第20話 マリオネットを操って
セシリアの言葉を聞いた途端、侯爵がぴしりと体を固くしたのが分かった。
「……セシリア嬢、君はつい今しがた和解すると言ったばかりではないか」
恨みがましげに告げられたその声に、セシリアはしかしにこりと笑って応じる。
「はい、言いましたわ」
「ならば――」
一体どういうつもりだ。
そう続く筈の言葉を「ですが」という言葉が遮る。
そして。
「和解をしたからといって、必ずしも『劇』をする必要は無いでしょう?」
その言葉は、顔や声色に似合わず不遜にも聞こえる物言いだった。
セシリアとしてはその危険性に気付かない彼らに正しく呆れたが故の、そしてこの言葉に反発された所で言いまかすだけの自信があるからこその言葉だった。
そして。
(自分勝手な事を言ってるこの人達を一度キッチリ言い負かしてスッキリしたい)
そんな気持ちもあった。
そもそも、セシリアが気付いたソレにあのレレナが気づかない訳が無いのだ。
それを、どちらにしろこちらが拒絶するだろうと思っているのか、何一つ嗜めない。
そんな彼女の怠慢にイラっときたのも、彼らを挑発した理由の一つである。
(自分の面倒を他人になすりつけて……全く、こういうのは身内同士で片付けて欲しいよね)
しかし彼女のこの態度の厄介さは、セシリアが拒否しなければ事が実行されてしまうという所にある。
彼女がその姿勢を貫く以上、彼女に使われるしかない。
それが分かっているから、また悔しい。
と、まぁこんな風に事実としてはレレナがセシリアに一つマウントを取った形だったが、それに気付かない者が居た。
ヴォルド公爵だ。
「それはつまり、私達両家を敵に回すという事で良いんだな?」
セシリアへと向けられたのは、まるで地を這うかのような低音だった。
折角先ほどレレナがオブラートに包んでいた脅し文句を、ここで感情に任せて台無しにした辺り、彼の言動は「残念」としか言いようがない。
そもそも公爵は、クレアリンゼにこそ機嫌よく接していたが、元々ワルターの娘でもあるセシリアに対しては良い感情は抱いていないのだろう。
それは先の言動からも明らかだ。
しかし。
(貴族なのに本心を隠せないこの性分はどうなんだろう……)
呆れと共に、思わずそんな思考が脳裏をよぎる。
しかしすぐに「あぁ」と心中で納得した。
おそらく彼は、今まで一度もそうする必要性が見出せなかったのだろう。
なんせ彼は、『公爵』だ。
貴族界では頂点に位置する地位であり、この国ではその爵位に並ぶ者も居ない。
つまり。
(彼のこの率直さは正しく権力のゴリ押し足り得るんだ)
そしてナチュラルにその有用性を発揮するからこそ、あのレレナもそれを矯正しようとしないのである。
セシリアがそんな事を考えている間にも、彼は素直に不快感を向けてきていた。
そんな彼の視線を浴びながら、しかしセシリアは笑みを深めてこう言う。
「滅相もありません。『あなた方と敵対しよう』だなんて、私は全く思っていませんよ?」
まずはキッパリと否定した。
現にセシリアには、彼らと進んで対立する気など全く無い。
少なくとも、彼らがセシリアに不利益を齎さない限りは。
そして、だからこそ言わなければならないのだ。
互いのために。
「しかし『劇』がむしろ逆効果になってしまうのは、本末転倒でしょう?」
両家の為に言っている。
そう仄めかしたその声は、しかし浅慮な上に頭に血が上った相手には全く違うように聞こえた様だ。
「何を言う! お前がこちらの意に沿えば成功するに決まっているではないか!」
おそらく自分の案を貶されたと思ったのだろう、侯爵が、そう言って声を荒げる。
その反応からは、この計画が失敗するなどとは微塵も思っていない事が窺えた。
少なくとも彼の中では完璧なプランニングなのだろう。
