第6話 忘れてしまった笑い方は ★



 セシリアに見据えられて、レガシーは反射的に身を引いた。


 透き通るような瞳と、まるでこちらの気持ちを全て見透かしたかのような言葉。

 それらを前にして、少し怯んで。

 しかしすぐに「逃げられないか」とでも言いたげに苦笑した。



 頭上を遮る木々の枝葉、その隙間からは青い空が垣間見える。

 綺麗だけど狭いその空を見上げながら、彼はまるで観念した様にポツリと口を開いた。


「……本当は、辛かったんだ。だって僕はただ『好きな事』について話しかっただけだし、実際にした事と言えばそのくらいだった。それなのに」


 以降、相手からは変な距離を取られ、周りには「変わった奴だ」という噂が立った。

 そんな周りの残酷さに、元々疎外感を感じていた幼い心は思いの外簡単に傷ついた。


「それでもちょっとは、相手に対して『申し訳ないな』って思った。だからその子に謝りに行ったんだよ」


 彼は、何故あんな態度を取ったのか。

 そこに黒い理由があるだなんて、全く思いもせずに、ただ素直に誤りに行ったのだ。

 そう彼は言った。

 


 彼のその言葉の先に何があるのか、セシリは既に思い至ってしまっていた。

 しかしそれでもセシリアは彼の声に口を挟んだりはしない。

 

 

彼が自分で吐露する事。

 それがこの場で最も大事な事なのだ。


 きちんと口にして、事実を認める。

 それが前に進むための第一歩だから。



 ただ静かに彼の言葉を待つセシリアに、レガシーはあくまでも自分のペースで、そして自分の言葉と感情で、言葉を紡ぐ。


「聞いたら、その子は言ってたよ。『お父様が言うからわざわざ話しかけてやったのにいきなり意味分かんない事ばっかり言って、気持ち悪いやつ』って」


 その声に、セシリアは「あぁやはり」と思った。

 

 結局その子が本の題名を当てたのも、親の入れ知恵だったのだろう。


 要は付け焼き刃以下の知識でレガシーの前に立ったのだ。

 そして、今までずっと疎外感を感じながらも何とか普通で居ようとしたレガシーの努力を、悪気もなく踏み抜いた上で罵った。


(やっぱり。だからさっき、彼の口から「大人の誰かにこの本の事を聞いたんだろ?」なんていう言葉が出てきたんだ)


 そうでなければ、そんな疑い方はしなかっただろう。


 

 その子の父親の行いには、もしかしたら『領地の為』という大義名分があったのかもしれないし、ただの私利私欲のためだったのかもしれない。

 しかし、どちらにしても。


(結果的に、傷つけた事には変わりない)


 無垢な子供の心を大人の事情で早々に汚しておいて、それでいてきっと、その事実に気づいてさえいないのだろう。

 セシリアは、そう思う。


 でなければ、彼の事を父から「彼は内向的な性格で、極度の社交嫌いらしい」などと教えられる筈が無いのだ。


(……それだって、もしもお父様が直に彼と対峙していれば一目で『違う』ってすぐに分かった筈だ)


 それほどに、彼の周りへの拒絶は一種の『異常』だった。

 しかし、おそらく周りは誰1人として彼の『異常』に気づかなかったのだろう。


 それこそ、彼の両親でさえ。


「最初はお父様に言おうとしたんだけど、その前に『他貴族の屋敷に行きたくないだなんて、そんなわがままを言うな』って言われて」


 そう言って笑った彼は、しかしとても寂しそうだった。


「誰も僕を理解してくれないし、理解できないだろうなって、僕自身思ったし」


 だって僕は、他とは違うから。

 そんな自分が周りにいくら話や歩調を合わせたところで、他と同じにはなれないんだと、分かってしまったから。


「だから、全部辞めたんだよ」


 そしたら今のこの状況っていうわけ。

 彼はそう言うと、「つまらない話でしょ? ごめんね、困らせて」と言って苦笑した。



 しかしそんな彼の言葉を、セシリアはすぐに「いいえ」と否定する。


「困る筈なんかありません。それどころか、とても嬉しいです」


 これは、紛れもないセシリアの本心だった。


 言葉とは、口にした瞬間にこの世に固定化される物だ。


 良い意味でも悪い意味でも、誰かの耳に届いた段階で、決してなかった事には出来ないし、ならない。


 彼は今日、自分の心を、想いを、自分自身の耳で聞いた。

 この場限りの話とするにしても、確かに今この瞬間、彼が自分で自分の心を吐露し、固定化した。


 自分の心と向き合い、一歩踏み出した。

 そんな彼を見る事が出来て、セシリアはとても嬉しい。



 周りはみんな、変わったレガシーの事を「警戒心が上がったせいで取り入りにくくなったな」とか「まったく、貴族の一員だというのに困ったものだ」とか。

 きっとそんな程度にしか思っていないのだろう。


 しかし、それでも。


「話してくれて、ありがとう」


 セシリアはもう、知っているから。

 傷付けられた心も、本当の気持ちも、相手を突き放す態度の先にある恐れや諦めも。

 

 だからもう一人じゃないんだよ、と伝えたい。



 言葉にすると陳腐な何かに成り下がってしまいそうな気がして、セシリアはその思いを「ありがとう」という言葉に込めた。


 そしてその「ありがとう」が、優しく彼の心をノックする。


「……変な奴だね、君」


 悪態とも取れるその言葉は、何故か不思議な温かみを帯びていた。

 ちょっと困ったように笑う彼は、明らかに笑い慣れていなくて。

 もしかしたら笑い方を忘れてしまったのかもしれないなと、セシリアはふと思う。


 しかし、それでも良いのだ。

 そんなものは、これからまたちょっとずつ思い出していけばいい。


「あ、そういえばまだ名乗ってなかったよね。僕は、レガシー・セルジアット。君の名前は……えっと、何だったっけ?」


 最初に名乗っていた気もするけど。

 ごめん、覚えてないや。


 素直にそう口にした彼にいっそ清々しいものを感じて、セシリアはクスクスと笑う。

 そして。


「私はセシリア・オルトガンと言います。これからよろしくお願いしますね、レガシー様」


 そう言って微笑んだ。




『誰かの目や噂より、自分の見たもの、その時に思った事を信じる事』。


 これはオルトガン伯爵家の教育方針の一つだ。


 人を色眼鏡で見ずに、きちんと本人を見て判断する。

 これは、セシリアがその大切さを改めて痛感する確かなキッカケとなった。




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 当該話数の裏話を更新しました。

 https://kakuyomu.jp/works/16816410413976685751/episodes/16816410413991619434


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