「黒い羊」(欅坂46)

 この曲はなんというか、心の中の教室、みたいなものが浮かび上がってきて、ものすごく怖くなる。

 大人になってみると不思議なのは、学校の教室って、そこにいるクラスメイトとどういう関係性で同じ空間にいたのか、全く思い出せないことです。これって僕だけでしょうか?

 同じクラスに明るい奴も暗い奴も、喋る奴も喋らない奴も、体育会系の奴も文化系の奴も、ありとあらゆるタイプがいて、それぞれにグループを作ったり作らなかったりして、影で何かを言うこともあれば、まったくの一人きりの個人を総スカンにしたり、変人じみた奴をからかったり、なんていうか、居心地がいいのか、悪いのか、よくわからない。

 この曲における「白い羊」と「黒い羊」の表現はすごく強烈なように見えて、灰色の羊とでも呼ぶべき人たちが大勢いるのが現実かな、と思ったりもする。白である必要もなく、黒である必要もない、曖昧な立場。この「黒い羊」という曲で歌われている、白に染まってしまう、染められてしまう、というのは、黒の立場からの不快さ、何かしらの喪失に見えて、実はそれより前に、灰色の立場の誰かしらも白く染まっていってしまう、という場面があったのかな、と想像してしまいます。だから、この「黒い羊」という曲は白か黒かという話ではなく、もっと根本的な、他人に色を決められる、他人に流されて自分の色を変えてしまう、そういう発想を指摘して、否定してるのでしょう。

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