7.炎の神と炎の精霊

「それで。お前、最初から時間稼ぎでイフリートの前に出たの?」


普通は怖い。

思い返せば形相なんて思いっきり「魔神」というイメージにふさわしい感じだった。


「そうだね、浅井さんもまずいと思ったし、それにジンの逸話はいくつか聞いたことがあったから」

「ジン、ってイフリートじゃなくて?」

「誤解があるようだけど、ジンっていうのは現代だと、ある精霊の総称なんだ。さっき秋葉が言ってたみたいにジンにも人間と同じでたちの悪いのと、善性のものがいるって」

「とりあえず、ジンが何なのかから説明してくれないか」


一気にわからなくなる予感がしたので、説明を初めから求める。

忍は逆に結論から言うことにしたらしい。


「だから、ジンっていうのは精霊で、ランク順に名前がついてるんだ。他のは忘れたけど、おとぎ話で出てくるランプの精霊もイフリートなんだよ。確か、上から二番目くらいに凶悪なランク」

「……オレの知ってる話って、もっと平和そうなやつな気がしたけど」

「それは知らないけど、前に公爵が話してたでしょ? 元の情報をイメージで変えられてるものがあるって。多分、イフリートもその一種じゃないかと……」


オレのイフリートのイメージ。


炎の精霊、一択。


「でも、確かに炎は使ってたよな」

「ジンっていうのは煙の立たない炎から生まれたって話だったと思う。だからそれは正しい」

「じゃあ別にイメージで変えられてはいないんじゃないか?」

「その有名なランプの精のジン、ってどっちかっていうと煙とか風とかいうイメージない?」


……変えられてたのは、そっちか。


イフリートのイメージは正しいようだが、ジンのイメージがそもそもおかしかった模様。


「難しいな……」

「あくまで伝承とか記録から読み解くしかないから、何が正しいのかはわからないけど」


手っ取り早いのは、本人か所属が同じ出身者に聞くことだろうが……

無理だろう。



そんなことを話している内に、片が付いたらしい。

清明さんたちが、帰還した。


「戸越さん。ありがとう、おかげで助かったよ」


開口一番、こちらの姿を見て清明さんがそう言った。

どうやら、やはり封印しないとけりがつかない状態だったようだ。

術士間の用語など知らないので、それっぽい言葉を選んで、聞いてみる。


「退魔とか、無理だったんですか?」

「制約を受けていない分、強くてね。彼らジンは姿かたちもすぐに変える。煙化もできるからいくら霊装でもとどめを刺すのは難しい」


司さんは部隊員に指示を与えている。

仕留めるのが難しかったというだけで、無事そうだ。


「アグニ様、ありがとうございました」


忍が巨漢の赤い神に向かって、礼を言った。

何の礼だろうかと思ったが、会話に耳を傾けていればすぐに分かる。


「さすがにあれだけ大きな炎の魔力が動けば、私にも分かる。それで焼かれた人間がいないのは幸いだ」

「!」


そういえば、引きずり込まれる前に火の気配がどうとか言っていた気がする。

忍のあれは、歪みの向こうにいるアグニ神に場所を伝えるための意図もあったのか。

今更合点がいった。


「二人とも、大丈夫でしたか?」


そして浅井さんがやってきた。


「いや、浅井さんの方が大丈夫でしたか」

「見ての通りだよ」


……血は出ていないが、打撲など見えないダメージが気になるところだ。

満身創痍のようにも見えたが、本人は大丈夫、と言っているつもりに聞こえたので、敢えて聞かない。


「それよりすみません。僕が巻き込む形になってしまって」

「いえ、結局自分から首突っ込んでたやつもいたんで、気にしないでください」

「……その為に浅井を護衛につけたんだけどな」

「申し訳ないです」


突然背後から声をかけられて、素直に反省しているのは浅井さん。

しかし、司さんは多分、忍に何か言いたいのだと思う。


「一石二鳥気味だ。スピード解決して良かったね、司くん」


かわしている。

自分が頼んだ手前、追求してまで何か言うつもりはないのか司さんは仕方ないというようにため息をついた。


「浅井はよくやった。地下に残った人間も全員、息はあったんだからな」

「そうなんだ、良かったですね」

「しかし『は』ってなんだ。私はよくできなかったのか」


忍は言の葉にひっかかりを感じている模様。


「忍もよくやった」

「付け足した!」

「違う。そういうつもりでなく……」


ちょっと沼にはまりかけてますよ、司さん。


それをほほえましそうに眺めている清明さん。

気付いたが、オレも眺めているだけなので、何とも言えない。


しかし、今度は忍が追及をやめて、ポケットから常備しているスティック型の端末を取り出した。


「これ、一応あの子とのやりとり記録しましたけど、どっちに渡したら?」

「聞かせてもらえるかな」


レコーダーだ。

清明さんが手に取って、再生をかけている。

漏れ聞こえる、文字通りその会話の「再生」。


一通り、それを聞き終えた清明さんが言った。


「あの少年は、すべて自分の意志で望んだわけでなく、煽られていただけだね」


端末を忍に返す。

ということは、それは警察の方に回していいということだろう。


「あの精霊は、人に憑りつくこともできるんだ」


さすがに清明さんは、その道の人というかもうそれが何か知っているようだった。


「けれど、善悪それぞれ性分を持っていてね。善霊に憑かれれば聖人に、悪霊に憑かれれば狂人になるとも言われている」

「じゃあイフリートって悪霊系だってことですか」

「どうかな」


すっかり外は暗くなっていた。

元々明るい街だから、空を見上げてもあまり星は見えない。

街灯やテナントの灯りで駅前は煌々としている。


「心のどこかにそういう願望がなければ、叶うはずもない願いだ」



無事だった人々が、身分確認の済んだ順にそれぞれの帰路についていく。



「闇は人の心の中にこそ、巣食っているものなのかもしれないね」


迷宮と呼ばれた地下構内へ続く階段は、もう消えていた。

迷うことなく出てこられたのは幸いだろう。


二度と、あんな体験はごめんだ。


テナント脇の暗がりを見ながら、オレはどこかうすら寒い気持ちで空を見上げる。

雲が出ているのだろうか。

相変わらず星は見えないし、ただ街の明かりが反射をして空もまた、うっすらと白く明るかった。


「秋葉、夕飯食べてく?」

「お前、普通に食べられる状態なの?」

「……面倒だからそこのファストフードでいいかなと」


店の入り口に出された看板メニューは「スモークサンド」。


……煙のない炎から生まれた精霊、ジンとの一件後。




「勘弁してくれ」



今日ばかりは司さんは事後処理で当分、かかりそうだ。

ここ以外ならどこでもいいと、先に帰ることにする。

司さんと浅井さん、それから目の合った人に片っ端から挨拶をして、オレたちはようやく、帰路についた。

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