第60話 「好き」を説明してください。▼




【魔王城】


「お待ちください、ゴルゴタ様」


 しっかりとダチュラに腕を掴まれて後ろ手に固められており、蓮花は動くことが全くできない。

 打ち付けた箇所がジンジンと痛んだが蓮花は抵抗せず、腕を捻りあげられるまま指一本動かさなかった。抵抗したところで、抜け出せそうにないと判断する。

 顔を擦りつけているカーペットから、血の匂いがした。


「んだよ……くだらねぇ事だったらひでぇ目に遭わせるぞ」


 心底ゴルゴタは嫌そうな反応をしながらダチュラを睨む。


「その人間の女はナイフを持っていました。後ろから襲うつもりだったのかもしれません」

「あぁ? コイツがンなことするわけねぇだろ……しらけるようなことすんなよなぁ……?」

「……何故そう信用を置くのですか? この女は人間なんですよ?」


 ゴルゴタはダチュラに近寄って、その腕を掴みあげて蓮花から引きはがす。

 そのままダチュラの腕をゴルゴタは握りつぶした。

 バキバキッ……グチャッ……という、ここ最近では聞きなれた音が聞こえた。骨が枝のように折られ、そのまま肉を握りつぶす。

 ダチュラの腕はゴルゴタに毟り取られ、彼女は断末魔の如き叫び声をあげた。


「あぁあぁあああぁああっ!!!」

「うるせぇよ……」


 引きちぎった腕をその辺に捨て、ゴルゴタは叫んでいるダチュラの口に手を突っ込み、下の顎を掴んだ。


「あが……ぁ……あ……っ」

「下顎を毟り取ったら二度と叫べなくなるよなぁ……? キヒヒヒヒ……」


 力を徐々に込めてゆっくりと下顎を引きちぎろうとしているゴルゴタを、蓮花は黙って見ていた。ダチュラは目を赤くして涙を浮かべ、ゴルゴタを凝視している。

 蓮花が舌を出して、指で触ると指には血がついていた。転んだ拍子に口の中を切ったのか、血の味が広がっている。


「………………」


 あまりに見慣れた光景だ。

 女だろうが、子供だろうが、老人だろうが、ゴルゴタは容赦がない。

 蓮花はその様子を見て、加虐行為に性的に興奮するタイプかと最初は思ったが、どうやら加虐行為というのはゴルゴタにとっては、食べる、寝る、といった行為とそれほど変わりはないらしい。


 ――ゆっくりやるところが加虐嗜好っぽい……


 ダチュラは手を突っ込まれている口からダラダラと唾液が溢れ出てしまっている。

 それを見て、蓮花は眉をひそめながら蓮花は漸く止めに入った。


「…………こんなに綺麗な女性なのに、顔に傷が残ったら可哀想ですよ」


 自分の口内の傷を回復魔法で癒しながら、打ち捨てられたダチュラの手を拾い上げてダチュラの腕に回復魔法をかけて丁寧に繋げた。傷痕は多少ついた程度でほぼ引きちぎられる前の状態になる。

 彼女の顔を良く見ると、既に大怪我を負った痕が少し残っていることに蓮花は気づく。見たところ、結構な大怪我をしたらしい。


 ――下手な回復魔法……


 そう思いながら、蓮花はゴルゴタの方を見る。


「この女性、貴方の事が好きなんですよ。多分」

「あぁ……あぐ……ぁ……!」

「あぁん?」


 ゴルゴタがそれを聞いてダチュラの口から手を引き抜くと、ゴルゴタの手にはべったりとダチュラの唾液がついてしまっていた。

 繋げられた腕を蓮花から奪い返し、口から垂れていた唾液をダチュラは拭う。


「きったねぇ……」


 ゴルゴタは水の魔法で手を洗い流した後に、まだ苦しそうにしているダチュラの髪を掴みあげた。


「“好き”ぃ……?」

「…………」

「あー……そういう聞き方をしたら、答えづらいと思いますけど……」

「はぁ?」

「あの、えーと……つまり、ゴルゴタ様は人間の女である私の事を好きにならないし、私もゴルゴタ様のことを好きになったりしないですから、そうヤキモチを焼かないでください。たまたま私の性別が女だってだけのことですよ」

