第43話 タカシと狼の話を聞いてください。▼




【メギド】


 やけに暖かいと感じる。


 身体がうまく動かない。


 妖精の森の修復の際に、魔力を使いすぎていた余波が今出ているのだろうか。

 呪印のせいで、本来の力が出せないせいもある。まさかこれほどまでに私が疲弊するとは思わなかった。


「……メギド、待ってろ。すぐに温かいところ連れてってやるからな」


 馬鹿者め、これしきのことで私がどうにかなるわけがないだろう。少し安めばすぐに元に戻るはずだ。


「…………」


 魔力をほぼ使い果たしたせいか、あまりの疲労感で私は声が出せなかった。

 ただぐったりとタカシの背中にもたれる事しかできない。人間に背負われるなど、初めてだ。幼い頃に母上やセンジュに背負われた以来、私は誰かに背負われたことはなかった。


 まったく……何をムキになっているやら……。


 タカシは私を背負った状態で足元の悪い中を懸命に進もうとする。

 傷が痛むのか、数珠の副作用なのか、タカシの歩みは遅く、ろくに足が進んで行かない。


「絶対に、助けてやるからな。もうちょっと頑張れよ」


 そんな速さでは、何日もかかってしまうぞ。

 そう言えばお前のことを「タニシ」と言って馬鹿にしたのもついこの間のことだったな。


「………………」


 やはり声が出せない。


 お前が私を助けるなど、とんだ笑い草だ。お前に何ができる? いつも私に守られてばかりの非力な男ではないか。


 どれだけ遅い歩みでも、脚が痛むのか時折苦しそうな声を漏らしても、ぬかるんだ地面に足を取られても、タカシは諦めることなく私を背負い直して一歩一歩湖から遠ざかる方向へ歩いて行く。

 タカシの脚を見ると、やはり止血の氷が溶けたようで出血し、タカシの歩いた後に血の道ができていた。脚の傷は思っているよりも深いようだ。結構な血が流れていた。


 よせ。また脚から結構な血が出ているではないか。お前が死ぬぞ。


 改めて止血する為に氷魔法を使おうにも、疲弊しきっている私はもう魔法を使うことができない。


 お前が死んだら私の気に入っていた服を破ってまで止血した意味がないではないか。

 それだけではない。

 お前が人間の王に刺し殺されそうになったときに助けた意味も、私がゴルゴタと対峙した際に『解呪の水』を捨てお前を助けた意味もなくなる。

 お前は私に、この世で一番の髪飾りを作る使命があるのだ。

 まして、お前は私の所有物だ。勝手に死ぬなど、許さないぞ。


 やはり、声が出ない。


「……見ておれんな。私の背に乗るがよい」


 狼は私たちをいい加減に背中に乗せた。タカシは私が落ちないように、しっかりと私の身体と狼の体毛を掴む。


「掴まっていろ。振り落とされるなよ」

「待って、ちょっと! うわぁああああっ!」


 狼は凄い速さで私とタカシを運んで湖から遠ざかった。魔力を大量に使った後やけに寒いと感じていたが、徐々に空気が温暖になって身体の震えも止まった。雪の積もっている場所から遠ざかり、暖かい日差しが私に届く場所まで到達する。


「ほら、温かくなってきた。メギド、大丈夫か?」


 それほど大騒ぎするほどのことではない。そんなに不安そうな顔をするな。私まで不安になってくる。


 暖かい場所にたどり着き、狼はタカシと私を背中から降ろした。

 私は不本意ながらそのまま地面の上に身体を横たわるような形になる。この短時間でも私は多少回復した。眩暈し、息が苦しいほどだったが、少しは和らいできている。


「……脚の止血をしてやる。動くな」


 タカシの脚の出血しているところを見て、狼はその傷口を氷の魔法で止血した。私が施したよりも強い氷の魔法だ。


「いってぇっ……!」


 脚の傷は確かに止血できていたが、かなり周りまで凍り付いてしまっている。タカシは自分の脚を再び抱え込んで痛みに震えていた。


 加減のわからん奴だ。組織が壊死したらどうする? 

