第8話
生徒会による備品監査は、放課後になると生徒会役員が手分けして監査に赴き、不正を正さんと辣腕を奮っているともっぱらの噂だった。
その様子は一年生の教室へも聞こえてきていて、各部の新入部員からは「練習どころか、ひたすら部室の掃除させられてる」と不満の声があがり、「生徒会めっちゃ厳しい。去年の記録と一個でも違うといちいち理由聞くし、細かいし。あんな奴らがこの学校にいるってのがすでにおかしい」との声も出ていた。
翔太はあの冷静な生徒会長がボール一個の行方さえも厳しく追及する様子が想像できるだけに、すでに金曜に迫っているブラバンの立会に恐々としていた。
斉藤と持田という部員が入ったのは嬉しいことだが、部室を占拠する道具類を撤去する方法はまだ思いついていなかった。
が、そんなことは関係なく、登校中だろうが食堂でうどんなど啜っている時だろうが、所構わず三年生たちが翔太に「おい、ブラバン。大丈夫なんだろうな」とか「しくじったらどうなるか分かってんだろうな」とか発破をかけ、さらには「チクったりしやがったらマジで痛い目に合わせるから覚えとけよ」とご丁寧に脅しまでかけられる始末で、翔太は胃が痛くなるぐらいだった。
斉藤は、
「とりあえず屋上に運ぶか?」
と提案したが、
「クラブハウスの屋上? あそこ、丸見えじゃん」
と持田がそれを却下した。
「そもそもお前が言いだしたんだろ、もっちー、何とかしろよ」
「もっちー言うな。俺も今考えてんだから」
持田はむすっとして頬杖をついた。
授業の合間も絶えず三人は頭を寄せ合っていたが、何の案も思いつかないまま一日が過ぎ、放課後になり皆が帰り支度をする中でも三人はまだ座ったままだった。
「それにしても田口さんって人も無茶苦茶するよなあ」
斉藤がぼやいた。
「よくあんなこと思いついたな。金とるってどういうことよ」
「もしかしてそのせいでダブってんのかね」
「翔太、お前、田口さんにはまだ会ったことないの」
「ないよ」
「これってさあ、顧問も知ってんのかな」
顧問。その言葉を聞いた瞬間、翔太ははっとした。そして目の前で帰り仕度を終えて痩せた体で重そうに鞄を手にした常山を呼び止めた。
「ツネちゃん!」
常山は見ているこちらからもはっきり分かるほど驚いて、一瞬硬直し、それから恐る恐る翔太を振り向いた。
翔太はできるだけ優しい口調で、怖がらせないように気をつけながら話しかけた。
「今日も図書館行くの?」
「……」
常山はこくりと頷く。
「大島も来るのかな」
「……たぶん」
「そっか。ありがとう。図書委員の仕事頑張ってな」
常山が教室を出て行くと「ツネちゃん図書委員なのか」と持田が尋ねた。
「そう。で、大島は図書委員の顧問も兼任なんだってさ」
「ふーん……。それが何の関係が……。あ」
「この学校に図書室利用する奴なんかそうそういないよな」
翔太の意図が分かったらしく、持田もにやりと笑った。
三人はまず部室へ行くと手分けしてそこへ置かれているブラバンとは何の関係もない運動部の備品を一つずつ抱え、こそこそと図書室を目指した。
生徒会は監査の為クラブハウスを順番にまわっているらしく、翔太は平井の後姿をちらりと確認すると見咎められないように祈るような気持ちで彼らの背後を駆け抜けた。
クラブハウスから中庭を通って校舎に駆け込み、階段を上り、三人は人気のない図書室の前までテニス部のネットや、ラグビー部のタックルバックなどを運んだ。
斉藤は太った体でクラブハウスと図書室を往復するのがこたえたらしく、壁に手をつき今にもへたりこみそうに喘いでいた。ブラバンの部室からすべてを持ち出す頃には三人とも汗びっしょりになっていた。
「こんなことして大丈夫なのかな」
「大丈夫もクソもねえよ。とにかくなんとかしないと」
「そりゃそうだけど……」
翔太は図書室の扉を開け利用者がいないのを確認すると、持田に向って頷いて見せた。
貸出カウンターには常山が例によってちんまりと座り、本を開いているところだった。
「ツネちゃん、大島来てる?」
翔太が尋ねると常山は首を横に振った。
「よし」
翔太は廊下で大量の道具類と共に待機している二人に「大島いないって」と合図を飛ばした。すると即座に持田と斉藤が図書室へそれぞれ運んできた荷物を抱えて乱入してきた。
驚いたのは常山で、椅子の上でのけぞり、今度こそ言葉を失って金魚のように口をぱくぱくさせ、荷物と翔太を交互に見て目を大きく見開いていた。
