第77話 酌み交わす顔と顔

「確かに、ここから出てる。気づかれてたッ」


 悔しい。

 相手が上級魔法使いとはいえ、気づかなかった自分に腹が立つ。


「こんな物!」

「やめろッ」


 彫刻を振り上げたシュナウトをユリキュースが止めた。


「壊してどうする! こちらが気づいた事を知らせるのか?」

「このままにしておけと? これは追光ついこうです! 結界も距離も関係なくあるじの知りたいことを伝えます」


 シュナウトの訴えを聞くユリキュースの手はシュナウトの腕をつかんだままだ。


「王の、あるいはガストームの狙いは我々ではなく標でしょう」


 互いに睨みあったまま身動みじろぎもしない。


「違うと思いますかッ? このまま標と連絡を取り合えば糸は太くなるんですよ?」


 どうすればいいか、ユリキュースが考えを巡らせていることはわかる。しかし・・・・・・。


「追光が太くなればここの結界も無意味になり、追光を切ることすらままならなくなります」


「待て、待つんだ。もう少しだけ考える時間を」


 ふたりの大声を聞いて召使い達が離れた所から心配そうにこちらを見ていた。

 シュナウトが目線で「行って」と伝える。それに気づいたフィリスがすぐに皆に声をかけて離れて行った。


「水鏡を閉じてきます」


 ひとつ息を大きく吐いて王子の手を腕から離す。ユリキュースに背を向けて部屋へ向かおうとしたシュナウトの足が止まった。


「・・・・・・?」


 部屋が明るい。

 ドアが開けっぱなしになった部屋の中が明るくなっている。何が起きたのかと足早に部屋に戻るシュナウトのその後を、急ぐユリキュースが続いた。


「これは・・・・・・!」


 暗い部屋の中で水鏡が明るく光を放っていた。

 桶の中に小さく丸い異世界はなかった。いや、水鏡の全面に異世界が広がっている。そこから光があふれ出て天井を照らしていた。


「標と繋がったのか?」


 勢い込んでユリキュースが走り寄るのをシュナウトは止めた。






「ハジル様、ガストーム様がお見えです」


 召使いの声掛けから少しの間があって彼の部屋のドアが開いた。


「これは、これは。ガストーム様」


 笑顔を向けるハジルにガストームも笑顔を返す。


「一杯付き合って欲しくてな」


 そう言ってガストームは酒瓶を見せて笑いかけた。


「これは有名なワイナじゃありませんか。あ、どうぞどうぞ」


 嬉しそうな笑顔を見せるハジルの目が笑っていない。そのことに気づきながらガストームは知らぬふりをきめこんだ。


「故郷の酒をケースごと持ち帰ってきた。南のこの地ではこの味は出せないからな」


 ハジルの引いた椅子に腰かけながらガストームは残念そうな表情を作ってみせる。


「確かに。ここ10年、凝縮されたこのワイナの味に匹敵する酒に出会っていませんね」


 話を続けるふたりの間にグラスが置かれ、召使いは静かに部屋を出ていった。


「さぁさぁ」


 ハジルより先に机の上に置かれた酒瓶を手にしたガストームが瓶を傾ける。


「これはこれは・・・・・・、ガストーム様に注いでもらえるとは光栄です」

「何を言うのだ。はははは」


 年長者のガストームから酒を注がれてハジルがかしこまる。ふたりの年の差は10歳だ。

 ガストームは笑いながら自分のグラスにもワイナを注ぎ、グラスをかかげて言った。


「王に忠誠を誓って」


 ハジルの笑顔がこわばる。その一瞬を逃さずガストームは見ていた。


「今日は大変だったようだな」

「えっ!?」


 かすかにハジルの瞳が泳ぐ。


「我が王のいたずらな行いで子守りを面倒な事にしてしまった」


 ガストームの言葉に「ああ」とハジルは気の抜けた笑顔を見せた。


「いえ、王様のせいではありません」

「困ったものだ。すまないな、さぁさぁ」


 ガストームに促されてぐいっとグラスを空ける。


「ご親戚はみな息災で? 会う時間は作れましたか?」

「娘の家族も健やかで、あちらは変わらず騒がしかった」

「そうですか」


 久しく会わなかった共通の知人の話、故郷の情勢。他愛ない雑談を交わしながらガストームはハジルの部屋に神経を張り巡らせる。


(奥の部屋には行けないか・・・・・・)


 さほど広くない客間に誰かを隠すスペースはない。

 何かを企て隠すなら奥の寝室だろう。そこには水鏡も置かれている。魔法使いの部屋はだいたい似たようなものだ。

 壁を丸くくり貫いた入口には扉はない。こちらから覗き見える寝室に何かを感じる物はなかった。


「ゲオルグの最近の行動に何か変化を感じたことは?」

「え?」


 多少の間ができて、次いで出た名前に意表をつかれたようだった。


「ゲオルグ様の・・・・・・ですか?」


 記憶をたどっているように見えてそれとは違う事を考えているようにも見える。


「あの娘に手を出しそうな言動・・・とか」

「あの・・・・・・娘?」


 ハジルからわずかに動揺を感じる。


「例の不思議な紙の中の娘。生きたまま紙に取り込まれたような娘のことですよ」


 ハジルのこめかみにうっすらと汗が光っている。まだ酒で火照るほど飲んでもいないのに。


「もしくは、あちらの世界の者と結託けったくしている様子は?」


 ハジルの眉が跳ねて彼の瞳がガストームへ向けられた。


「結託ですと!? いや、それはまさか・・・・・・」


 ガストームの言葉が意外だったらしく、ハジルは困惑した表情を見せた。


「あの娘が魔法使いだとして、世界をつなげる程の地からがあるだろうか?」


 問いかけにハジルは黙っていた。


「もっと力のある師のような者がいるのではないか・・・・・・?」


 ガストームは床を這うハジルの目を見ていた。


「娘を奪われて力のある師がこちらに来ようものなら厄介なことになりそうだ」


 低く唸るようなガストームの声にハジルの臆病な瞳が揺れる。


「上手く結託したつもりが足をすくわれることになったら・・・・・・我々も危うい」


 今度の「結託」という言葉にハジルは反応しなかった。


(気になったのは師の方か?)


「世界をつなげる程の力を持った者だ。娘を手に入れるにしても十分気を付けなくてはな」


 そう言ってテーブルに置かれたハジルの手に手を乗せる。ハジルはびくりと顔をあげた。


「まぁ・・・・・・、酔っぱらいの妄想だ。笑って流してくれ」


 ハジルの手を叩きながらガストームが笑って見せる。


「あ、はぁ。ええ、奇想天外な話で・・・・・・興味深く」


 取って付けたような笑顔でハジルが立ち上がる。ガストームは笑って彼の肩を叩いた。


「昼は子供の相手、夜はこんな爺いの相手をさせてすまないな」


 ハジルの手を取って握手をする。

 見送ろうとするハジルをガストームはやんわりと断って部屋から出た。


(手汗をかくとは正直な)


 ドアをちらりと見やったガストームは自室へと戻っていった。





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