第29話 不安をかきたてるワード

(しまった! なんで答えちゃったんだろうッ)


 頭をかかえる亜結の横を過ぎてユリキュースがドアへと向かう。


「だめッ!」


 引き止める亜結をユリキュースが真顔で見つめた。


「面倒な相手なら私がなんとかする」

「やめて」

「いつあちらの世界に戻るかわからない、居るうちに手助けさせてくれないか?」


 首をぶんぶん振る亜結にユリキュースは怪訝けげんな顔を向ける。


「そんなに狼狽うろたえて困っているのに、何故?」

「困ってるけど、面倒な人だからじゃないのッ」


 恩を返したい気持ちはわかる。しかし、秋守はそんな人ではないし殴られたら困る。


「ありがとう、でも違うから。お願いだから隠れて」


 困惑するユリキュースをドアから遠ざける。


「隠れる?」

「そう」

「私が?」

「そう」

「何故?」

「とにかく隠れて!」


 亜結はユリキュースが手にしているフローリングモップを取り上げて側に立て掛けた。


(ベランダは・・・まだ寒いだろうし)


 亜結はユリキュースの手を取ってうろうろと隠し場所を探す。


(ユニットバスは見つかりそうだし・・・)


 そのとき背後でばたんと派手な音がして、亜結は小さく悲鳴をあげて飛び上がった。

 振り返るとフローリングモップが転がっていた。


「亜結、大丈夫? どうしたの?」


 ドア越しに心配した秋守の声が聞こえてきて再び亜結は焦った。


「大丈夫! 少し待っててくださいっ」


 慌てた亜結の目が一点で止まった。


(あそこしかない)


 ユリキュースの手を引いてふすまを開ける。


「押し入れに入ってて」


 亜結の指し示す2段目に人ひとり分のスペースが空いていた。


「こんな狭い所に、私が!?」

「いいから入って入って!」


 亜結に追いたてられてユリキュースが入った途端に襖を閉める。


「暗い」

「しっ! 黙ってて」


 すぐに亜結は玄関の前に立った。そして、笑顔を作ってドアを開ける。


「お待たせして・・・」


 亜結の作り笑顔は秋守の表情を前にすぐに崩れた。


「・・・・・・泣いてたの?」


 亜結の顔には泣いた跡がまだはっきりと残っていて、秋守の顔が驚きから心配そうな表情に変わっていた。

 そして、秋守の顔がきゅっときつくなる。


「う、ううん」


 亜結は首をふった。でも、ごまかしはきかない。亜結の顔は目も鼻も真っ赤だ。

 秋守の視線が亜結の背後へと流れた。


「今、誰かともめてたよね?」

「だ・・・誰もいませんよ、泣いたのはドラマを見てて・・・・・・」


 目をそらして話す亜結の声が揺れる。明らかに取り繕っているとわかるしぐさに、秋守がくっと奥歯を噛んだ。


「入っても、いい?」


 断る理由もなく、秋守の声音こわねに強情さを感じて亜結はうなずく。


「・・・どうぞ」

「失礼」


 亜結の横を過ぎた秋守が立ち止まった。それは、何かの気配を感じているように思えた。


(香り・・・!)


 秋守と目が合って亜結ははっとした。

 亜結の使うシャンプーや香水とは違った香りがしている。そのことに彼は気付いた。秋守の目がそう言っている。


(ユリキュースのこうの匂いだ!)


 亜結はとっさに、


「香水のテスターが壊れてて」


 と言ったが秋守は聞いていなかった。

 持っていた箱をテーブルに置いた秋守が、ユニットバスのドアをぱっと開けて覗きこむ。


「あの、秋守先輩!?」

「誰かいたよね」


 振り返った秋守の目がきつかった。

 見たことのない表情に亜結は黙ったまま首だけをふった。


「嘘をつかないで」


 鋭くそう言った秋守が、見渡せる亜結の部屋に目を走らせた。そして、ずかずかと奥へ歩いていく。

 ベランダへのガラス戸を開けて外を確認していた。


「ど、どうしたんですか?」


 ユリキュースが見つかったら何と言い訳をすればいいか、と心配しながら亜結は秋守のあとを追った。

 ベランダから部屋へ戻る秋守とあとを追った亜結が部屋でぶつかるように対面する。


「誰が来たの? 脅された?」

(脅された?)