「大丈夫、ツネちゃん。俺ら三人ともブラバンで、大島がブラバンの顧問だから」
だからなんだと言うのか翔太は自分でも分からなかったが、怯えた目で翔太たちを見る常山を安心させるように語りかけ、カウンターの背後に置かれた衝立の向こう側、大島が仕事をサボる為に設けられたとしか思えないスペースに次々と運動部の備品を運びいれ始めた。
「翔太、このソファ邪魔だわ」
「もっちー、そっち持って。これ、端に寄せよう」
大島が寝そべっていたソファも壁際に寄せ、とにかく持ってきたもの全部を押しこみ、積み上げていく。
ただでさえ狭いスペースはあっという間にいっぱいになり、とても大島がサボるどころか人ひとり立っているのもやっとというぐらい空間がぎっしりと埋め尽くされていった。
いつの間にか立ち上がり翔太たちを唖然としながら見つめていた常山は、その時初めて小さな声で呟いた。
「先生に怒られるよ……」
「大丈夫! ツネちゃんは関係ないんだから! 大島になんか言われたら、俺らに脅されたって言えばいいよ」
「……」
「こんなのが部室にあったら、ブラバンの練習できないだろ?」
「……」
「心配ないって。な。ツネちゃん。大島が来たらさ、俺ら部室にいるって言えばいいよ」
常山はまだ何か言いたげな、非難するでもなく怯えるでもない、強いて言うなら奇妙なものでも見るような目で翔太たち三人の顔を順番に見つめ、しばらくの沈黙の後にまた消え入りそうな声で「分った……」と呟いた。
大島がこれを見たら驚くだろうし、怒るに決まっている。そんなことは初めから百も承知だった。しかし翔太にはこうすることで運動部の恫喝を逃れ、ブラバンの部室を確保するのと別にもうひとつ目的があった。
それは「ブラバンの顧問」である大島を、その本来の役割へ引きずり出すことだった。
大島の野郎、一人でも二人でも好きにしろなんて言いくさりやがって。好きに練習しろなんて、そんな言い方あるものか。指導者も指揮者もいないブラバンがあるか。給料分の働きぐらいはしてもらわないと腹が収まらない。せめて部室の確保と、部費の確保。ブラバンの存続ぐらいは最低限の働きだ。
翔太たちは不安げな常山と運動部の備品を図書室に残して、意気揚揚と部室へと引き上げて行った。
余計な荷物をどけたらブラバンの部室はずいぶん広く、初めてその全貌を見ることができた。
壁に取り付けられた棚は天井まで高さがあり、埃をかぶった楽器ケースが収められていて、片隅には錆びた譜面立てが押し込まれていた。
窓の下には黒板が嵌めてあり、音楽室にあるのと同じく五線が引いてあった。
斉藤はそれらを興味深そうに見てまわりながら、改めて「ここ、本当にブラバンなんだなあ」と関心したように溜息をついた。
「翔太、次なにすんの」
持田が窓すべて開け放しながら尋ねた。
「……まあ、掃除だろうな」
「だよな」
本来は土足で入ってはいけないのだろうけれど、とても靴など脱げるような状態の部屋ではないその中央で、持田は息をするのも嫌だと言わんばかりに制服の袖で口元を覆っていた。
「掃除道具、教室にあるの使ってもいいよな」
「ああ、いいんじゃないの」
「とってくるわ」
男前は潔癖なのか。よほど汚いのがいやなのか持田はさっさと部屋を出て行った。
後に残った翔太と斉藤は楽器を次々と外へ運び出し、ひとまず部室を空にすることにした。
棚の奥からはいつの誰のものとも知れないテストの答案や教科書までがくしゃくしゃになって茶色く変色した状態で「発掘」され、長い年月ブラバンが忘れ去られていたことを物語っていた。
壁に貼られた雑誌の切り抜きの完全に変色したのをはがしていると斉藤が尋ねた。
「ところでさあ」
「うん」
「俺ともっちーは楽器なにやんの?」
「ああ、それなあ……」
翔太が時代がかかったグラビアをはがして床に落とすと、持田が掃除道具を抱えて戻ってきた。
「持ってきたぞー」
「ご苦労さん」
持田は箒やちりとりを壁に立て掛けると、水の入ったバケツを翔太に寄こした。
「なあ」
斉藤が持田を振り向いた。
「ん?」
「もっちー、楽器なにやりたい?」
「え? 楽器?」
「だって俺らブラバン入ったわけだし」
「……ああ~……」
持田はごみ袋をばさばさと広げて翔太の顔を見た。
「俺は何でもいいわ。つーか、俺、なんもできないし」
と、何やら興味なさそうに言った。
翔太はおや? と斉藤の顔を見やった。斉藤も怪訝な顔で翔太を見返す。
この言い方では持田は別にブラバンになど興味を持っていないようではないか?
