そのように感じたとすれば。あなたはその存在を、自覚するにせよしないにせよ、折に触れて誰かに伝えるでしょう。文字として、言葉として。その連鎖が一定のオーダーを超えたとき、第四領域は実在するのです。……だから今日、わたしはあなたに話したのですよ」
禍砂音ミトリの第四領域【仮想人格救済論Ⅰ】 灰都とおり @promenade
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