「っ……!」


 ダチュラは顔を赤くしてゴルゴタから必死に目を背ける。あまりにも分かりやすい反応だった。


「何言ってんだ? てめぇ……?」

「だから、好きな人が別の女性を構っていたら、嫉妬するじゃないですか。でも、ゴルゴタ様は最終的に私も殺すつもりですし、私も人類を滅ぼしたいだけなので、そう私を邪見にしないでください。誓って何もないですよ。私には利用価値があるってだけで――――」

「やめて!」


 黙っていたダチュラが蓮花に向かって声を上げた。それを聞いて蓮花は驚いて少しばかり肩がビクッと跳ねる。


「そんなんじゃないわ……あたしは……忠誠を誓って、支えようと考えてるだけよ……」

「…………」


 どうやら、ダチュラはゴルゴタに対して好意を告白するつもりはないらしい。

 ならば、自分がこれ以上口をはさむのも野暮なことだと思い、蓮花はそれ以上は言及しないことにした。


「なら別にいいですけど。私のこのナイフは持ち歩いていないと落ち着かないだけですから。誤解を与えてしまってごめんなさい。さやとかがないので、剥き出しになってしまいますが……」


 持っているナイフをどう敵意がないように持てばいいかどうか分からないが、蓮花はナイフの刃を下に向け、胸に抱きしめることで敵意がないことを示す。


「それに、ゴルゴタ様はナイフで刺したくらいじゃ死なないことくらい分かってますよ。殺す気もないですし、襲ったりしません。安心してください」


 そう言っている蓮花を見て、ダチュラはまだかすかに赤らんでいる険しい表情をしている。


「…………おかしなことをしたら、すぐにでもお前を殺すわ」

「目測を誤って誤解で殺さないでくださいね。何にもやましいことは考えてないですよ」


 ゴルゴタは2人の会話を黙って聞いていた。首を少し傾げて不思議そうな表情をしている。

 会話が終わったところでダチュラの髪の毛から手を放した。


「いいかぁ……? コイツがもし下手なことしでかすようなら、両手両足を切断して首輪でもつけておけばいい話だ……そうだろぉ……? ヒャハハハッ」


 あまりにも乱暴な考え方に、蓮花は呆れた。手がなくなったら魔法を使うこともできなくなるというのに。


「分かったらコイツに手ぇ出すなよ。便利な俺様の玩具おもちゃなんだからなぁ……?」

「……分かりました。申し訳ございませんでした……ゴルゴタ様」

「分かったら行け。おい、行くぞ。人殺し」

「はい」


 ダチュラは納得していない様子だったが、ゴルゴタに言われたとおりにその場から去った。ゴルゴタは何事もなかったかのように“ジジイ”のいる部屋へと向かう。その後ろを蓮花はついて行った。

 ダチュラが見えなくなって、声も聞こえないほどに離れた後に、蓮花はゴルゴタに話しかける。


「あの……聞いても良いですか?」

「なんだよ。うるせぇなぁ……女ってのは全員うるせぇのか?」

「私は静かな方だと思いますけど……。あの女性にわざと冷たく……っていうか、わざとイジメてるんですか?」

「はぁ?」


 歩いていた脚を止めて、ゴルゴタは蓮花の方を振り返る。


「好きな人に意地悪しちゃう的な。……まぁ、腕を引きちぎったり、顎を毟り取ろうっていうのは明らかに意地悪っていう領域を逸脱してるんですけど」


 その蓮花の疑問に対して、ゴルゴタは少しばかり考えた後に、ゴルゴタ自身が疑問に思ったことについて口に出す。


「“好き”ってなんだ……? さっきから、わけわかんねぇ話をしやがって……」

「え……?」

「あぁ?」

「…………え?」


 あまりにも予想外の質問を返されて、蓮花は怪訝けげんな表情をしてゴルゴタを見つめた。

 それとも、彼なりの小粋なジョークか何かだろうかと思い、最終返答を待ってみるがゴルゴタはその続きの言葉を何も言わない。

 その話の間にゴルゴタは蓮花の二の腕を掴み上げ、力を入れて蓮花を急かす。


「だから、なんだってんだよ? もったいぶらずに言え。腕をへし折るぞ……?」


 どうやら冗談で言っている訳ではなさそうだ。力がそれ以上強くならないうちに、蓮花は話を再開した。


「“好き”って……分からないですか?」

「食い物の好き嫌いって話かぁ? まぁ、あいつは美味そうじゃねぇと思うけどよぉ……脂身ばっかって感じ」


 ――新手のジョーク……とかじゃないよね……?


