第24話
持田と斉藤が心配した通り、翔太は放課後になってもブラバンの部室には姿を見せなかった。
田口さんも翔太の行動パターンはとっくに分かっているので、何も言わず、ただ持田が生徒会長が「活動予定表に書いたものは実行するように言っている」旨のを報告すると一瞬険しい顔をし、それから「うーん」と唸って黙りこんでしまった。
「会長、本気でブラバン潰しにかかってんですかね」
「……別にブラバンに限ったことじゃないだろうけどな」
「どうします?」
「……どうって、お前……」
田口さんはまた黙りこんだ。
生徒会が怠けてるくせに部費をまきあげていく部活を是正したいのは分かっていた。その正義感と政治的手腕は立派だと思う。しかし、である。
持田は眉間に皺を寄せている田口さんを横目に様子を窺いながら考えていた。知らぬうちに話が進んでいて、逃げられないように外堀から埋められているのは、生徒会長の個人的な思惑があってのことではないのだろか。そしてその思惑は田口さんとの間に何らかの確執があるからではないのだろうか。
こういうのを当人に確かめてもいいものか、どうか。翔太ならどうするだろうか。まあ、馬鹿だからずばっと相手に当たるんだろうな。俺はそういうやり方しないけどね。持田はふむと少し思案すると、何事もなかったかのように楽器を用意し始めた。
「なんだよ、お前らほんと真面目だな。今日も練習すんの」
「だって、とりあえずできることやんないと」
「……なんの曲もできないのに……」
「だから、なんとかしないと」
「持田、お前、翔太に似てきたな」
「やめてくださいよ。あのアホと一緒にしないでください」
二人の会話を黙って聞いていた斉藤がぼそっと呟いた。
「野球部の応援曲って、なにするんすか……」
「……四人でできる曲、なあ……」
あの、いつもにこにこしてよく肥えた血色のいい斉藤が悲壮な表情で二人を見つめていた。
「俺、がんばりますから」
「は?」
「練習、がんばりますから」
「……デブ、お前まで翔太みたいなことを……」
田口さんはがくっと大袈裟に項垂れた。田口さんは思った。生徒会が外堀を埋めたのだとしたら、無意識のうちに内側から追い込みをかけているのはこいつらだ、と。腹をくくらないと駄目なのかな。
「……。分った。どうにかする。心配すんな」
おかしなことになってきた。翔太に懇願されて形だけでも参加してやればいいと思っていたはずなのに、今やすっかりブラバンを率いていく立場になっている。翔太の泣きそうな顔にほだされたのがいけなかったのだ。あと、あの純粋な情熱に。
田口さんは楽器ケースを引き寄せ、溜息をつくと「とりあえず基礎は大事だから」と二人にいつも通り指示を出した。
三人が部室でそうやって練習している頃、翔太はというと、案の定すでにクラスの奴に聞いた情報をもとに常山の家を訪ねていた。
翔太は自分に何かできるとは思っていなかった。そんなことにまで頭がまわっていなかった。ただ、会って、話してみたかった。それだけだった。その上で常山に対して何か言えることがあれば、言おう。それだけだった。
教えられた住所を地図で確認しながら辿って行くと、そこは閑静な情宅地で、大きな邸宅の並ぶ坂の上だった。
翔太は塀から覗く美しい庭や、重厚な門扉や、本格的な日本家屋から古い洋館のような家まで順番に眺めながら常山の家を探し歩いた。
夕暮れにはまだ早く、家並の前庭に植えられたバラが燦然と咲き誇っていた。
そうして見つけた常山の家は、豪華な家々の中でも一際大きなお屋敷だった。
翔太は表札を眺め、家の大きさを見上げ、思わず心がくじけそうになった。やっぱりやめようか、と。しかし、ここで諦めたらもう二度と常山に会えないような気がした。
翔太は深呼吸をし、インターフォンを鳴らした。
古風な格子戸の向こう側には飛び石が並び、玄関へと繋がっている。その玄関の脇には低く竹を組んだ枝折戸が設けてあり、細井小道が庭へと続いているらしかった。松の緑の美しさと、軒から吊るしたしのぶの鉢が一枚の絵のようだった。
しばらく待ってうろうろと中の様子を窺っていると、インターフォンから女の人の声が「どちらさま?」と聞こえてきた。
翔太は慌ててインターフォンに口元を寄せて、
