第21話
翔太と石井への事情聴取と、その場にいた全員の目撃談により処罰はすぐに下った。
持田と斉藤はその裁定を聞くや頭を抱え込んだ。
「喧嘩はいかなる理由があろうとも、先に手を出した者が、悪い」というこの学校のルールに従って、翔太には二週間の停学処分が下り、石井には五日間の謹慎の命が下った。
「石井が悪いのに、なんで翔太が停学!」
放課後の部室で田口先輩に事の成り行きを報告しながら、持田はすっかり憤っていた。
「翔太も翔太だよ。なんであいつあんな熱血野郎なんだよ。石井なんか放っときゃいいのに」
「そんなこと今言っても始まんないだろ」
斉藤が持田をなだめた。
「先に殴った方が悪いんだから」
「斉藤、お前本気で言ってんの? あんなんどう考えても石井が悪いだろ」
「だから。あそこでツネちゃんが殴ってたら、石井の方が罪重いっていうかさ。そうなったんだよ。でも翔太関係ないじゃん」
「ツネちゃんに喧嘩なんかできるわけないだろ……」
「まあね」
「ほんと翔太のやつ馬鹿なんだから」
持田は大きく溜息をついた。するとさっきから黙って聞いていた田口さんがおもむろに口を開いた。
「でもさ」
「……」
「あいつからその馬鹿で暑苦しいとこ取ったら何が残んの」
「……」
停学中、翔太は大量の反省文と宿題を課せられるらしい。無論、授業はおろか実習にも出られないのでその分の単位は非常に危ういことになる。これで翔太はこの先ちょっとのことでは欠席できないし、相当頑張って優秀な成績をとっていかないと「まずい」ことになった。
持田は内心、気弱でびくびくしっぱなしの常山に対して幾分の苛立ちを感じていた。有態に言うなら「あいつのせいじゃん」と。
いつも俯いて、誰とも口をきかない常山の姿は確かに見守ってやりたくもあり、しかし同時に嗜虐性に訴えかけるものがあると思う。もちろん、だからといっていじめていいわけではないし、それは卑劣な行為だと思うけれども。
持田は「いじめられる者にも原因がある」なんてことは戯言だと思っていたが、いざこうなってみると常山のおとなしさが歯痒かった。
そして、その当の常山は翔太が停学に決まってから学校に来ていないのだった。
「しょうがねえな。俺、帰るわ」
田口さんがむっつりと眉間に皺を寄せている持田に声をかけた。
「えっ」
「えっ、って、なんだよ」
「練習は……」
「練習って何するってんだよ」
「でも……」
「基礎。お前らは基礎やっといて。俺は帰ってスタジオで自習練すっから」
「二人で?!」
「三人も二人も一緒だろ」
「だったら三人でやりましょうよ」
「やだよ。辛気臭い。俺、暗いの嫌いなんだよ」
「じゃあ、明るくしますから」
「どうやって」
もう帰り支度をして鞄と楽器を手にエンジニアブーツを履きかけている田口さんに、持田は慌てて追いすがろうとした。
「素人二人じゃどうにもなんないっすよ」
「大島呼んで来いよ」
「田口さん、頼んますよう」
「あのね。俺はそもそもあの熱血馬鹿野郎に頼まれて来てやってんだよ」
「まあ、そう言わずに」
田口さんは翔太の行動を非難するつもりはなかったが、ちょっと呆れているのも事実だった。他人をかばって自分が停学になってるんじゃあ世話はない。
とその時、ドアが開くのと同時に「お前ら、これ、どういうことだ!」と血相を変えて大島が飛びこんできた。
「あ、ちょうどいいとこに」
田口さんは実に気安く、
「おーちゃん、ちょうどよかった。俺、帰るからこいつらの練習つきあってやってよ」
と声をかけた。
が、大島はほとんど悲鳴にも似た叫び声をあげた。
「馬鹿! それどころじゃねえよ!」
大島の姿はいつものやる気のないのらくらした風情とはまるで違っていて、髪を振り乱し、どうやら走ってきたらしく汗をだらだら流していた。
「おーちゃん、どうした。大丈夫か?」
「おいデブ! これ書いたのお前か?!」
大島が斉藤に向って怒鳴ると、手にしていた紙きれを眼前に突き出した。
「え? なになに? どうした?」
田口さんが斉藤の前に突きつけられた紙を、横から首を伸ばして覗き込んだ。それは生徒会に提出したはずの活動予定表だった。そう、「適当に書いておけ」と言われて斉藤が書いた向こう一年間のブラバンの活動予定表。