「斉藤はなにやんの?」
「俺も別に何でも……つーか、俺にもできそうなのってなに?」
尋ねられた翔太は果たしてどうのようにして彼らにパートを振り分ければいいのか分からず、腕組みをすると「うーん」と唸った。
「そういうのってどうやって決めんの?」
「俺が中学ん時はやりたい楽器の希望を出してー。希望者が多いと抽選だった。なんかさ、毎年違うけども人気のあるパートってあってさ。そん時の流行り? とか、あと、先輩がかっこいいとかかわいいとか。なんか、そんなん」
「翔太はなんでトランペットやりたかったわけ?」
「部活紹介ん時にさ、ソロ吹いてる人がめっちゃ上手くてかっこいいなと思ったから」
「ふーん。そんな決め方でいいんか」
「じゃあ、他にどんな決め方があんの」
「や、なんだろ、適性検査とか? オーディションみたいな?」
「だってお前ら楽器全然やったことないんだろ?」
「だから、リズム感とか音感とか」
「それを俺が決めるわけ?」
「だってお前しかいないじゃん」
翔太はますます「うーん」と唸った。
持田はバケツに放り込んだ雑巾をじゃぶじゃぶ濯ぎながら、
「俺さー」
「なに」
「音痴なんだよな」
「は?」
「お前が決めてよ」
でも、もうちょっと何か興味のあるものは……。翔太はそう言いかけた。が、それより先に入口のところから、
「何を決めるって?」
と割り込む声がした。
三人は一斉にそちらに顔を向けた。開け放したドアの横に立っていたのは、大島だった。
大島は明らかに怒っていて、眉間には険しい縦皺が寄り、目は吊り上がり、拳は固く握りしめられていた。けれど、そんな怒りは想定の範囲内だった。翔太にしてみれば大島が部室に姿を現したことが重要であって、他のことはどうでもよかった。
「お前ら、図書室のあれ、なんだ」
「金曜に生徒会立会で備品監査あるんすよ」
「だから?」
「だから部室をキレイにしてー、備品もちゃんと調べないといけないって言われてんですよね。生徒会に」
「それとあのタックルバックと何の関係が?」
大島はこめかみをひくつかせて翔太を睨んだ。翔太は大島に近寄って行くと、大袈裟に声をひそめて囁いた。
「先生、田口さんが部室を運動部の奴らに倉庫代わりに貸してたって知ってました?」
「は?」
「俺らもどういう事情かよく分からないんですけど、とにかくあれがあるとまずいじゃないっすか」
「……田口が?」
「どういう事情かは分からないけど、まあ、あれっすかね、部員一人だとこの部室広すぎますもんね。それで貸してたんすかね」
「……田口が……」
「運動部の人らも今監査の最中だから、ほら、みんな掃除してるでしょ。今突然荷物増えても困るだろうし。といって、ここに置いておくわけにもいかないし、ねえ? 田口さんに聞いた方が話し早いとは思うんすけど、俺らまだ田口さんに会ってないし」
「……田口……」
翔太は怒り心頭に達していた大島が風船が萎むように意気消沈していくのを見ながら、大島が何らかの事情を知っていると踏んだ。
「てことで、終るまでですから。あの荷物、ちょっと置かせといて欲しいんすよ。あ、そうそう。こいつら、斉藤と持田。ブラバンに入ったんで、これで部員が全部で……えーと四人。田口さんもいれて四人になりましたから。先生、こいつらのパートはどうしたらいいっすか?」
畳みかけるように次々と言葉を繰りだす翔太に大島は唖然としていた。
翔太は勝ち誇ったようににっこり笑うと、
「ちなみに、初心者なんで」
と付け加えた。
大島はもう返す言葉もなく、がくりと項垂れた。図らずも、たった一人の新入生によってブラバンが再始動しようとしている。名前だけの顧問で、放課後はぶらぶらしていただけの呑気な毎日が終わりを告げようとしている。
大島は翔太の顔を見た。嬉しそうに目を輝かせて、何がそんなに楽しいんだか笑っている、その、いかにも子供じみた顔を。
「お前さあ」
「はい」
「そんなにブラバン好きなの」
「好きっす」
「……」
翔太はなんの邪気もなく答えた。大島は観念したように天井を仰いだ。
この学校にこんな奴が入ってくるなんて想像もしなかった。何かをやろうという気概とか、情熱を持っている生徒が。しかも奇妙な行動力で仲間まで集め始めている。大島は翔太を「少年誌の主人公みたいな奴」だと思った。暑苦しくてうっとうしくて、憎めない。
「……掃除終わったら呼びに来い」
大島はそう言い捨てるとくるりと踵を返した。
「えっ、どこに?」
「図書室に決まってんだろ。パート決めんのはそれからだ」
斉藤と持田は翔太の顔がぱっと輝くのを見逃さなかった。そしてその眩しい顔が二人を振り向くと、
「さー、早く片付けちまおうぜ」
と言った。
大島は肩を落として部室を出ると廊下に積まれた楽器ケースにそっと指を触れた。積りに積もった埃でケースは真白だった。そして改めて思った。自分の仕事が一つ増えたのだ、と。
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