 想定外の質問に亜結の思考が止まる。


「えっと・・・それは、どういう・・・」


 両肩を秋守につかまれて亜結が固まった。


「何を言われたの? 口止めされた?」

「訳が・・・わからない」


 秋守がさらに質問を重ねる。


「突き飛ばされたんだよね、黒川に聞いた」


 唐突に話が切り替わって先が見えなくなる。


「え?」

「大学の食堂で転んだって」

「ちょっと待って」


 姫花が黒川に話したのだろう。でも、なぜ急にその話を持ち出したか亜結にはわからなかった。


「それは・・・大袈裟で、ただぶつかっただけですよ。転んだのも何かにけつまずいたのかもしれないし・・・・・・」


 亜結が否定する。


「何に? 足を引っかけそうな物はなかったって聞いたよ」


 秋守の声が次第に大きくなって肩をつかむ彼の手に力がこもる。


「僕と別れろって圧力かけに誰かがここに来たんじゃないのか!? 嫌なことされなかった?」


 亜結には押し入れのふすまがそっと開くのが目の端で見えていた。

 いつもの穏やかな秋守とは違う。この勢いでユリキュースと顔を合わせたらどんなことになるか・・・・・・。


「大丈夫だからッ、心配しないで」


 襖の動きが止まるのがわかった。


「心配するよ! 亜結に何かあったら・・・!」


 自分だけに向けられた言葉だと疑わずに秋守がそう言った。


「たまたま偶然が重なっ・・・・・・」


 秋守の目が不安で埋め尽くされている。そう感じて亜結は口ごもった。


「何があったか全部僕に話してくれないか?」


 懇願こんがんする彼の必死さが伝わってくる。でも・・・・・・。


(どうしたんだろう、何でこれくらいの事でこんな風に?)


 今の秋守に何もないといっても信じてもらえそうにない。何をどう説明すればいいのかと亜結が迷う。


「手を出されたりしてない?」


 秋守の喋りがどんどん早くなる。秋守が亜結のそでを引き上げて腕に傷跡がないかと確認する。


「そんな事されてませんよ、大丈夫ですから」

「嘘をつかなくていい、お願いだから隠さないでくれ!」


 怒鳴るように話す秋守を亜結は驚いて見上げていた。目を見開いて髪を乱し声をあげている、まるで別人のような彼に恐ろしさがつのる。


「僕にできる事は何でもするから!」


 早口の秋守はおびえているように見えた。


「だ・・・大丈夫ですよ」


 なだめようとした亜結の言葉に秋守の声がいっそう強くなる。


「大丈夫なんて信じられない!!」


 声を荒らげた秋守の言葉が亜結を叩いた。

 体をこわばらせて見つめる亜結のその顔に恐怖の色が浮かぶ。


 亜結の表情を目の当たりにして秋守の動きが止まった。


「・・・・・・ご、・・・ごめん」


 不安と怒りでこわばった仮面がぽろりと剥がれ落ちて、愕然がくぜんとした秋守の顔が残る。


「ごめん・・・ごめん、僕はどうかしてる・・・・・・」


 秋守は小さく呻き声をもらしながら崩れ落ちた。両手で頭を抱えて座り込み縮こまる。


「ごめん、怖がらせるつもりじゃ・・・。怖いよな、まるでストーカーだ・・・・・・」


 絞り出すような声がかすれていた。


「家まで押しかけて・・・」


 そう言った秋守が動かなくなった。

 亜結はおずおずと手を伸ばし、秋守の肩に触れてみる。少し迷ってしゃがみこみ、頭を抱える秋守の両手に手を重ねてそっと声をかけた。


「秋守先輩、そんなに・・・心配しないでください」


 駄々っ子のように秋守が首を振る。


「先輩が心配するような事は何もないですよ、本当にほんとうに大丈夫ですから」


 ゆっくりと穏やかに話しかける。

 少し間があって、うつむいたままの秋守がぼそりと言った。


「同じ事を繰り返したくない・・・・・・」


 少し顔をあげて秋守が続けた。

 彼を安心させようと亜結は笑顔を見せる。


「大丈夫じゃ・・・安心できないんだ。彼女も・・・・・・そう言ってた」


 秋守の目からほろりと涙がこぼれる。切なく悲しい瞳をしていた。


「彼女って・・・」


 秋守にとつぜん引き寄せられて、亜結はあっという間に彼の腕にくるまれていた。

 亜結の肩に顔を埋めて秋守がぎゅっと抱きしめる。それは吹き出る不安を必死にこらえているみたいだった。



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