曇天(2)ー平穏の庭から
あるいは。
対・天使の部隊として徹底教育を受けた人間はその日が来ることを、予想していたのかもしれない。
教え込まれたのは覚悟、というべきなんだろうか。
それから、その日が来るまでには、それほど時間はかからなかった。
* * *
要石。
名前の通り、要となるもの。
今は、この国の護りである結果を維持する役を持つものが、そう呼ばれいる。
ごく一部の、それを知る者たちの中で。
「エシェル、不知火は昼間はエシェルの家の犬みたいになってんな」
「どういうわけだかね。僕ではなく気に入っているのは庭だと思うんだが」
休日。
フランス大使館。
久々に、休みの日に忍を誘ってきてみれば、そこにいたのは不知火だった。
平日はよく顔を出しているとは聞いていたが、休日にここにいるというのは……
「司さんも誘ったけど、今日は仕事って言ってたし森さんもでかけてるのかな」
「森ちゃんも仕事だよ。珍しく休日出勤だって」
庭に面した広いテラスに出てお茶をしている。
そもそもこういう場所もだが、優雅に紅茶を振舞ってくれるような友人はいないので、珍しい体験だ。
コーヒーより紅茶。
そんな接点からか忍は好んでエシェルの元を訪れていたようだが、今日は不知火を日向でもふもふしている。
不知火も忍には警戒心がないのか、しっぽをぱったんぱったんと不定期に振っては、忍を喜ばせている。
……どっちがかまってやってるのかわからない構図だ。
ぴく。
とその耳が動いて、不知火が空を見上げた。
それを見ていたオレたちもつられる。
「……嫌な天気だな」
「もうじき、この辺りも曇りそうだね」
今は日が差しているが、ゲリラ豪雨でも来そうな雲が立ち込め始めていた。
「……」
「エシェル?」
しかしティーセットに視線を戻しかけたエシェルがじっと……再び、空を見上げている。
「どうしたの」
忍がやってきた。
不知火はそのままだ。
空を見上げたまま。立ち上がった。
「……なんか、おかしくない?」
「おかしい。なぁ、エシェル、何かあ……」
「今すぐ、帰った方がいい」
「え」
遮って、不知火と同一方向を見上げていたエシェルはそういってからオレと忍に視線を戻してきた。
「帰ってくれ」
「それはどういう……」
「君たちが何をどこまで知っているのかは知らない。けれど一つだけ友人として忠告する」
不知火が唐突に、駆け出し、茂みの向こうに消えた。
「もうすぐ、要が崩れる。その向こうに『天災』の気配がする」
「!」
言われていることはすぐにわかった。
天使であるエシェルが何をどこまで知っているのかは知らない。
けれど、要は石のこと、そして天災は、人間にとっての天からの災い……
エシェルが明言をしないそれは。
天使だ。
「エシェル、それは……」
「帰りたまえ!」
「秋葉、行こう。エシェルにとってもよくない。せっかく忠告してくれたんだから」
「……すまない」
年下の風貌には似合わない勢いで一喝されたが、忍がそういうと、エシェルははっとしたように小さく言って瞳を伏せた。
「わかった。じゃあ、また来るから」
「……」
それは日本では社交辞令というものなのかもしれない。
大体「また」とか「あとで」はないものと思った方がいい。
その時は意味も考えずにただ、そういって、オレと忍はその言葉に、どこかあっけにとられたような顔をしたエシェルと別れ、帰途に就いた。
「秋葉、不知火の様子もおかしかった。かもしれない、じゃなくてまずい気がする」
「結界のことはみんな知ってるけど、すぐに天使が来るなんて思ってないんじゃないか。エシェルの言い方だともうスタンバイしてる感がすごいするんだけど」
「私もそう思う」
帰れと言われてもどこに帰るのか。
今日は日曜で、仕事も休みだ。
自宅に帰ったところで『何かあった場合』どうなるというのか。
「どうする?」
「……司くんに言われてた通りだよ」
オレはその言葉を思い出す。
すぐに帰れ、そんな言葉を。
「『それぞれ省庁へ帰れ』。私は情報局(ターミナル)に行く。秋葉は……外交部はどう出るかわからないから、自分で判断して」
「っ! 忍!」
早足にはなっていたが、駆け出しかけたところを掴んで止める。
振り返り、聞き返されるより先に、返した。
「オレも行く。途中までは一緒だ」
* * *
大使館からは、徒歩も含めて賞味30分といったところか。
その間に、忍は司さんに連絡を取った。
オレは清明さんに。
いずれも内容は、フランス大使館に遊びに来ていたが、不知火が空を見て異常な反応を示したこと。
そして、そのままどこかへ駆け去ってしまったことだ。
エシェルのことは話していない。
だが、不知火のことは清明さんや司さんの方がオレたちよりわかっているはずだから、それで十分だった。
それから電車に乗って、その間に忍は森さんにメッセージを送っていた。
「……不知火が森ちゃんのところに着いてるみたい」
「早いな。と、いうことはやっぱり何か危ないってことか」
「そうだね。たぶん護身用に帰ったんだろうから……清明さんから何か連絡は?」
着信を見る。
最後に入った連絡は、すぐに動くということだから、返事がなくても問題ないだろう。
「でもアレのことはどうするんだ。やっぱり言った方がよかったのか……?」
人の目のある密室……車内では天使、という言葉はつかえなかった。
「いうなら司くんだろうけど……たぶん、想定して動いているとは思う」
「たぶん、か。……それはずれたらどうするんだ?」
「……そうだね、いくら司くんでもこれ信じるとか信じないとかいう言葉でくくれる問題じゃないよね」
だからこそ悩む。
エシェルの話をすればそっちの首を差し出すようなものだ。
何のために黙ってきたのか。
こんな日が、来ないとは思っていなかったけれど、来るとも思っていなかった。
そっちの方も気がかりといえば気がかりだった。
「! 忘れてた。もう一人情報共有者がいるだろ」
「公爵か。……神魔のヒトならもう気配で気づいてそうだけどね」
ダンタリオンに連絡を取ると、もう清明さんから連絡が入っていたらしい。
大使館に行っていたことも伝わっていたので、エシェルの忠告を加えて知らせておいた。
『大体予想通りだよ』
その言葉で、そちらの備えに動く準備も始まっているらしい。
とりあえず、一安心とする。
車内アナウンスがいつもどおりのトーンで流れ、振動を鎮めながら電車は止まった。
駅に降りる。
暗雲は、この十数分で、都心の上空を黒く染め上げ始めていた。
円を帯びた形で。
急に心臓が跳ねる心地になる。
嫌な天気だ。
鳴りやまない鼓動を聞きながら、忍と別れ、オレたちは各々の持ち場へと向かった。
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