実際、決して悪い案ではないのだ。
ただ。
(惜しむらくは、視野の狭さだ)
そのせいで、この計画の最も重要な部分への配慮が足りていない。
そして、それが一体何なのかという所に思い当たっていない。
だから、仕方がなしにセシリアが指摘してやる。
「この筋書きを演じる『劇』の登場人物は、何も私一人だけでは無いでしょう?」
柔らかな声でそう告げてから、セシリアは視線をもう一人の登場人物へと向けた。
彼女のその動きに、他の視線も引っ張られる。
そして、その視線の先に居たのは。
「……何だよ」
何を隠そう、仏頂面のクラウンだった。
やっと少し心を落ち着けてきていた彼は、しかし「セシリアによって自分がやり玉に挙げられた」と分かった瞬間にそのボルテージをまた1段階上げた。
そして反射的にその元凶を睨み付ける。
あからさまな敵対心を剥き出しにする、クラウン。
そんな彼に、セシリアは。
(『打てば響く』とは、まさにこの事だ)
そんな風に思い、一人心中でほくそ笑む。
直情的で、主観でしか物事を捉えられない。
そんな人間ほど操り易い人種は無く、今の彼がまさにそれだ。
セシリアにとって、これほど相性の良い人物も居ないだろう。
勿論、『マリオネットにするならば』という限定的な条件付けが必要ではあるが。
セシリアは、自身の顔を余裕の笑みで満たしてみせた。
それが彼の目にどう映るのかを、しっかりと自覚した上で。
すると、変化は劇的かつ予想通りに巻き起こる。
一層恨みの籠ったクラウンの視線。
そしてそれを見た侯爵と公爵が、ほぼ同時に苦い顔になる。
彼らも、やっと気付いたのだろう。
和解の意思どころか、相手への悪感情を余さず表に出している彼がこの『劇』の主役を担うには、いささか以上に役不足だという事に。
普通に話している今でさえ、気持ちを取り繕えていないのだ。
和解の演技などという、明らかに意に沿わないことをやらされようものなら。
「今の彼が侯爵のシナリオの通りの言動をした所で、周りが騙されてくれる筈がありません」
和解を見せつけるどころか、険悪さ露呈する結果になるだろう。
そしてそうなれば、ほぼ間違いなく関係悪化の噂が流れる。
そんな事を、侯爵達が望む筈無い。
そしてその結果に至った理由をこちらに擦りつけられるなど、セシリアはゴメンである。
「だからこそ、今回の件はお断りさせていただきます」
その声は、あくまでもふわりとしたものだった。
しかしその言葉は、キッパリと拒絶の意を述べている。
場には、数秒間の沈黙が舞い降りた。
彼女の言に、反論したい。
しかし実際には、彼女の言う通りなのだ。
確かに今のクラウンが『劇』の相手役をするのには、一抹の不安を覚えずにはいられない。
だからあちらは、皆それぞれにそんな思考の出口を求めて歯噛みする。
そんな中、沈黙を破ったのはクレアリンゼだった。
沈黙からゆっくり10秒ほどの後、彼女は席からスッと立ち上がる。
そして「何のつもりだ?」と言いたげな顔を順に見回して、完璧な笑顔を作った。
その笑顔は、おそらく事の行く末を楽観視させる効力を発したのだろう。
二人の当主は、その顔を安堵の表情に塗り替えた。
しかし、次の瞬間突きつけられたのは裏腹な現実だ。
「では皆様、お話は終わったようですので、私達はこれで」
「えっ?! ちょ、ちょっと待――」
「また後程、お茶会会場でお会いしましょう」
呼び止めようとした侯爵に、クレアリンゼは有無を言わせない声と微笑みをお見舞いした。
お陰で、静止の声は途中で見事に立ち消えた。
そしてそれを敢えて「退室の許可だ」と誤認して、セシリアと二人の使用人達を引き連れながらクレアリンゼはその部屋を後にしたのだった。
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