嗚呼、我ら竜医学部生なり
亜々阿 悪太郎
第1話 我ら永崎県民なり
六月の永崎は蒸し暑い。
んにゃ五月も七月も八月も九月も下手すりゃ十月も蒸し暑い。
まともな永崎県民ならクーラーのない所には一秒でも居たくないほどだ。
だからといって六月の夕暮れ時、曇った空の下
風頭公園の展望台で夜景の成りかけを見下ろす二人の少年がまともじゃないわけじゃあない。
「いい考えだろ?ここならどう飛んでも見逃がさないと思うんだよ」
森山少年は「ああそうだね」という返事以外許さないといった笑顔でもう一人の少年に語りかけた。
「……ああそうだね」
岩永少年は三点リーダー二つ分の空白で無言の抗議をしたが相手には届かなかっただろう。
岩永は吹き出す汗を全身で感じながら、昨日見かけたものを森山に教えたことを後悔した。
「多分ニノが見たのは矢幡の蛇だと思うんだよ」
「あの少ない情報でどうしてわかるんだ?」
岩永の言うあの情報とは、学校の帰り道で視界の斜め右端で何かを捉えた、よく見れば竜が人を乗せて飛んでた、どーだいいだろ!という
ディスニーのクリスマスキャロルンで貧乏な家族が食べていた向こう側が透けているハムくらい薄い自慢だ。
ただ竜オタクの森山のマニア魂に火をつけるには十分だった(マニアかオタクかはっきりしてほしいところだ)
絶対に飛んでる竜を見る!お前も付き合え!ということになり
二人は今、永崎の街を見渡せて通学路から遠くない風頭公園にいるのだ。
話を戻そう。
「どうしてって、昨日は六月一日でくんちの小屋入りの日だから他の神社に挨拶に行くんだよ」
小屋入りというのは、永崎で十月あたりにやるお祭りおくんちで披露する出し物の練習を始めますよ、という日だ。
「ああそうなの、竜も忙しいんだな……って昨日が小屋入りの為に飛んでたなら、もう飛ばないんじゃないか?」
岩永の言う通りだ、挨拶を済ませているならもう竜が飛ぶ必要は無い。
飛べないものや小型のものは、家畜としてや金持ちのペットとして扱われる竜も多くいるが蛇踊りをするような竜は国宝として大切にされている。
怪我したらあぶねえから、むやみやたらに神社とか管理してる土地から出してはいけないのだ(だから街を飛んでる竜はレアなの)
「いや、くんちの稽古期間だけは結構飛ぶんだよ。ホームページに書いてた」
なんでそうなる、の「そ」と「う」の間くらいで森山がカットインしてきた。
「神社ではできないんだってよ、せまくって練習には使えないし竜息地は巫女さんとかんなぎさんしか入れないから駐車場とか広い所でやるんだって」
矢幡神社は坂の多い街永崎の象徴のような場所だ、恐ろしいほどの階段を登った先の
僅かな土地に拝殿や社務所が詰め込まれているのだ。
広大な土地の必要な竜を管理するスペース、竜息地を確保するためでもあるが
矢幡神社は狭い。
「はあ……はやく竜来ないかな」
「やっとニノも竜の魅力に気が付いたか、飛んでる竜って特にきれいなんだよな」
やっぱ東洋竜はかっこいいよな、とかまだ子供なのに8m近くあるんだってとか続けているが
その言葉はどこにも届かない、岩永が魅力に気付いたのはクーラーの利いた部屋だ。
もともと知ってはいたが二時間近く外の暑さと高すぎる湿度にあてられた彼はとっとと帰りたかった。
だけど森山が諦めて帰ってくれるわけでも自分を逃がしてくれる訳でもないことも知っていたから
とっとと竜に現れてもらい胸を張って帰れるようになりたかったのだ。
がそろそろ我慢も限界だ、ここは森山をだまして帰ろうと岩永は動いた
「デイリーで冷たい物買ってくる、なんかいるか?」
「わるいよ、俺が誘ったんだからパシリなら俺が行くって、ホワイトモンブランだろ?」
「……ああ、ありがとう」
「おう、荷物みといて」
いつの時代も善意は悪意に打ち勝つ。
森山の背中を見つめながら、岩永は論理の時間にならったかならってないかわからないがそんな言葉を思い出した。
まあ彼の荷物をほっぽらかして帰れない自分もたいがい善意の人ではあるが……と少年は深くため息をついた。
ちなみにホワイトモンブランとは岩永少年お気に入りのアイスクリームだ。
棒に刺さったバニラアイスをホワイトチョコでコーティングして、その上にクランチをまぶしたものだ。
棒にアタリと書いてあったらもう一本もらえたりはしないが、現金1000円もらえるという
ちょうど色んな偉い人がお目こぼししてあげやすい、ちびっ子様賭博アイスだ。
あたりもうす暗くなり、見下ろす街もポツリポツリと灯りをともし始めた。
外灯にたかる虫もだいぶ増えてきた。
ガや羽アリを押しのけてガンガン体当たりするカナブンってなんか弱小校なのに頑張ってる高校球児みたいだね。
岩永少年は森山のいない時に竜が通り過ぎていたと嘘を教えて帰ろうか考えていた。
その時だ、視界の隅に小さくて細長いシルエットが浮かんだ、本当に来てしまったのだ。竜だ。
海蛇のようにゆったりと体をくねらせながら、空をゆったりと泳いでいる。
ように見えるがこの距離であれだけ動いているから実際にはかなりのスピードが出ているのだろう。
と感心している場合ではないぞ岩永、証拠の写真をスマホに収めとかないと森山がまた面倒な事を言い始めるだろう。
だが暗いし遠い、うまく映りそうにない。動画でも同じだようだ。考えた岩永はフラッシュを最大にして撮影ボタンを押した。
「だめだ、遠すぎる」
被写体が写っていないわけではないが言われないと分からない程度の大きさの黒い影しか残っていない。
もう一度くらい撮れるかと顔をあげると、影が小さくなっている。
こりゃダメだなと思ったが一応レンズを向けて岩永は気が付いた。
違う。遠くに行ったんじゃない、自分から見て横向きだった竜がこちらを向いている。いやこっちに向かってきているんだ。
フラッシュがまずかったのか、怒っているのか、ただ単にこちら側が進路なのか
小さかったシルエットがあっと言う間に色や形をはっきりとさせながら近づいてくる。
竜のほうは大きな目を見開いて、見え方のせいか口角が上がっているようになっている為、アルカイックスマイルを浮かべているように見える。
岩永少年にとってそれはそれで不気味だが、それ以上に怖いのが背に乗る女だ。
上品じゃないタイプの金色をした長髪が、風圧で縦横無尽に揺れまくっているのに完全に座った眼でこちらを見据えている。
右手には先っぽにバレーボールくらいの大きさの球がついた棒を掲げている。
あるかどうか知らないけど神様のカチコミってこんな感じなんだろうな。
高度の下げ方から見て完全に岩永へと向かってきている。
直接ドーンとたいあたりされたら、岩永の内臓パーンなっちゃう。そう思った彼は外灯の後ろに素早く隠れた。
一瞬前までトップギアで飛んできていた竜が擬音をつけるなら「キキッー」という動きで減速し岩永の居る展望台に二つの円を描くように旋回しながら降り立った。
距離はまだちょっとあるが、太すぎるゴムホースのような竜はこちらを見つめている。
女の方は竜からピョンと降りると着ている黒いダウンジャケットのファスナーを全開にして、
球のついた棒を両手で持ち、思い切り伸びをした。もちろん眼は座ったままだ。
竜が一瞬で少年との距離を詰めた。小さく飛んだようにも大きくはねたようにも見えた。
空から羽がふわりと落ちたように優しく着地すると大きな目を見開いたまま竜は首を傾げた。
かわいそうに岩永は、あまりにも信じられないことが瞬く間に起きてしまったせいでフリーズしてしまった。
「大丈夫よぉあんま噛まんけん、人間の肉は好かんとよ」
女がその容姿からは想像もつかないようなおっとりとした永崎弁で言ったから、岩永はその言葉が一瞬竜が言ったのではと勘違いした。
「あ、あんまりですか?」
フンフンと鼻を押し付けてくる竜から離れようとあとずさりしながら聞く。残念しっかりついてくる。
「うん、遊びん時は甘噛みしてくるけど血は出んごとすっけん」
彼女は細長いタバコに火を付けながら答えた。
「すいません、フラッシュ焚いて勝手に撮影したことは謝ります、出来心だったんです。」
竜は岩永の手の匂いが気にいったらしく、しつこく嗅いでいる。
この時彼は、竜の鼻が犬みたいに湿っていること知った(知りたかったわけではない)
「?なんか知らんけど、許す!」
女は本当においしそうにタバコを吸いながら、嬉しそうに笑って許した。
「ほら豊穣!人の嫌がることしたらダメよ」
そういいながら彼女が岩永を助けてくれたのは細くて重いタバコを二本しっかり吸い終えた後だった。
その為、少年の服はすこししっとりしていた。
「ごめんごめんて、一本吸う?」
展望台のベンチに腰掛けると彼女は少年に向かって紅白のタバコの箱を差し出してきた。やっぱり眼は座っている。怖い。
「学生服着てる人間にタバコを進めないでください」
「大丈夫、大丈夫うちも吸い始めは未成年やったし」
彼女は言いながら百円ライターで指の皮を傷つけながらタバコに火をつけた。本当に幸せそうな笑顔で吸う。
「なおさらやめて下さい!」
「いやほんとごめんね、ごくごくたまーにあるとよ、なんかわからんけど豊穣が人を気に入ってくんくんしちゃうと」
「フラッシュ炊いたのに怒ってたんじゃないんですね」
「多分なかよ、あの子怒ったら徹底的に無視する陰湿なタイプやし」
さきほどまで岩永少年に絡んでいた、豊穣と呼ばれる竜は外灯に絡みついて灯りに突撃している虫どもを不思議そうに見ていた。
「高校生?どこいっとっと?」
「西です」
「あらぁ頭良かとね、部活は?」
「ドラゴン同好会です、ネットでどういう竜がどこに住んでるとか調べてるみたいですね」
岩永は嘘を言っていないが虚偽は行った。たしかに彼はその怪しげな同好会に席はあるが、竜マニアの森山に頼み込まれて
幽霊部員として名前だけ置いているという状態だ。
それを「部活している」とは一般的に言わない。だから語尾が「みたいですね」になるみたいですね。
なお森山の卒業後は部員が0になるのでこの同好会の消滅も決まっている。悲しいみたいですね。
「へえーそんなんあるんやねぇ、相思相愛ってことは永大の竜医狙い?」
岩永は竜の事なんて好きでも嫌いでもないが、ドラゴン同好会に身を置きながらそう否定するのも面倒だと思った。
「ぐいぐい来ますね」
「そりゃぐいぐい行くよ、婿候補かもしれんし」
岩永少年は頭が真っ白になった。次に顔がカァーっと熱くなるのを感じた。
思考が停止していたが、豊穣が長い舌でペロリと外灯にたかる虫を一網打尽にするところを見て
「すごい」
とこぼれたところで脳みそを動かす歯車みたいなものが帰ってきた。
「聞き間違……」
「あっ」
ちょうど雲の隙間から大きな月が顔を出したせいだろうか、彼女が立ち上がった。
それに呼応するように竜がスルリと外灯から抜け出て女の元へと近寄った。
彼女は吸っていたタバコを無骨な黒い携帯灰皿に押し込むと、ベンチに置いていた棒を手に取り素早く竜にまたがった。
「丁度よかし、うちら帰るね。バイバイ」
豊穣はまた首を傾げた後、岩永の頬にさっき虫どもを捕食した舌で一舐めするとすぐに飛び上がった。
「待っとるけんね」
少年にはそう聞こえた気もするし、聞こえなかった気もする。
森山が走ってくる音とポリ袋の擦れる音は確かに聞こえたが「待っとるけんね」という言葉は微妙な所だ。
「え、なに?なんで!知り合い?竜いたよな?なんで?舐められてなかった?」
すげーこんな近くで見れたよ、と続けたが今回も森山少年の言葉は彼には届いていなかった。
彼が考えていたのはやっと家に帰れる、でも竜のよだれって火薬臭いんだなでもなかった。
永崎大学に行こう、そして森山と同じ竜医学部を受験しよう、だった。
岩永一、高三の六月、永崎が蒸し暑い日のことであった。
「僕ホワイトモンブランって言ったよね?」
「ごめん、なかったから同じ会社のトラキョウ君アイスにしたんだ」
自分から動かないと欲しい物は手に入らない。
同日にそういう教訓を思い知ったのも影響したかもしれない。
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