 人間はたったそれだけで死ぬこともある軟弱な生き物なのだぞ。


「何故人間と魔王が共に行動している?」

「……いてててて…………俺たちは……メギドの仲間だ」


 仲間ではない。お前たちは私の家来だ。まったく、何度言っても分らん奴だ。


「現魔王が人間を使役するという話は聞いたことがない」

「メギドが俺の村にある日現れたんだ。最初は勇者を懲らしめる為に一緒に村を出たんだけどな、いつの間にか話がもっと大きくなって……人喰いアギエラが復活するって。それが復活したら人間が滅びるんだってよ」

「人間が?」

「だからゴルゴタを俺たちは倒さないといけないんだ。それで、俺たちはメギドと一緒に魔道具を集めてる。悪かったな、魔道具を必要としているやつは、俺たちだけじゃないよな」

「…………」


 狼はタカシの下手な説明を黙って聞いていた。


「話がよく見えないが、魔王は世代交代したのか?」

「いや、そうじゃなくて……なんて言うか……ゴルゴタっていう悪い奴にメギドの大切なネックレスが半分取られちまったんだ。そいつが今、魔王を名乗ってるんだけど、それでゴルゴタが人間を魔族に襲わせたり、魔族が暴れて町が崩壊したり、めちゃくちゃになってんだ」


 話が壊滅的に下手だ。私ならもっと上手く説明できるものを。

 まだ声が出ない。


「…………話はやはりよく見えないのだが……魔王は、人間を救うために旅にしているのか……?」

「そうだぜ」


 違う。それは最終目的に含まれる一部に過ぎない。誤解を招くような言い方をするな。


「それはにわかには信じがたい。魔王が人間を救うなど」

「だってそうなんだからしょうがないじゃん。な、メギド」

「………………」


 今すぐにでも口を魔法で塞いでやりたい。


「その件に関してもそうだが、魔王がこんなに消耗してまで森を復元した真意が分からない」

「そんなもん、簡単だろ」

「なんだ?」

「こいつが良い奴だからに決まってるだろ?」


 私はその答えを聞いて呆れた。腕が動くならば、頭を抱えていたところだろう。

 私が良い奴なわけがない。この虫は私のことを魔王だということを忘れているらしい。


「こいつ、口は悪いし、すぐに俺の事乗り物にするし、気に食わないと水ぶっかけたり、口を魔法で塞いだり、呪いをかけるぞって脅してきたりするけどさ」

「…………」

「でも、根は良い奴なんだって俺は思うからさ」


 ……………………。


「魔王が……“良い奴”だと……?」

「だって70年もずっと大きい争いがなかったのはこいつのおかげなんだって、改めて分かったよ。今はゴルゴタが好き放題して、大きな戦いになって、何人も、何十、何百って人間も魔族も死んでるって話を町の人間に聞いた。俺の仲間の家族も魔族に殺されたって……。最近そんな話ばっかりだ。俺はこんな状況を作って、人間を滅ぼそうとしてるゴルゴタを……許せねぇ……」


 タカシはわずかな殺気を抱いている様だったが、そんなものはすぐに掻き消えた。なぜなら、狼はそれ以上に殺気立っていたからだ。それに気づかずにタカシは雄弁に狼に対して持論を振るっている。


「……見てくれの正義を振りかざすな」


 狼の声は、怒りに震えていた。私に対して敵意を剥き出しにしていたときと何ら変わらない憤怒がその声から滲む。


「大きな争いがなかったと言ったな? その何を以て大小を決めている? 我が身に起きる災厄でなければ、どれも気に止めぬくせに、目の前の不幸にそのちっぽけな正義を振り翳すか?」

「そ、それは……」


 狼の言いたいことは、その初めの言葉だけで十分に私には理解できた。

 その後の発せられる言葉も、私には手に取るように解る。


「確かに魔族と人間の間に争いはなかった。だが、略奪はあった。人間など、業の深い生き物よ。奪っても奪っても、まだ足りないという顔をしている。そのくせ、矛盾した正義を振り翳し、偽りの涙を流し、あたかも自分が正しいと妄信している……虫唾の走る害悪よ。そういう部分は天使族にそっくりだ」


 どの言葉も、それには同意せざるを得ない。


「に、人間が全員そうってわけじゃねぇよ! 天使族は……知らないけどさ」

「魔族はその間、人間の脅威に震えていた。けして平和だったわけではない。魔王が人間を殺すなという制約を我々に課したからだ。その禁を犯した者は想像を絶する苦痛を与えられる。だから逆らえない。魔王に攻撃を加えることもあたわず……どれほどそれが、魔族にとって屈辱的な仕打ちだったか……貴様に分かるか……?」


 反論する余地もない。その通りだ。


「…………わからねぇ……」

「貴様が知らない数多あまたの不幸がこの世にはあるのだ。貴様が知っている不幸など、その一握りにも及ばないほどにすぎない。平和だったなどというのは貴様のまやかしだ。制約が消えたこれがありのままの世界の姿だ。憎み合い、殺し合い、おとしめめ合い、奪い合う。それがこの世の常だ。魔王のやり方がどれだけ不合理なものだったか!」


 そうだ。

 私は不合理なことをした。

 何が正しい、何が悪い、そんなものはその時代の背景が決める事。私が決める事ではない。

 だが、私は魔の王としてけして些細な事でも人間とは争わないことを決め、個々の意志は尊重せずに魔族全体に制約を課した。


「そんなの……! そんなの、俺にはわっかんねぇよ!」」


 タカシは反論する術がないのか、歯を食いしばって狼を睨みつける。

 反論できないのも無理はない。

 私だって反論できないのに、この虫に反論ができるわけがない。


「そうだろうな。貴様などには想像もできないほどの量の涙と血が今も日々流れているのだ! 目先の不幸に浅はかな正義を振り翳すな!」

「解んなくたって、今から解ろうとすることはできるはずだろ! 最初は誰だって知らねぇんだよ! お前だって生まれた時からなんでも解ってたのか!?」


 狼は強気な態度で無茶苦茶な反論をするタカシに、若干気圧されているようだった。


「世界だっていくらでも変えられる! なんでそっちを変えようと思わないんだよ!? 俺たちは許し合って、助け合って、褒め合って、与え合うことができる! なんで決めつけて諦めるんだよ!」


 世界の常を……変えるだと……? 馬鹿なことを……。


「歴史とか良く知らねぇけどさ、メギドは人間と魔族の争いの歴史を変えようとしたんだろ!? なんでメギドを責めるんだよ!? 始めた喧嘩は、どっちからかやめないといけないだろ!? メギドは先にやめたんだから、偉いだろうが!!」


 私は王だ。責められても仕方がない立場なのだ。

 私を憎むことだけで済むのなら、それだけでいいではないか。異種族同士ではなく、同族であるならそう争いも激化しない。まして、私のような絶対的な力の前に等しくひれ伏すのなら、憎しみを通り越して諦めへと変わる。

 新しい世代に延々と過去の遺恨の憎しみを継いでいくなど、馬鹿げていると思わないか?


「好き勝手なことを……それで犠牲になった者が多くいるのだぞ……!」

「それで幸せになったやつだってたくさんいるはずだ! そんなの天秤にかけてどっちが良かったとか、悪かったとか、言えねぇよ! どっちを選んでも、苦しむ奴もいるし、助かる奴もいるだろ! 過去は変えられねぇけど、これからの未来は変えられる!」


 …………結局、私が選んだ道でも、私が選ばなかった道でも、結局血は流れるだろう。

 だが、私が選択した道で血が流れたのなら、それは私の責任だ。


「メギドは戦いを治めて平和を目指したんだ! それの何が悪いんだよ! 確かに、強引だったかもしれないし、戦争以外の問題は沢山あるかもしれないけど……それはメギドのせいだけじゃないだろ! メギドに全部背負わせんなよ!」


 ………………………。


「助け合っていくには、誰かのせいとかじゃなくて、みんなで許し合うしかないだろ!」

「ならば、今貴様らが討とうとしているゴルゴタという者を許す気はあるのか!? 許せないと言っていたのは貴様であろう! そういった矛盾した正義に虫唾が走るのだ!」


 そうだな。この虫の言っていることは滅茶苦茶だ。論理なんてどこにもない。ただ、感情に任せて話しているだけ。

 どれだけ綺麗事を述べても、人間は受けた雪辱を忘れない。芽生えた憎しみを捨てたりしない。

 愛情をうたった口で、激しい憎しみを吐露する。

 優しく撫でた手で、剣を振るう。

 それを嫌という程、私は知っている。

 だから、この虫がゴルゴタを「許す」などとは――――


「確かに今は許せねぇけど!! それでも許せる余地はある!!」


 ……!


「ややこしいことはわかんねぇ。でもな、そいつが心の底から反省して、ごめんなさいって言って償いをするなら許す!!」


 ……………………。


「誰だってなぁ! 変われるんだ! どんなに取り返しのつかないことをしたとしても、どんなにどん底に落ちて行こうと……! 自分が反省して変わろうって気持ちを持って、前向きに歩き出した時から償いになるんだ! 誰だって間違える事くらいあるだろ! お前は間違えたことねぇのかよ!?」


 ………………笑えるな。徹頭徹尾、どこまでも笑える話だ。

 まったく……とんだ笑い草だ。


 ……馬鹿馬鹿しい。

 

「やめろ……それ以上は身体がむず痒くなってくる」


 私がようやく声を出せるまでに回復し、身体をゆっくりと起こしながら双方に向かってそう言った。



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