「え……? いやいや、そうじゃなくて……あの……なんか、こう……その対象に夢中になるっていうか、独り占めしたいっていうか……お気に入りっていうか……そういう感覚です」

「その感覚が分かんねぇ。それって、どうしても殺したいってことか……?」


 どういう嗜好回路をしたら「好き」が「殺したい」になるのか蓮花はあまりピンとこなかったが、その考えも全く分からない訳でもなかった。

 ゴルゴタは蓮花から手を放し、再び「バキッ」と指を鳴らした。


「うーん……“愛してる”と“殺したい”はある意味、紙一重なところはありますけど……」


 掴まれた部分をさすりながら蓮花はそう言った。ゴルゴタは蓮花の言葉に、明らかな嫌悪感を示した。


「愛ぃ? そんなもんこの世にあるわけねぇだろ……ばっかじゃねぇの? きっしょくわる……」


 先ほどまでの不機嫌さとはまた違った様子でゴルゴタは顔を歪める。


「人間ってのは全員そんなおめでたいクソみてぇな感覚持ってんのかぁ……?」

「……確かに……愛なんて執着と欲望とそう区別はつかないですけどね」

「くっだらねぇ……自分のやってることを美化しすぎてるから、そんな“愛”とかいうクソみてぇな概念ができあがるんだろうよ……」


 ガリッ……ガリッ……ブチブチッ……


「…………」


 何か「愛」に対して思うところがあるのか、ゴルゴタはその概念そのものを卑下してこき下ろした。指を齧っているときは機嫌が悪いときだ。どうやら「愛」という言葉自体にゴルゴタは機嫌を損ねたらしい。

 かくいう蓮花も「愛」というものに対して懐疑的かいぎてきであったので、それを否定する余地もなかった。


 人間は簡単に「愛している」と言う。

 しかし、本当に「愛している」人はどれくらいいるのだろうか?

 無償で与え、許し、見返りを求めず、深い慈悲を相手に向ける人間など、どれほどいるのだろうかと蓮花は考える。

 何の見返りも求めないことは不可能だ。必ず自分が「そうしたい」という欲がある。それを相手に求めたり、押し付けたりすることには何の変りもない。どんなに無償に見えても、「そうしたい」という欲求を満たすために相手を利用していることには変わりない。

 それを「愛」と、呼べるのか蓮花には解らなかった。


 ――でも、理屈で詰めて行ったら「愛」なんて結局幻想になっちゃうよね……


 それでも、蓮花も、そしてゴルゴタも感じ取ることは出来ないけれど、この世のどこかに「愛」はあるのかもしれない。

 しかし、観測できないものに「ある」とか「ない」とかは蓮花は言えなかった。


 無言でゴルゴタは再び進行方向に向き直り、歩き出した。ずっと指の皮や肉を噛み千切り続けている。その血が滴って、床のカーペットを汚していく。

 そして、ある部屋の前まで来たところで、悪魔たちが部屋の番をしているのが見えた。


「お疲れ様です。ゴルゴタ様」


 それを無視してゴルゴタは扉を乱暴に蹴り破った。蹴り破った衝撃で扉の金具は確実に壊れてしまっただろう。

 門番の悪魔たちは緊張した面持ちでそれを見て青ざめていた。下手な反応をすればすぐさま首が床に落ちることになると直感している様子だ。


「おい、ジジイ! 仕事だ」


 ゴルゴタの乱暴な言葉と言動に、中にいた高齢の鬼族は「はぁ……」と短くため息をついた。



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