第6話
続々と下校していく生徒の背中を見送りながら、翔太は指定された会議室までやってきた。
開け放されたドアからそっと中を覗くとずらりと並んだ会議机に各部の代表……おそらくは全員三年生……が雑談を交わしながら集まっていた。
翔太はおずおずと中へ入ると、一番隅の席に目立たないようにひっそりと腰をおろした。
正面の黒板には備品監査、会計監査説明会と大書きされていて、生徒会役員がプリントを準備しているところだった。
生徒会長がやり手だという話だが、そのせいか生徒会の連中はきびきびと会議の準備を進めていて、翔太はその統率のとれた動きにしばし見入っていた。
彼らはこの学校の生徒としては珍しくきちんと「正しく」制服を身に着け、髪は黒く、ピアスなどもしていない。彼ら生徒会は「生徒の代表」というより完全に少数派だろうと思うと翔太はおかしくなってそっと視線を外し、一人で笑っていた。
それを見咎めたわけではないのだろうけれど、生徒会室で会った役員の平井が翔太の方へ近づいてきた。
「本当にブラバンに入ったんだな」
平井はそう言いながら翔太の前にプリントを置いた。
「あ、はい」
「……田口にはもう会った?」
「いえ、まだです」
「そうか」
「あの」
「ん?」
翔太は三年生ばかりの群れに一人混じっていることが不安だったので、平井にそっと尋ねた。
「この備品監査って何をどうするんですか」
「それを今から説明するから」
「あの」
「なに」
「……一年って俺だけっすよね?」
平井はぐるりと室内を見渡した。
「そうみたいだな」
「……会長は、なんか、実績のない部活は廃部って……」
「だから。だから、お前、今日来てんだろ?」
「え?」
「実積作りに来たんだろ?」
「……」
「おっと、もう時間だな」
平井は時計を見るとまた黒板の前に戻って行った。と同時に、入口から生徒会長が入ってきて、
「全員着席して」
とよく通る声で呼びかけた。
鶴の一声。翔太は驚いて目を丸くした。好き勝手にざわついていた生徒たちが全員ぴたりと喋るのをやめ、速やかに椅子に腰掛けるのを目の当たりにし、翔太はこんなこと教師でもないのにできるなんて……と驚くばかりだった。
会長は平井に向って「じゃ、始めるか」と言うと、自分は窓辺にもたれて全体を見守るように腕組をした。
促された平井は、
「それでは今年度の各部活の備品監査と会計監査の説明会を始めます」
と、進行を執った。
「まず手元のプリント一枚目開いてください」
翔太は言われるままにプリントに視線を落とした。
「えー、クラブの備品監査の流れを図にしたものです。今までやってることだから分かってるとは思うけど、今年度はきちんとしたデータをとって、生徒会としては公平な予算案を組み、無駄使い等をなくしていく方針なので監査の流れをきちんと把握して下さい」
平井は順々に監査の内容を説明し始めた。そこで翔太が知ったのはクラブの備品というのはあくまでも学校の所有品で、破損などがあればそれは報告しなければいけないということだった。
損壊や紛失、その他不足品があればもちろん補わなければならないわけだが、無論それには費用がかかる。足りないとか壊れたとかでいくらでも新しい物が買えるわけじゃない。備品を買うための費用というのはあくまでも「部費」から賄わなければならないのだから。
ようするに、この備品と会計監査というのは、クラブの備品がちゃんと揃っているかどうかを調べ、新規購入した場合はそれの報告と、各クラブに支給される部費が正しく使われているかを調べるものなのだ。
翔太はなるほどと思った。会長が政策としてとっているらしい部活の縮小や公平性というのは、ここに大きく関係しているらしい。
確かに活動していないクラブに部費を支給する意味がないし、何も壊れない・減らないクラブといちいち色んな物を消耗するクラブが同じ額の活動費ではこれも適切とはいえない。
そう考えて翔太は急に落ち込んだ。活動していないクラブ、それはブラバンに他ならないではないか。
平井は翔太が実績を作りに来たと言ったけれど、翔太にはまだその意味が分からなかった。
同時に配布されていた記入用紙についても説明がされると、平井は、
「今年は生徒会が監査に立ち会います。事前に記入用紙に備品を書いておいて下さい。それでは監査に行く日程を言うから、各部の代表はメモして下さい。まず、野球部、サッカー部、テニス部、ラグビー部、陸上部、ハンドボール部……月曜。バスケ部、柔道部、水泳部、空手部、バトミントン部は火曜……」
と、スケジュールを読み上げ始めた。
この時翔太はまだなんとなく物事がぴんときていなくて、ぼんやりと平井の声を聞き流していた。
「金曜は文化部をまわります。放送部、軽音楽部、美術部、囲碁将棋部……ブラスバンド部」
その言葉に各部の代表として集められていた三年生はざわっとどよめき、会議室中を、互いの顔を見回した。そして見出された翔太の顔に全員の視線が注がれると、誰かが驚きのあまりぽろっと漏らした。
「ブラバンなんかあったんか」
翔太は三年生に囲まれている状況が今さら怖くなり、しかも視線を集めていることで胸が締め上げられるように苦しくなった。
あったんかと言われてしまうような幽霊部活でも、その代表が一年とあっては「生意気だ」とか言われたらどうしよう。そんでもって「お前、ちょっと来いや」とか言われて校舎の裏に連れていかれたりなんかしたら……。
みんなの視線を避けるように翔太は俯いていた。
その怯えた小動物のような翔太を見ていた会長は、急に黒板の前まで進み出ると平井の横に並んだ。
「監査の日は部室にあるものは全部調べるから、ちゃんと整理整頓しておくように。去年の監査内容と照らし合わせて行く。失くしたとか壊れたとか、どこいったか分からんなんてのはなしだから」
あの部室をどうやって整理整頓すればいいんだよ……。翔太はますますどんよりと落ち込んだ気持ちになった。部室をどうにかしないと、何があって何がないのか調べようがない。それにはあの運動部たちの「備品」を外に出さないことにはどうすることもできない。
翔太は溜息まじりにプリントの端に「金曜、会計監査」とメモをした。
「部室にあるものは各部の所有品なんだから、きちんと管理しておくように。以上」
会長が話し終えると、平井がその後を引き取って「はい、それでは質問がなければ終わりです。解散」と説明会を閉めた。
翔太は三年生に混じっての説明会にかなりの疲労感を覚えた。緊張していたせいだろう、肩に力が入りずきずきと痛むようだった。
プリントを鞄に入れ、外に出ようとすると会長が声をかけてきた。
「ブラバンは他に部員が入りそうか?」
「えっ……、分かりません」
「そうか。まあ、頑張るんだな。監査は金曜日だから忘れないように。田口にも来るように言っといて」
「……はあ」
そうだよな。翔太は思った。唯一の部員で、部長であるところの田口先輩に来てもらわないことには部活を始めることもできやしない。
……でも、どうやって?
翔太は目の前が暗くなり、ますます肩に重荷を負わされたような気持ちになった。
なんで留年したのか知らないが、学校にもあまり来ていないらしいのをどうやって部活に来させればいいのだろう。そういう問題は教師や家庭の役割じゃないのか。グレた生徒を更生させるのに新入生では荷が重すぎる。
自分の力で何とかしなければブラバンは文字通り終わってしまう。けれど、それにしても、翔太に何ができるというのだろう。自分の無力さが情けなくて、気持ちはますます暗くなるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます