第87話 休戦協定

 現れた男は明らかに戦闘の心得があるように見える。

 ティナがこの状態ではとても戦える状況ではない。《転移》で逃げたいところだが、一度の《転移》では1体しか転移できない。ひとまず、ティナだけ逃がすか……しかし、そもそもスキルを使うまで待っててくれるものか?


 だが、急いで対応を考えている俺を前に、その男は静かに言う。


「こちらに今戦うつもりはない」


 そして、男はその場にどっしりと腰を下ろす。


「私の名はルーベン。この森の近くの町の町長をしている」


 こいつがティナの言っていた筋肉ダルマか!


「そんなやつがこんなところまで出向いてきて、何のようだ?」


「少し話がしたい」


「は?」


 町長ということは、討伐をしかけてきた張本人だろう。それが今更話し合いとはどういう了見だ?

 だが、この男、ルーベンは本当に話をすることが目的のように見える。


「キミがこのダンジョンのマスターと見るが、あっているかね?」


「……そうだ。俺が深緑のダンジョンのマスターのカインだ」


「まさか、獣人がマスターではなく、さらにその上がいたとはな……」


 ルーベンが小さく呟く。

 まぁ、これまで俺は一度も人間達の前には出ていかなかったからな。意図したわけではないが、ティナをダンジョンマスターと思うのも無理はない。

 俺は警戒を解かず、ルーベンに聞く。


「で、何のようだ?悪いが、やってきた冒険者は全員始末させてもらったぞ」


 そう言って俺は、横たわっている女冒険者を指差す。


「その話もあるが、まずは教えて欲しい。お前達がダンジョンを作るのは何が目的だ?」


「……人間達にはあまり馴染みがないのかもしれないが、この場は地脈の魔力があふれる『魔力溜まり』だった。放置していれば、災害を起こしかねん。それを防ぐために我々魔族はダンジョンを創り、魔力溜まりを解消してやるのだ」


「本当にそうだったのか……」


 また小さくルーベンが呟く。

 予想はしていたが、やはり人間たちは俺達が何をしているのか知らなかったらしい。いや、こいつは多少は知っていたのかもしれない。


「では、キミ達は人間をなぜ襲うのだ?」


「お前らがダンジョンを襲ってくるから、仕方なく排除に動くんだ。万一ダンジョンコアを獲られでもしたら、また魔力溜まりに逆戻りだ。むしろ、なんで災害を止める俺達を襲ってくるのか、逆に聞きたいね」


「それは……」


 ルーベンが口ごもる。


「あぁ聞いておいて悪いが、知ってるから答えなくていいぞ。お前ら人間は無駄な生活をするために魔石が欲しいんだろ?火を起こすのが面倒で、朝寝て夜起きていたくて、人間同士で殺し合いたくて、魔道具を使う、魔石を使う。つまり、自分達の都合で俺達魔族を殺しにくるんだ」


 ルーベンが口を開きかけるが、声には出さない。

 その表情はなんとも悔しそうな、それでいて悲しげな様子だ。


 そのままルーベンは俯き、考え事をしているようだったが、しばらくしてポツリと口を開く。


「こちらが手出しをしなければ、キミ達は我々に害をなすことはないのか?」


「ん?まぁ俺達は人間など襲っても何もいいことなんかないからな」


 そこで、ルーベンは立ち上がり、決意を込めた強い目つきでこちらを見据える。


「(旦那!ティナの姉御に《転移》を!)」


「(いや、大丈夫だろう)」


 俺は臨戦態勢をとるルビーを押し止める。

 そして、俺はルーベンを見返す。


「なんだ?」


「深緑のダンジョンのマスターよ。このダンジョンを攻略すべく作られた町の長として、交渉させてもらう」


 ふむ。「交渉」と来たか。


「これから1年間我々はダンジョンに踏み入らないことを約束する。代わりに我々の町を襲うことも止めて欲しい」


「……今回の戦いは俺達の勝ちだ。それでそっちが条件を決めるのか?」


「言っておくが、これは相当な譲歩をしている。もし、この交渉が決裂すれば、次はさらなる強者を連れてこのダンジョンを攻略することになる。それほどまでに領主様はこのダンジョンに期待されておられる」


 なんて迷惑な期待だ。


「……いくつか条件がある」


「聞こう」


「まず、ダンジョンの範囲はこちらで指定する。人間にダンジョンのエリアなど分かるまい。そうだな、また看板を置こう。それより中には入ってくるな」


「……よかろう」


「2つ目に、俺達は町を襲うことはしないが、野良魔獣は知らん。町を襲わない、という約束を守るのはダンジョンの魔族……お前ら流にいえば、魔獣だけだ」


「野良魔獣とダンジョンの魔族は違うのか?」


「違う。俺の管理下にない者がどうしようが責任は持たん。まぁ集団で町を襲うようなやつはいないだろう」


「仕方ない。飲もう」


「最後の条件だ。交易を認めろ」


「……ん?」


「それと分かるように使者を送る。使者の安全は確保し、自由に商売をさせろ」


「それは……」


「安心しろ。魔族を町に入れろとは言わん。要は我々と交易している者がいると感づいても見逃せ、ということだ」


「よく分からんが、魔族・魔獣が町に入らないなら構わん。認めよう」


 ……言ってみるもんだな。まさか最後の条件も受け入れられるとは。

 これはこっちにとって明らかにメリットが多いんじゃないか?


「代わりと言ってはなんだが、こちらからも1つある」


「……なんだ?」


「最初にも言ったが、イルミアは引き取らせてもらう」


 そう言って、ルーベンは女冒険者を指差す。

 このとんでもない女はイルミアというのか。


「……ダンジョン内にまだ生きている冒険者はいる。そっちは渡してやろう」


 この女は危険だ。いくら1年間は休戦といっても、本当にイルミアが守るかどうかは怪しい。なにより1年後には攻めてくることは間違いない。放って置いていい戦力じゃない。


「ダメだ。イルミアこそ渡してもらう。でなければ、この交渉はなしだ」


 ルーベンはこれについては強硬で、しかも、ついでとばかりに生きているのも引き渡せという。


「……仕方ない。飲もう」


「うむ」


「だが、イルミアの手綱はきちんと握っておけよ」


「……う、うむ。」


 おい、なんで自信なさげじゃなかったか?大丈夫なんだろうな。

 イルミアを始末できないのは大きな懸念材料だが、同レベルの冒険者に襲われれば同じこと。だったら、1年間の猶予を得られる方がよい。1年間あれば、ダンジョンコアランクも上げられるだろう。


「では、決まりだな」


 ルーベンが手を差し出してくる。


「あぁ、これで」


 俺はその手をとった。


「「一時休戦だ」」


 互いに力強く手を握りしめた。

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