斉藤にしてみれば右も左も分からないブラバンの活動予定など書きようもなかったのだが、田口さんの「予定は未定」という言葉に後押しされ、本当に適当に聞きかじったことを書き連ねて提出したものだった。その、提出し受理されたはずの書類が今なぜ目の前に突き出されていて、しかも大島はこんなにも興奮しているのか。斉藤にはさっぱりわけが分からなかった。
「なんか問題が?」
大島の手から予定表を取り上げると田口さんが不思議そうな顔で、大島を見上げた。
「お前、その予定表の内容知ってんのか」
「いや、知らん。でも、こんなの毎年適当に書いててそれでオッケーっていうか、誰もチェックしてないじゃん。別に問題ないだろ」
「馬鹿!」
大島が一層大きな声で怒鳴った。
「生徒会が今年から厳しいのは分かってたんじゃないのか!」
「監査ならちゃんと生徒会は納得したじゃん」
「監査だけの話じゃない! お前ら……俺がさっき職員室で近藤先生になんて言われたか知ってるか?」
「いや知らん」
田口さんが冷たく返す。しかし大島はそれにかまうどころではないらしく、今度はもっと大きな声で怒鳴った。
「ブラバンが試合の応援に来てくれるそうで、ありがとうございます! だと!」
「ええ!!」
三人は仰天し、飛びあがった。
「試合ってなに!」
「近藤って野球部の顧問じゃなかったか?」
「え、まさか、応援って来月の試合のこと?」
「誰がこんなこと考えやがった!」
大島は真っ赤に上気して、怒りと興奮のあまり震えていた。
「デブ、どういうつもりだ!」
斉藤はびくっと体を硬直させた。殴られるのかと思い、無意識に体が後ずさる。
「お、俺は別に……適当に書いとけって言われて、それで……」
「おーちゃん、デブは悪くないよ。俺が書いとけって言ったんだよ」
「なに! なんで!」
田口さんが活動予定表を大島に返しながら、すまなそうに、しかし、苦笑いを浮かべながら斉藤をかばうように肩に手を置いた。
斉藤はまだ困惑して、おどおどと田口さんと大島の顔を交互に見るばかりで何を言えばいいのか分からず、汗ばかりが額から噴き出していた。
田口さんは唇に手を当てふむと一呼吸し、それから大島を諭すような落ち着いた口調で語りかけ始めた。
「野球部がブラバンに応援に来てくれって話しは前にあったんだけどさ、そんなの無理だから俺が断りいれたんだよ。それであいつらも諦めたはずなんだけど」
「でももう話進んでるじゃないか」
「それが分かんないんだよなあ。確かに俺が運動部の試合の応援って予定に書かせたけど、それはあくまで予定の話であって、実際可能かどうかは別問題だろ。少なくとも今までそれで通ってきたし」
「……お前、まだ分かんないのか」
「なに」
「生徒会はもうそういう適当な、ありもしない活動予定を認めないってことだろ」
「なんでそこで生徒会が出てくんだよ。……あ。まさか。もしかして……」
「応援の話しが顧問の耳に入ってるってことは……」
「……」
おろおろしている斉藤をよそに大島と田口さんの表情はみるみるうちに険しくなり、眉間には深く皺が刻まれ、体からは黒い煙がもやもや立ち昇るかのような不穏さに取り巻かれてしまった。
一体なにがどうしてこんなことになったのか。業を煮やした持田が、焦れて二人の間に割って入ると、
「なんなんすか。生徒会がなんだって言うんですか」
と尋ねた。
「生徒会は俺らが本当に活動するかどうか監視するつもりらしい」
「監視って……」
「生徒会の連中、あくまでもブラバンを潰したいらしいな」
田口さんが忌々しげに呟いた。
「デブ、お前が書いた予定」
「はあ」
「運動部の応援、文化祭……」
「はあ……」
斉藤は自分のせいではないと言われても、自分が書いて提出したのは事実なので恐縮のあまり巨体を縮こまらせて清聴していた。
「それから……コンクール」
「コンクール?!」
今度は頓狂な大声をあげたのは田口さんの番だった。
「なんだ、それ! 誰がそんなこと書けって言った?!」
「そ、それは……翔太が……」
「あいつ!!」
間の悪いことに野球部がグラウンドでシートノックを始めたらしい。彼らの発する元気な掛け声と白球の砕ける高い音が響き渡り、一同をますます打ちのめした。
皆、口には出さなかったがほとんど確信していた。これは、翔太の謀略なのだ、と。
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