「こんにちは。藤井翔太といいます。常山君はいますか」
「……」
姿は見えずともそのわずかな沈黙から翔太は「不審がられている」気配を感じ、急いで付け加えた。
「僕、常山君と同じクラスで……。ツネちゃん、じゃなくて、常山君ずっと休んでるからお見舞いににと思って」
「……少々お待ち下さい」
女の人はひっそりと告げると、ぷつっと音を立ててインターフォンを切った。
翔太はこれっぱかしも考えていなかった。もしかしたら常山が会ってくれないかもしれない、とは。とにかくこうしてやって来ればどうにかなるという気持ちしかなかった。そんな自分の浅はかさに今ここに来て初めて気づき、次第に不安になり始めていた。
もし会ってくれなかったら。一体どうしたらいいのだろう。それに、こうして押しかけてきたことが常山を怯えさせ、ますます学校から遠ざけるものだとしたら。
翔太は持田と斉藤に一緒に来てもらえばよかったと、今になって思った。持田ならこんなことにも初めから気づいただろうし、斉藤が一緒なら常山もちょっとは安心してくれたかもしれない。
「……藤井君?」
その時、玄関の引き戸がそろりと開いたかと思うとわずかな隙間から常山が顔を覗かせ、目を丸くして翔太を見ていた。
「ツネちゃん!」
翔太は常山の顔を見た途端、急にほっとして、ぱっと顔を輝かせた。そして思わず動物園の猿のように格子戸をがたがた鳴らしながら、
「もー、ツネちゃん、どうしてたんだよう! 心配したんだよ!」
と情けない声をあげた。
常山は心底驚いた顔で玄関から出て来ると、飛び石をゆっくり踏んで格子戸を開けた。
翔太はさっき感じた不安が今度は急速にぶっ飛んで行くのを感じつつ、
「ツネちゃん、怪我は? どうした? 大丈夫か? 学校ずっと休んでるって聞いてさ。ほんと、どうしたんだよ。大丈夫なのかよ」
と一息にまくし立てた。常山の頬には大きな絆創膏が貼られていた。
「ちょ、ちょっと待って藤井君……。藤井君こそどうしたの、急に……」
「あのさ! 俺、停学終わったから! 複活したから!」
「……」
常山はジャージにTシャツというくつろいだ格好だったが、青白い顔色ときのこみたいな重い前髪のかぶさっているのは学校と同じで、翔太はそれを見ただけで俄然嬉しくなった。それはもううきうきと小躍りしたくなるほどに。
「お友達なの?」
格子戸を挟んで立っている二人に、玄関が大きく開かれ中からさっきの声の人物と思われる女の人が姿を現した。
翔太はその人を見た瞬間に、それが常山の母親だとすぐに認識することができた。なぜなら、整った細面の顔立ちと人形みたいに白い肌がそっくりだったから。
母親は翔太を見るとちょっと驚いた様子だったが、すぐににっこりと微笑んで、
「そんなところで話してないで、あがっていただきなさい」
と常山に声をかけた。
常山は一瞬困惑したような表情を浮かべた。が、それを見たからといって引き下がる翔太ではなかった。翔太は母親に向って元気よく「あっ、どうも! お邪魔します!」と言うと常山の横をすり抜けて飛び石をつたい、
「やー、どうもどうも。僕、ツネちゃんと同じクラスの藤井翔太です! ツネちゃん休んでるのが心配で! あ、生徒会長も心配して僕に様子見てくるようにって言うもんですから、急に来ちゃってどーもすみません」
常山が何らかのリアクションをとる暇など与えず、翔太は大きな声で母親に向ってぺらぺらと喋りながらずんずん玄関へと突き進んで行った。
「ツネちゃーん、会長が早く復帰して図書委員の仕事して欲しいって言ってたよ!」
そう言いながら格子戸の傍で呆然としてる常山を振り向いた。
こんな調子のいい、屈託のない明るさの裏で、翔太の心臓はばくばくと早鐘を打っていた。自分の無茶苦茶な強引さがいつでも功を奏するわけではないのは分かっていた。常山に拒絶されたらもうどうすることもできないのだから。
だから。だから翔太は常山に向って渾身の笑顔を見せた。歯をむき出しにして、思いきり笑った。
「藤井君……」
常山はまた目を丸くして翔太のわざとらしい笑顔を見つめ、それから初めて、ふっと微かに笑った。
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