第5話
部室が運動部の物置になっているという事態はすぐにどうにかしなければならない。全部放り出してブラバンの復活を高らかに宣言しなければ。
そう考えたものの、実際に運動部の備品を放りだす度胸は翔太にはなかった。いくらブラバンの部室として当然の権利を訴えても、この学校で上手くやっていけなくては何の意味もない。少なくとも強面の先輩方に目をつけられたりしないぐらいには、上手く立ち回らないと面倒なことが起きるし、いや、もう学校に二度と来れないようなことだってあるかもしれない。翔太はしばし思案に耽った。
隣の席では持田がぱらぱらと漫画をめくり、斉藤が早々に弁当をかきこんでいるところだった。
翔太はすでに朝のうちに「俺、ブラバンに入部届けだしてきた」と報告し、二人から「お前、本気なんだな」と呆れたような苦笑いをされていた。
本気じゃなければ一体なんだというのだ。他にやりたいことがあるわけでなし、勉強したい気も起きないし、カノジョが欲しくても女子生徒はいないし。今この瞬間を、たった一度しかない高校生活を何にも本気になれないで過ごすなんて、翔太は怖いような気がしていた。
「でも、実際、一人でなにすんの」
斉藤が弁当箱に蓋をしながら尋ねた。まだ二時間目だというのに弁当を食べ終わってしまって、こいつは昼に何を食べるんだろう。というか、どんだけ食うんだ。一体。翔太は満足げな溜息をつく斉藤に答えて言った。
「基礎練習。一人だろうが三〇人だろうが、やることは一緒。毎日基礎を練習する。丁寧に。合奏とかそういうのは、また別な話」
「したくてもできないだろうが」
「まあ、そうだけどさ」
「ふーん。でも、地味なんだな」
「そんなもんだよ。中学でもブラバンってそんなんだっただろ。毎日ひたすらぶーぶー吹いてるだけでさ。あと、ランニングとか腹筋とかやったりさ」
「ああ、そういえばそんなん見たことあるなあ」
「もっちーと斉藤は部活どうすんの」
名前を呼ばれて持田が顔をあげた。
「もっちー言うな」
「もっちー、バイトかなんかしてんの」
「いや別に」
「部活入んないの」
「別に考えてない。やりたい部活も別にないしな」
「……斉藤も?」
「まあ、そうだなあ。俺も別にこれといってはないかなあ」
無理強いはしたくなかった。でも翔太は自分と斉藤たちとの温度差が急に寂しいような気がした。表面上はたまたま入学以来席が隣り合わせているというだけで親しくなったけれども、翔太は彼らと本当には友達にはなれないのではないかとうすら寒いような気持ちになった。
しかし、それは斉藤たちにしても同じことだった。翔太を見ているとそのやみくもな情熱に気圧されると共に、奇妙な劣等感と焦燥感と羨望を同時に覚える。自分と翔太は違う。違いすぎるほどに。
けれど彼らの物思いは長くは続かなかった。いつもほんの一瞬心をかすめていくだけで、次の瞬間にはもうすべて忘れてくだらない冗談を言い合っている。彼らは一つところに留まっていることができないのだ。まるで猛スピードで走る列車に乗って、後ろに吹っ飛んで行く景色をただ漠然と感じているにすぎないかのように、彼らの若い時間は彼ら自身を置き去りにしてしまう。
その日の授業が全部すんでも翔太は斉藤たちに部室が物置になっていることを話せなくて、無論それをどうしたらいいかも相談することはできなかった。
終礼が終わり教室を出て行こうとする翔太を担任が呼び止めた。
「藤井、お前ブラバンに入ったんだって?」
「はあ」
「生徒会からお前に会議の参加命令が出てる」
担任はそう言うと連絡票と書かれた紙を手渡した。
「備品監査?」
翔太はそこに書かれた文字を読み、担任の顔を見上げた。
「毎年部活の備品を数えて管理することになってるんだよ。普通、どこも部長が出席することになってるけど。お前が部長になったの?」
「……違います。なんで俺んとこに来るんだろ……」
「顧問が指名してるんだけどな」
顧問! 翔太ははっとした。あのやる気なし顧問め……。翔太は面倒を押しつけられたような気がしてその場で連絡票を破り捨ててしまいたかった。備品数えるより先に部室の確保だろうがと詰め寄ってやりたかった。けれど、担任が何気なく続けた言葉で我に返った。
「備品監査は部活の予算案とも関係あるから、会議ちゃんと出て説明聞いといた方がいいぞ」
「えっ?」
「今年の生徒会長は厳しいからなー。まともにやってない部活は部費削減どころか潰す勢いらしいぞ。うちもしっかりせんと」
「うち?」
「陸上部。部員も増やさんとなあ。お前、ブラバンと陸上かけもちしない?」
「しませんよ」
そうか、この人陸上部の顧問だったか。翔太は頭の中でブラバンの部室に陸上部の備品がなかったか思い返していた。
「じゃ、ちゃんと行けよ」
担任はそう言うと教室を出て行った。
翔太はもう一度手の中に残された紙きれを眺めた。三時半から本館職員室横の会議室で部活の「備品と会計監査の説明会」ね……。
厳しいと教師からも評される生徒会長とは相当な人物だと推測できる。
翔太はふと思いついたことがあった。もしかしたら、あの手厳しい生徒会長も「使える」かもしれない。顧問の大島への不満はさておき、翔太はひとまず説明会へ行ってみることにした。
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