第31話 舞花落樹《まからくじゅ》

 亜結の部屋に秋守が訪ねてきてユリキュースは押入れに隠れることとなった。

 戸の向こうを見なくても秋守の口調と聞こえてくる物音でわかる。隠れた存在、つまりはユリキュースを探していると。

 入口近くの戸が開く音がする。


「秋守先輩?」

「誰かいたよね」


 一瞬間があって、


「嘘をつかないで」


 キツい男の声が響いた。

 押入れの前を歩く足音を耳にしてユリキュースは身構える。

 足音は前を過ぎ別の戸を開ける音がした。


「誰が来たの? 脅された?」

「え? 何のことか・・・」

「何を言われたの? 口止めされた?」


(いったい何の話をしているのだ?)


 ユリキュースには秋守の言葉が理解出来なかった。

 亜結と同じ言語で会話していることはわかる。しかし、亜結の言葉しか意味が伝わってこなかった。


「どうしたんですか?」


 戸惑う亜結の声がする。


「突き飛ばされたんだよね、黒川から聞いた」

「えっと・・・それは、大袈裟ですよ。ぶつかっただけです」


しるべは何を責められているのだ?)


 秋守の声が少しずつ大きくなって早口になる。


「大学の食堂で転んだって」

「あれは・・・何かにけつまずいたのかも・・・」


(興奮してきてる)


 冷静に状況を感じ取っているつもりでも心がざわつく。ユリキュースはふすまに身を寄せて耳を澄ませていた。

 亜結は秋守をなだめようとしているようだった。だが、戸を隔てて聞こえてくる秋守の声は徐々に荒くなってきていた。


「何に? 足を引っかけそうな物は無かったって聞いたよ」


 少しでも状況を知りたくてユリキュースはふすまをそっと開けた。必要ならすぐにでも飛び出そうと臨戦態勢をとる。


「大丈夫だからッ、心配しないで」


 亜結の声がユリキュースの手を止める。

 両肩に手をかける秋守の顔はユリキュースからはよく見えない。亜結の袖をまくって腕を確認する彼へ、


「そんな事されてませんよ、大丈夫です」


 と、亜結が繰り返す。


(彼は、しるべを心配しているのか・・・?)


 ユリキュースはそう判断した。しかしそれにしてもこの様子は普通ではないように思えた。


「だ・・・大丈夫ですよ」


 落ち着かせようとする亜結の言葉がかえって秋守を刺激した。


「嘘をつかなくていい、お願いだから隠さないでくれ! 僕にできることは何でもするから!」


 怯えた秋守の声がより早く大きさを増し、とうとう怒鳴り声へと変わった。


「大丈夫なんて信じられない!!」


 亜結の顔に恐怖の色を見てユリキュースは再びふすまに手をかける。


しるべ・・・!)


 手に力を込めて襖を引こうとした直前、秋守の気配が変わった。


「・・・・・・ご、ごめん。ごめん・・・どうかしてる」


 秋守が崩れ落ちた。

 彼の言葉は依然としてユリキュースにはわからなかった。秋守が謝っていることと打ちのめされた気配だけは伝わってくる。


「先輩が心配するような事は何もないですよ、大丈夫ですから」


 秋守と向かい合って座る亜結が優しく声をかける。


(標・・・)


「大丈夫じゃ・・・安心できないんだ。彼女もそう言ってたのに・・・・・・」


 震え途切れる秋守の声から彼が泣いているのだとユリキュースは感じた。

 勢いを失い小さくなった声としぼんだ背が切なく思われる。


 ふいに秋守の顔を涙が駆け下るのが見えた。と、同時に彼が亜結を抱きしめるのを目にして、ユリキュースは驚きと共に見つめた。

 ユリキュースの見ている前で亜結が秋守を包むように抱くのをただ見ていた。

 気まずさといたたまれなさにそっと目を離す。

 押し殺して泣く秋守の気配に包まれた部屋の中、ユリキュースも黙ってうつむいていた。


 抱き合うふたりの姿はユリキュースに幼少の切ない記憶を思い起こさせた。


「王子様がいつまでも泣いていてはいけません」


 懐かしい人の声がする。

 バルガイン王に囚われて最初に付いた青髪の召し使い、フェルティ。


「母上に会いたい、会わせてくれ」


 8才のユリキュースが泣きじゃくる。

 母親が恋しくて、母に甘える姿を赤髪の王子達に見せびらかされて幾度も泣いていた。

 優しく抱きしめてくれた手、もう触れることすらできない。


 血に染まって地面に倒れている彼女の上に、舞花落樹まからくじゅの花びらが舞い散っていた。

 萌える緑と血の赤、薄桃色の花弁。美しく心を切り裂く光景にユリキュースはかぶりを振る。


(標のことを隠していてくれと私が頼まなければ、彼女は今も生きていただろうか・・・・・・)


 彼女が切られる前日、初めて幼い亜結と出会った。

 舞花落樹の花が風に舞うその下で、泣きじゃくる幼い亜結を目にした。ユリキュースにとって最初で最後の楽しい1日だった。


 フェルティと自分以外、少女を見た者はいないと思っていた。しかし違った。


「侵入者報告義務違反!」


 痕跡すら残さず消えた少女の事が伝わっていた。


「やめて! やめろ! 離せ!!」


 兵士達にフェルティから引き離され取り押さえられて、ユリキュースは彼女に近づけなかった。


「やめろぉーーーッ!!」


 幼い自分の声がユリキュースの胸を貫く。その痛みにぎゅっと目を閉じ胸を掴んだ。


「ひどい・・・」


 亜結の声がかぶってはっと目を開ける。

 いきどおりと切なさの混じったその声が、自分の思いに添ってくれているように思えた。

 知らずこぼした涙が小さく音をたてるのをユリキュースは聞いた。


「幾度生まれ変わっても、標とは必ず出会うそうですよ」


 遊び疲れてベッドで眠る少女。その髪を撫でているユリキュースに、フェルティは物語を話すようにそう言った。


(出会わなければよかったのか? 標と・・・・・・)


 王子としてどうあるべきか、繰り返し思い出させてくれたフェルティ。彼女は赤の者達にうとましく思われていたのかもしれない。


(出会ったことが殺す理由を作ってしまった)


 母のように慕い誰よりも守りたかった人。


(私にもっと力があったなら、私がもっと大人だったら守れただろうか)


 じりじりと心を焦がしてユリキュースが歯噛みする。


「一日中は守れないよ」


 秋守にかけた亜結の言葉がユリキュースの心にリンクする。


(そうだな、いくら武術にけていても一日中は無理だな・・・・・・)


 青の者であっても必要以上に親しくしない。あの日、幼いユリキュースはそう決めた。そして、今まで深く関わらないようにしてきたつもりだった。


「うっうっ・・・」


 亜結の泣き声にユリキュースは目を外へ向ける。


「亜結が泣くことないだろ?」

「だって、辛くて苦しくて・・・」


 顔をくしゃくしゃにして泣く亜結の顔を秋守がぬぐっている。

 幼い亜結にしたようにユリキュースも自分の手で彼女にそうしてあげたかった。

 秋守を前に泣き笑う亜結は幼い頃と変わらず愛らしく思えた。


 秋守の差し出した小指に小指をからめる亜結を見て、ユリキュースの心がザクリと音をたてた。


(標には思い人が・・・契りを交わす相手が・・・・・・)


 秋守が亜結にキスをする。

 彼女が逃げることなく受ける姿にいっそう胸がきしんだ。

 ユリキュースはそれ以上見ていられず襖を閉じた。


 暗い押入れの中でじっと目を閉じる。体がぐっと重くなるのを感じた。




「王子!」


 シュナウトに肩を捕まれて目を開ける。いつの間にか戻っていた事をユリキュースは知った。




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